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さて、それでは韓国の場合<正統性>はどのようになってるでしょうか?
この場合、毛沢東の名言に従うなら「鉄砲」は当然米軍であり、戦後日本と同様、韓国はアメリカの傀儡の影が常に付き纏う。 従って、その意味では常に、背中に<正統性>の匕首を突き付けられていると言えるのです。 独立運動の指導者金九が「自ら独立を勝ち取ることができなかったことが今後長きに渡って朝鮮半島に苦しみをもたらすだろう」と言ったのはその事を指しているのです。
韓国の政権が替る度にその前任者の政治的生命を絶つ挙に出るのは、王を殺して王位
につくという、<王権簒奪>の普遍的な在り方から言えばまことに理に適っていること
ではあるのですが、その事自体、かかるアポリアの裏返しでもあります。
またその意味で、金大中・盧武鉉政権がそれを抑制した事と「太陽政策」は深い所で
繋がっているのです。 北朝鮮と<正統性>を共有することでアメリカの影の払拭を図るー更に盧武鉉政権下で「歴史見直し」−「親日派粛清」が大掛かりに展開されたのも、親日派の多くが親米派に鞍替えしてることに着目すれば、実はこのアメリカの影の払拭ーそれを通じて民族=国家の<正統性>を回復するこそその本当の狙いであったことが見えてくるでしょう。
そして、このような観点からすれば、アメリカとの関係をより重視する李明博現政権が
「太陽政策」から距離を取り、盧武鉉政権が推進していた「南北統一国家を強力に主張し、アメリカの手先によって暗殺された」金九を新札の肖像に起用する構想を封じた意味も理解出来るはずです。
また他方、以前と同様、前任者の政治生命を絶とうとしたことに対して、自ら身を処することを以って応じた盧武鉉氏の意思も窺えるのではないか?
即ち、敬虔なクリスチャンでもあった盧武鉉氏の自裁は、(これまでの流れで解るように)民族の正気を回復させることに賭けた、ぎりぎりの処で選び取られた決断(政治行為)だった、と私には思えるのです。
こうして見てくれば、韓国内の対立は、マスコミの言うような「進歩vs保守」「左派
vs右派」などではなく、民族派(小中華派)vs外勢派(事大派)という、彼の国の伝統的な対立が甦ったものであることが分かるでしょうし、マスコミとか専門家が如何に上っ面しか見ていないか、のみならず彼らの報道とか専門なるものが、その実、本質を隠蔽する装置(機能)としてしか働いていないことが看て取れるのではないでしょうか。
これは無論他人事ではないし、対岸の火事視すべきではありません。
何故なら、殆ど同様の図式が覗われるのが我が国の状況であり、就中「小沢問題」なのですから。