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久しぶり(一年ぶりかな?)の日本、じゃなかった阿修羅ですが、メモ的にノートしてたのが溜まっていますので、その中で時宜に適ったものを選んで、少しばかり書き込みます。
本当は議論板の方に出そうと思ってたのですが、何時新しい板に変わるかも知れませんので、変わったばかりのこちらへ書き込むことにしましょう。 それに、内容から言ったら、こんな視点や見方があることを知ってもらう方を優先したいから、雑談の方が却って適してるかも。
皆さんは、昨今の国内外の出来事について、例えば小沢氏の問題について、或いは北朝鮮の動向について、どのように理解しているだろうか?又韓国については?
私も又「情報量」では皆さんと大同小異ですが、しかしそれをどのように見るか?では(多分)相当掛け離れているはずです。
今私が、北朝鮮も韓国も日本も同じ問題に直面している、イランでさえも同じと言ったら、多くから一笑に付されるでしょう。 韓国は兎も角、北朝鮮とは全然違うだろ、況してやイランとは!と。 私はそのように考えること自体<国体思想>−要するに国家の論理ーに骨絡みになってることの何よりの証左であろうと思います(民主や自由、又は人権を振りかざしてそれらを弁別する人などその典型)。
同時代に生きるとは、体制とか国情を超えて共通するものがあるとみるべきであり、寧ろ積極的に、共通する問題に遭遇している、と見るべきなのです。 そうして、同じ問題に直面していることを知ることは<他者>を知ることー少なくともその手掛りを得ることに他なりません。
元より<他者>の認識が出来ない者がその存在を<恐怖>(文字通り、テロリストとは自らの恐怖を対象に投影したものに他なりません)と感じるのです。
同じ問題に直面しているーそれを別様に言うなら、北朝鮮やイラン及び韓国、そして日本も、唯一つの言葉で説明出来る、ということです。
それは<正統性(レジティマシー)>(の危機)ということです。
権力の<正統性>−我々は如何なる事(形)での<支配>を承認するのか?ということ。
これらの国々が映し出しているのは、M.ウェーバーの言う三つ(伝統的・カリスマ的・
合法的)の<支配>が危機に瀕してる、ということです。
元よりそれは、国民国家=近代主権国家の危機は、何より鋭く、この<正統性>の危機として顕れる、ということに他なりません。
そうして、予めダメ押しておきますが、所謂<民主主義>がこの<正統性>を保障するものではないことを示しているのが最近のイランや中国、そして韓国の問題であり、何より「小沢問題」なのです。
それではこれからレジティマシーというマスターキーを使って、それぞれを開けてみることにします。 そこから見えてくるそれぞれの光景が、これまでマスコミを通して見慣れていたものと多少でも異なっているとしたら、私の試みは成功したことになるのですが、、、