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単に話題性があるということだけで、「無批判に」タレント政治家の露出度を高めるのは、マスコミのその強大な媒体力の濫用だ。ただ事実を報道しているだけだというなら、垂れ流しという言葉を対峙しよう、蛇足だけど、時に無編集は意図的な編集同様、事実を歪曲することがある、例、ライブ従軍報道。
この「タレントさん」が、もし政権政党の危機を救ったとしよう、しかし、後はポイ捨てさられると思う。
与党、マスコミ関係者、この「タレントさん」のスキャンダルなぞ、抱え切れないほど持っている。用がなくなれば、もういらないと見極められれば、すぐにそのカードを出してくる。「バックなしの」つらいとこだ。
ハイランクの女性局長が拘留されている、上級職(?)でも彼女は地方大卒で出世したのだから、味方が多いとは思えない。強いバックを持っていないと、ササれやすいのはいずこの世界も同じか。
世の中が2チャンネル化している中、阿修羅もその影響を受けてしまう。
私が問題視するのは、何も新規投稿をしなくて、鋭いとはいえない「RE短評」をリピートさせる野次馬的投稿。新規投稿を定期的にしている人たちに対するご褒美、人気投稿者へのボーナスとして、短評を認めてやるというのなら納得できるのだが、貢献度ほぼゼロ投稿者の「REお気楽一行投稿群」は噴飯ものだ。
運動会で自分の子供の写真を撮りたいがために、トラックに出てしまい運動会の秩序を乱す行動をしたとします。だからといって、「多すぎる個人の自由」を嘆くのは私の見解とは異なります。
その写真をとりたいという親の行動は、幼児がスーパーでお菓子を見ると、そのスタンドのほうにいってしまうと同じ心理です。「行動の自由」を納得させる高い精神性は内在しません。
運動会主催者(学校)は、主催者としての、運動会を相当に秩序だって運営する権利があり、安全管理の義務が発生するのだから、親を注意できます。そしてその勝手な行動は、生徒、他の親御さんの運動会を楽しみたいという自由を侵害してることになるんです。同時に寛容という言葉も必要ですけどね。
「みんなの迷惑になりますからやめてくださーい、、」ということを、理屈っぽく訳すとこうなるのだろう。なんたって、事故が起これば責任を取らされるのは学校側です。
私は、ハナから個人の行動の自由を規制せよという意見と分かち合いません。私はその逆なんです、みなが個人の自由を主張すれば、話し合いが発生し、皆が共通の利益の模索するという立場です。そうした作業から、公共の福祉という抽象語が具体化するのではないでしょうか、自分の利益を適切に表現できない人を思いやるのも必要です。
麻生をシラフで追駆け、一語一句、真面目そうにメモしている政治記者連中は仕事とはいえ、哀れに見える。
アリストテレスは、「非凡な精神には狂気が見える」とどこかで書いているそうだが、非凡なパーフォマンスには、親の狂気が見える。マイケルジャクソンの親はインタビューに答え、「セガレをたたいてなんかいない、ベルトで鞭打っただけだ、、」と答えたそうである。
合掌。
http://www.barks.jp/news/?id=52331126