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雑談板なので適当なこと書かせてもらいます。
勘違い、或いは知識不足、或いは誤字脱字が有ったとしても
当方は一切関知しないのでそのつもりで・・。
論理無視、筋道無視、あとは野となれ山となれ。
思いついたことを書いてみた。
少し前に、日本のジャーナリズムがメッキではないかと書いてみたが考えてみると、
明治維新自体が日本的心性に西洋的哲学もどきや制度をメッキしたものではないかと
思えてきた。明治、大正、昭和、平成とメッキに磨きをかけてきたが日本的心性はそ
のままずっと変わらず私達の心の芯にあるのではないか。そんな気がする。
そして、明治以降、支配層はこの日本的部分と西洋的部分を巧みに使い分けて私達を
支配してきたのではないか。
つまり、西洋的社会制度を表面上はとりながら、実体は日本人の日本的心性、情動に
訴えかける手法をもって、支配層は恣意的にその制度を運用して都合良く私達を支配する、
こんな感じではなかったろうか。
だから日本の政治制度をくだけて呼ぶとしたら「お涙至上主義国家」とか
「情法・御都合二股国家」なんてどうだろう。
小沢の秘書逮捕でも、重大な罪に問えないとなると、マズゴミやら評論家が
道義的責任やら、倫理的責任やら、説明責任やら訳の分らん責任を持ち出したが
法治国家って道義的責任がなにより大事な国家なのか?私は今回初めて知ったが。
道義的責任がそれ程重要ならマズゴミ自身、自分の脱税の道義的責任を問え。
マズゴミが道義的責任を真っ先に問うた日にゃあ
「義理と法律、秤に掛けりゃ、義理が重たい、日本の世界」てなもんで
健さんも泣いて喜ぶわ。日本人がヤクザ好きになるのも無理はない。
日本は村社会だと言われることがあるが、生まれが村民である
私から言わせてもらうと、村ではおかしいことでも、おかしいと公然と
主張すると嫌われる。主張の強い人は村では生きにくい。
村社会での正しい生き方は、たとえおかしいことであっても
無言でいる、場の雰囲気にあまり逆らう様な事はしない。
ただ近所や、仲間内で彼奴はああだこうだとねちっこく文句を言う。
これが正統村民の生き方だ。
村民も個人的にはこれが良くないと分っていても、それを公に主張ができない。
孤立してしまう恐怖、陰口の怖さがあるのかそんな感じだろうか。
こう見ると村を日本国と読み替えても全く違和感が無いと感じるのは私だけか。
この心性がどこから来るのだろう、よく分らない。
また群集心理なんてのがあるそうで、集団になると個人では持っているはずの倫理観
やら価値観が欠落してくるそうだ。日本人は孤立を嫌がるので、仲間を作りやすいが
この集団が村社会となり、そして村心理を形成していくのだろう。
集団になると個人の尊厳やら、権利、平等やらの西洋的メッキが剥がれてきて
何よりも情緒的、感情的なものに動かされやすい心性が顔をを出してくる。
そこで感情的に煽られるとすぐヒステリックな反応や意見、行動が出て来て
それらがまたこのような意見を更に受け入れやすい風潮、風向きを作ってしまうのだろう。
村社会で雰囲気に逆らう事は非常に勇気がいるし、その様な場で冷静な意見は反発されるか
黙殺されてしまうのが常だ。
村の回覧板の代わりにマズゴミを国の回覧板と見れば
日本国というよりも日本村と言う方が何かピタッと来るな。
情動的に煽られた社会風潮の中であっという間に制度が固定化され
それが民意だと表現される。冷静になってみると、それが人々を縛る制度でも
手続き上は問題ないから違法性が無い。更に、日本人の特性からか我慢強く従順だ
からそれに黙々と従う。日本はそんな事の繰り返しでなかったろうか。
日本人は合戦において大将や名の有る武将など所謂大物の首を狙いたがる傾向が
あったそうな(報奨が大きいから当然だが)太平洋戦争当時にもこの伝統(?)が生き
ていて、所謂大物、戦艦や空母などを集中的に狙って輸送船などあまり相手にし
なかったそうな。(本当かどうか知らない)
だが考えてみれば、大物であればあるほど防御能力も優れ簡単には沈まないように
できているだろう。逆に日本軍は輸送船をことごとくやられて干上がってしまった。
同じように自公政権の中枢を攻撃しても、防御体制も堅牢だろうから
なかなか届かない。政権を批判しつつ、自公政府の回覧板、マズゴミを叩くのが
一番効果的ではないだろうか。情報操作の輸送船を叩いて干上がらせれば、
少しはまともな国になってくれるんではないかいなと、そんな事を思う昨日、
今日、明日なのだ。如何。
ついでながら
少し古いがこんなのがあった。
高野猛
朝日新聞も「声」欄は読む価値がある!
http://www.the-journal.jp/contents/takano/2009/05/post_180.html
この高野猛なる人もよく知らないが、言うことが頓珍漢だわな。
朝日新聞に声欄以外、信用すべき記事が無いと言うならその通りだろうが
逆に声欄の為に新聞代を捻出するか? おかしな事を言うなあ〜
何故、この様に取ってつけたような文を書くのか不思議な気がする。
朝日新聞にお友達でもいるのだろうか。
> マスコミは本質的には終わっているが、現象的にはまだ多大な影響力を持っていて、
> ネット世論は質は高いが、量は多くない。そこで、私らプロのジャーナリストもアマの
> 読者・視聴者もこのマスコミという怪物との賢い付き合い方が問われるのである
というような事も言っている。
いい加減にしろと言いたい。小沢秘書逮捕でプロのジャーナリストと
呼ばれる人々の体たらくを嫌というほど見せつけられたわ。
真実の意見を吐き続けたのはアマの人々たちだ。
「私らプロのジャーナリスト・・」何か笑っちゃうな、滑稽だよね。
視点が上から来ていることに本人が気がついていないんだな。
日本のプロのジャーナリストは何時からそんな偉くなったのか。
偉い人たちと仲良くなると自分も偉くなったと勘違いするのかね。
「お金で転ぶ」これがプロのプロたる所以。
偉そうなこと言うな!
阿修羅でもネットの意見はごく狭い意見であって世論でないと言う様な投稿が
有ったが本当だろうか。これこそマズゴミがそう有ってほしいという願望では
ないだろうか。
小沢の秘書逮捕以来、マズゴミは小沢を叩きに叩いたが、マズゴミ自らが行う
世論操作でも民主党支持層(政権交代支持層)20%が微動だにしなかった。
前にも書いたがこれは驚くべき事だ。
これはネットの情報拡散力と共有力をまざまざと見せつけた結果ではなかったか。
これはマズゴミの世論操作には全く動じない層がかなりの割合で存在することを
示したわけで、マズゴミが世論を動かせることなど、もはや幻想であることが
分ってしまったのだ。つまりマズゴミが自らを高く売りつける根拠を無くしたことを
証明してしまったということだ。
これを見てマズゴミは逆に震え上がったのではないだろうか。
この事実をマズゴミは「民主支持層は底固い」などと誤魔化していたが
あれだけ叩いていたのだからこの言い方はおかしいだろう。
マズゴミに世論を操作する力がもはや無いという事実に
目をつぶりたい表現がこの言い草だろう。
批判を押さえつける為には、日本的心性が孤立に非常に弱いことから
人々を孤立させる方法も有効な手段として取られてきたのではないかと思う。
マズゴミが情報のピラミッドを形成している状況では、批判の黙殺や誘導
孤立化が非常に容易だ。この点がマズゴミが自らを高く売りつける
根拠でもあるのだが、もしネットに日本社会を変える力が有ったと評価される時が来るとすれば
この孤立性を弱めるに、ネット上での情報共有の効果が非常に大きかったのではないだろうか。
webとはよく言ったものだ。上手い表現だと思う。
今回の総選挙で自公政権、マズゴミをwebで絡めとる事ができるか楽しみではある。