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(回答先: 私自身は人を憶う力は弱いと思います。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2009 年 5 月 02 日 15:48:17)
自分をそこまで理解しているのならば何も問題は無い
問題は無いのだからどの時点で結論に至るも間違いも正解もない
単なる一個の資材としてその中に君は息づき
周囲の個体同様
ありのままにその視野に映しだす世界の中で
時に冷たくも暖かくもあり
見事なまでに存在のすべてを実感しうる
一個の確かすぎる存在である
憶うたびにそのことに君はずっと戸惑ってきた
君はありのままに世界に向き合いそれを受け止め
世界もまたありのままに君に向き合い受け止めてきた
世というものを知覚してから
多くの苦悩と向き合って来たのも
「ここに居る自分とは何か」
その答えをずっと求めて来たからだ
時に
愛とは何かと
家族とは何かと
人とは何かと
そうして足早に結論を求め歩いて来る中
君自身否定してきた自分というものがある
ひたすらに無視し隠し続けた「君」自身を
今更ながら気づかなくてはならない時は来た
君は君の心を自分より深く知る存在を求め
そして同時に慰めてくれる存在を常にどこか求めてきた
本当に向き合わねばならない存在から目を逸らすほどに
愚痴を増幅し吐き続けていれば
どんなに人間的に振る舞っていても
やがてその人は孤立していく
それは無意識に自身がそうなるように仕向けているのだ
私にはそうとしか思えない
架空ともいえる程度の「敵」を自身の外に際立たせ愚痴を吐き
いつまでも見ようとしない自分を自身の中に隠し続けていく
自分でなく世間が間違っていると言い
それに同調してくれる存在を常に求めて
誰もが大量生産の安売りコピー商品には成らないと言う
世を知覚しはじめた頃には誰もがそう思う
世の汚さ 人の愚かさを認識する程に
大量生産されたコピー商品を欲しがる心理は私にもわからない
安売りが良いのだとしてもそれを理解しようとは私はあまり憶わない
しかし考えてみれば私もまたコピー
単一個体として人から生まれ
冷たさと温さの境界を彷徨いながら
適温を測ろうとすることでようやく
人の世で使い物に成る事を知った
成りたくもないものに生まれながら
それでも成りたいものを目指して
確証無きを信じて確証を求めていく
泣きわめく必要などは無いが
求めるものが有るなら
苦悩するのは当たり前の事である
私が知るモノ選びの基準は
値段の額でなしに「良いもの」で有る事が条件となる
それにはインスピレーションが最も有効だ
そうして得たものはいつまでも大事にするものだから
時に「ごくありふれた物」であっても
送られた相手は喜ぶことがある
それは送られた側がそこに
「ごくありふれているが特別なもの」を汲み取った場合だ
モノとはあくまで形でしかない
だが形だけであろうと
そのやりとりの中で人は通じ合うのだ
本来贈り物とは送り手の意識
送り手の心遣い
つまり送り手の存在そのもの
形だけのやり取りばかりを目にしてきたといっても
なにひとつ得るものがなかった訳ではないだろう
儀礼作法は例えそれが形式的に作られたものであっても
その形にきちんと身が納まる事で
形と心が一体となり美しいものに感じられる
どんなに人の世の荒んだ部分ばかりが目についても
自分だけは粗悪な振る舞いをしない
そうすることで人は人で居られるのだ
憎しみと怒りを捨てれば
その視野に映る世界は変わる
熱さと冷たさに翻弄されて叩かれて
これで良いのかと葛藤に生まれるその心を
出来る精一杯をもって形と表現する
その姿に心見れば
座る所作一つでも人を感動に導く事ができる
自分だけでも心美しくあろうと努めれば
他に何も問題はない筈だ