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私は相撲フアンでも、朝青龍フアンでもないのだが、
少し前、非常に耳障りな言葉がテレビで溢れていた。
横綱の「品格」
この「品格」って何だ?
「品格」とはこういうものだとはっきり言える人がどれだけ
いるのだろうか。分ったようで分らない。
しかし、テレビで所謂、識者とか呼ばれる人が
盛んに横綱の「品格」を問題にする。
考えてみれば「品格」と言う言葉が示す具体的な物は何もないわけで、
自分の好みのイメージを勝手に相手に投影しているにすぎない。
だから投影された本人に全く「品格の」責任など無いわけで、
要するに好みに合わないから「品格」が無いと言っているだけだ。
つまり「自分の美意識」に合わないと言っているわけだ。
しかし、これほど自分勝手な言い草もないだろう。
自分個人の勝手な好みの言い草なのに「品格」と言うと
誰もが共有するかの如く普遍的な響きに変化するから不思議だ。
「品格が無い」と言えばもっともらしく聞こえるが、
何の事は無い、「嫌い」だから「品格が無い」と言っているだけだろう。
百歩譲って、「品格」というものに対して日本人に共通認識があったとして
10代の子どもに「品格」を求めるバカはいないと思う。
20代に品格を求める人もまずいないだろう。
品格を求められるのは逆に朝青龍の「品格」を問題にする人々の年代だろう。
40を超えたら自分の顔に責任を持てといわれるが
横綱の「品格」を問題にする横綱審議委員会の海老沢勝二、内舘牧子の顔に
私などどう見ても「品格」を感じないのだが。
如何だろうか。
世の中、自分を振り返ってみて自分自身に「品格」があると思っている人が
どれだけいるのだろうか。
「品格」の無い人が相手に「品格」を求めるのもこれ如何にと私など思ってしまう。
もちろんこれは「品性」お下劣な私の意見だが。
もう一つ訳の分らん言葉がある。
「道義的責任」
「法律的には問題はないと言うが道義的責任をどう取るつもりか?」
記者会見などで自分を正義の権化と勘違いした何様記者が良く使う言葉。
そもそも、道義など本人の心の問題であって、人からあなたの道義はどうだとか言われる筋の
ものではない。だから本人が「別にやましいことはない」と言っているのに、他人が
その人の道義的責任やら倫理を云々するのは筋違いもいいとこだろう。
人や行為に対して好き嫌いはあるだろうが、それを道義や倫理にすり替えて批判するのは
まったくの無理筋というもの。
仮に道義を問題にするのであれば真実を報道しようとしないで私達を騙し、
権力の意のままに私達を操作しようとするマズゴミの社員である自分自身の道義的責任を
どう評価するのか。それこそ自社を告発すべきではないか、道義的には。
道義的責任やら倫理など生活や社会が安定しているからこそ意味のあるもので
自分たちが社会的安定を壊すことに加勢しておきながら
道義的責任やら政治倫理を云々するなどバカらしいの極みだ。
おのれが腐っているくせに私達に薄っぺらい正義を声高に押し付けて来る、識者
マズゴミにはもううんざりだ。
何で読んだのか記憶にないが
「職業に貴賎は無いが、生き方には貴賎がありますね〜」
と言った大工さんがいたとか。
マズゴミや識者とかいう偉い人には一度かんなやノコギリを持たせほうが良くないか。