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「国策捜査」という言葉は政治学で定着している言葉なのだろうか?
山陽国策パルプという会社があった、国策、つまり、国を挙げて産業を興す、官営富岡製糸工場、八幡製鉄所を思い出す。
国という言葉をもっと大事に扱ってくれ、と思う。
西側同盟国、国民主権を自称する政権下で、総選挙から逃げ回り、国権を私物化してるだけの連中の卑劣な行動に、「国」策なんて言葉を使ってほしくない。
私物化した国権を行使した策動が国策捜査? 違和感がある。「私立捜査」とでもいったほうがよいのではないだろうか。うまい言葉が出ない。
法律なぞあってなきが如し、「俺のやることが法律」だ。私物化した捜査、国権なぞ、民主主義、国民主権とは縁もゆかりもない。
中川の映像を見たとき、ショックだった、記者達が、つまらぬ講義にノートをとらされる、「素直だけが取柄の学生たち」にみえた。先生がどう答えるか知っている質問をして、先生のご機嫌をとろうとする学生達にみえた。これでは、石原が、記者の前で演説できるわけだ。文句言うと、記者室つぶして、食堂にでもしてしまうぞというわけか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E8%80%85%E5%AE%A4
その後、麻生のオバマ訪問での記事を読んで哀れにおもえた。日米関係の再確認だの、書くネタなしで造る「出張報告書」を思った。麻生がオバマを訪問したことなぞみなもう忘れてしまっている、具体的な成果なし、あの記事群はなんだったのか?
この国には、治安維持法は必要ない、平和、国民主権、民主主義の看板でも、いったん権力を手中に収めれば、「俺が法律になれる」、マスコミも「裏切らないで」ついてきてくれる。
恣意的法解釈(拡張された裁量権)と国民の民主主義的要請とはなじまない。誰が、何を、どこまでできるのか、それを明確に(法制化)する文化がない。そして、権力行使と責任の関係もない。
ヒトは常に善意で権力を行使するわけでない、この思想もない。