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(回答先: ナイ、ナイ ナインティナイ〜ン 投稿者 一鍼多助 日時 2009 年 3 月 08 日 14:46:05)
志?
三つのことを思いますね。
1)世の中、職業に、生きることそのものに、志を必要としていないではないかということ、医者、法律家、学校の先生、予備校の先生、、、だから、新聞記者だけに、志を持ってっていうのは、「何で俺だけ?」とおもわれるかもしれません。
医者や法律家は「高度な専門知識」がないとできません。
ご指摘どうり、ジャーナリストは、其れほど高度な専門知識は必要ない、その分だけ「志」の部分がその仕事に多く求められるのでしょうね。南米では、年間 相当数の「志が高い(?)」ジャーナリストが暗殺されてるそうです。
いまや、業界の利益擁護が 本来その志、視点の基礎足るべき「国民の利益擁護」に優先しているのが観客にミエミエになってしまっている。
2)志があっても、今のシステムでは志が遂げるのが難しい。これは、学校、職業選択のシステムの欠陥に由来するものとおもいます。
ジャーナリスト志望といえども、先ずは、会社を選ぶのですからね、読売だったら、ジャーナリストの前に、読売社員、中日だったら、中日社員ですよ。
いろいろな職業がありますが、看護婦さん、自動者メカニック、コックさん、金融のスペシャリスト、この人たちは、比較的自由に、職場を変えられます。
たいていは、学校で仕事の基礎を学んで、国家認定の資格を持っているからです。
この点、自由であるべきジャーナリストが労働市場においては、看護婦さん以下の自由しか享受できないんですよ。
こんな「不自由な人たち、とてもジャーナリストとはいえない」
私が、学校で専門知識、職業的訓練をジャーナリズムを学んどけ、と書いたのは、
1)ジャーナリスト的視点を学んでほしい、そのためには、世界史、人権史、国際政治、相当な勉強が必要だと思う。
2)学校でハードに勉強して、そのほかの専門職のように、修了証書でどこでも仕事ができるような労働市場、労働文化があれば良いと思った、そうすれば、ジャーナリストの自由が保障され、ジャーナリズムの質の向上が図れる。
3)社内先輩後輩の関係での「技術」伝授は、製造業ならともかく、開かれたジャーナリズムにはなじまない。
ということが頭に浮かんだんです。
今「志」で、ジャーナリズムの門を叩くヒトは少ないだろうし、採用されるのがむつかしいでしょうね、なぜなら、採用するほうに、「志」があるとおもえないからです。
3)ここまで追い詰めたら、小沢を政治的に失脚させる以外にないと思います。
小沢が、政権取ったら、いろいろな利権が剥奪される可能性がある。
だから、小沢を再起不能に叩く、その点て利害が一致している政権担当者と共闘中。
小沢失脚させたら、政権担当者からご褒美くれるでしょ。利権構造にはそのまましてくれるでしょ。小沢だって、マスコミの利用の仕方は知っているけど、野党党首になってから、マスコミ連中、背を向けた。今までのように、擦り寄ってこなくなったのを知っている。
そして今回の仕打ちでは、「はらわたが煮えくりかえっている」。志1割、個人的な復讐心9割ぐらいで、政権奪取後、マスコミの利権剥奪に動くかもしれない。
そしたら、足腰の弱い会社は吹っ飛ぶ。
または、今の政権担当者と同じ、腹の中では軽蔑しながらマスコミを利権のえさで操縦し「ちょうちん記事」かかせる。
プロレス興行の世界ですよ。
ジャーナリズムが死んだ? そんなのもともとないですよ。