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(回答先: 阿修羅は、今も昔も思想面での指導者を求める奴隷の群れなのだ。現実世界以上に自律心がない 投稿者 乃依 日時 2009 年 2 月 14 日 15:13:28)
>乃依さん どうもです。
>【ひとつ、ずっと心がけていることは、社会が全体主義に陥ることを阻止することなのです。阿修羅掲示板では、比較的高い知的水準を誇る人々が、まるで現実離れしたアイディアにのめり込み、それを中心として全体主義化する姿を見てきた。】
この辺は、Kあたりの意見に対する警鐘かな?とも思うのですが、違うような気もする。
Kは以前から首尾一貫して「相続税に目を向けるしかないよ」と主張し、それは、現実離れしたアイデアとも思えません。
家計の苦しくなった家庭では、家族のストックがあれば、それに目を向けるしか、乗り切る方法はないとも言えるでしょう。
日本の金持ちの人生余剰資産は「血族のためではなく、未来の社会に役立てる」
たった、それだけの変更が、現実離れと言うことはないですよね。
【全体主義】と言うイメージも色々な解釈が出来そうです。
全ての「就労難民」を「国家が保護するのが妥当」という意見であるなら、その先には、間違いなく「国家に依存し、国家に逆らえない、国家の庇護下に甘んずる人たちが生まれます。」
Kは日本国憲法の護憲派として、国家権力よりは庶民の権利が上位であると繰り返して主張していますが、それには「国民の自立心の向上も必要」でしょう。
他人や企業、国家に依存する先には、国家に隷属する未来しか描くことは出来ません。
公共の福祉とは「他人の人権をも配意した上の共同社会」です。
自分の人権侵害を許さない社会では、他人の人権も尊重しなくては実現不可能です。
とすれば、ルールは、「他人の人権尊重(公共の福祉) > 自分の自由 > 国家の権力」という順位になり、「ルールを守る人 > ルールを無視する人」の順位にならざるを得ません。
憲法により、ルールを守らない人には苦役も仕方がなく、ここには抑止力たる「厳しい態度」が必要でしょう。
これが、道理による、必然的な流れであり、目指すべきは「全体主義ではなく、ルールを守る、正直者の人権」にする必要があるのでしょう。
ルールというのは「国家の都合の治安維持」ではなく「良い社会を作るための共通認識としてのコンセンサツであり、それは、根拠のない人格攻撃等の人権無視行為の否定」というような物でしょう。
理詰めで追えば、「そうなるしかない」と思いますよ。
もっとも、これだけでは、非常に堅苦しい社会にもなりそうですから、そこに、どれくらいの「人情からの配意」を入れるかも問題でしょうけどね。