★阿修羅♪ > 雑談専用35 > 471.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 道理がわかるかもしれんが、Ddogは有害で公害ですからね。 投稿者 堀奈 日時 2009 年 2 月 11 日 15:15:49)
どうでも良いですが、個人の主観的な見解のよって「論理考証的な裏付けのないレッテル」を貼るのは不当な行為でしょう。
あの人嫌い、この人好き、という感覚だけで「人の評価をするべきではありません」とKは思っています。
現実的に「時間の無駄を実感させられたのなら」、同じあやまちを繰り返さない工夫をすれば良いだけで、その方法論としては、無視、対話拒否などもあるだけです。
しかし、理屈的に論証できないのなら、それは「自分が勝手に作ったロジックに自分が誤魔化され酔っているだけ」という可能性もありますから、排除論唱える方が違法性は高いでしょう。日本では「個人の信教と思想の自由は憲法で保障されています。」ただし、公共の福祉に反しない上でのことですし、他人の「信教・思想の自由も尊重した上」でのこととの前提条件もあるのです。
まあ、Ddogさんが、悪意の確信的詐欺師であるのなら別ですが、そんな風には見えませんので、行動干渉をするなら「した方がおかしい」のです。
自分とは考え方が違うと言うだけで「不当な差別」をするのなら、それは人権を全く理解していないことですし、パブロフの犬のように相手にまとわりつくのは、それも「人権無視的行動」です。
対話は双方の合意によって形成されるのが基本であり、相手が対話を拒否する自由は当然尊重されるべきですし、対話を拒否されるなら「拒否される原因」が自分の方にある可能性も考える必要もあります。
誰も相手の人の「自由時間を自分に付き合わせる権利などと言う権利は持っていない」のです。
まあ、これは、分かろうとしない人には、分からないかもしれませんね。