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(回答先: 弱者をカサに着て、一般的な意見をバカにする傾向が強いような気がします。 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2009 年 2 月 09 日 20:44:14)
最大多数の最大幸福さんの投稿を読んで、ふと表題の言葉を思い出しました。
「お菰さん(乞食)には、施しをせなあかんで」
これは昨年他界した私の母が、大昔、私がまだ子供だった頃、私に告げてくれた教訓です。
そのころ、道ばたには戦争で手足を無くした復員兵の人たちが物乞いしている姿を良く見かけたものです。
子供だった私は、彼らの異様な姿に怯え、走って逃げ帰り、怖かった気持ちを母に話しました。
すると母は上記のように私を嗜めたのです。
その後、私は言いつけどおり、物乞いに出会ったら小銭を施し「お大事に」と声をかけるようにしていましたが、正直言って「なんで施しなんか、せなあかんねん」と、思い続けていました。
それから月日が流れ、私が大人になってから、母とその時の思い出話をしたことがあります。
私は母の「優しさ」を讃えるつもりで切り出したのですが、母は意外な答えを返しました。曰く、
「優しいんとちゃう。感謝の気持ちや」
いや、びっくりしましたね。まったく予期していなかった答えですから。私は真意を聞いてみたくて、なおも訊ねました。
「せやけどオレ、お菰さんに『恩』なんかあらへんで」…と。
それから、かなり長い間話し込んでいましたが、全ての話を聞き終わった時、私は目から鱗が落ちる気持ちになったのです。
母の話の概要は以下のようなものでした。
「人間、一寸先は闇や。明日は我が身という言葉もある」
「ひょっとしたら、今の今、お前がお菰さんになっていたかも知れへんで」
「せやから、不幸な人を見たら、『あーこの人はオレが味わう予定やった不幸を、代わりに引き受けてくれたんやなぁ』…と思え」
「今、お前が不自由なく暮らしていけるのは、その不幸な人が身代わりになってくれたお陰なんや」
「そう思たら、憐憫や奢りでなく、感謝の気持ちで施しできる」
まるで坊さんのお説教みたいな話ですが、母はインテリで宗教とは無縁の人でしたから、それは神や仏の教えじゃなく、母自身が培ってきた『人生訓』だったのでしょう。
私は大いに感心しましたが、正直なところ、その時の母の年齢を超えた今でも、そこまでの境地には至っていません。残念ながら…。
親切にしてやった相手が、礼も言わないとなれば、やっぱり少し「ムカッ!」ときます。
「ちょっとは感謝せんかい!」…とね。でも、そこまで口に出かけて、ふと思い直すのです。
「あっ、感謝の気持ちがないのはオレの方だった」…と。
くだらない昔話しで、お目汚しだったかも知れませんね。
でも、ちょっと心が荒んで攻撃的になってしまった時、私は母のこの言葉を思い出すのです。
最大多数の最大幸福さんにも、この言葉が届けばと思い、唐突に話させて頂きました。
別に親記事に対する批判じゃありません。
「こんな考え方もあるんだな」と、参考にでもしていただければ幸いです。
あと3ヶ月ちょっとで母の一周忌。改めて親の恩が身にしみる今日このごろです。(合掌)