★阿修羅♪ > 雑談専用35 > 172.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: Re:なるほど。生産手段と資産がない人間は失業すれば無一文となる 投稿者 パルタ 日時 2009 年 1 月 18 日 16:45:00)
少し、考えてもらえば自明の理のことなのですが、世界的不況下では、海外の購買力が低下し、外需産業は落ち込み、生産調整に入って、労働力は余ってしまうのです。
こうなると、今まで、外需が稼いだ銭で購入していた、第一次産業生産品、特に食料の購買能力は低下します。
その分は、日本国内で生産するのが妥当であり、ここに必要労働力が発生します。
ここに、生産調整によって余った労働力を振り向ければ、すべて解決します。
日本の国には、過疎による労働力不足で荒廃してしまった農地など多くあると思います。
受刑者などは、そこで労働をさせればいいのです。
特に凶悪犯罪の受刑者は、死刑を廃止する代わりに「国営農場で、一日10時間くらいの生産活動に65歳くらいまで強制労働させれば良い」のです。
そうすれば一概に「生かしておいても、国の税金を食いつぶすだけで、無益な存在」とは言い切れなくなるでしょう。
ただし、刑罰というのは「罰」なのですから、一日8時間労働という、一般的労働者と同じ人権保護は少し考える必要があります。
一日、2時間残業くらいは娑婆では、ごくありふれた状態ですから、その程度の労働加重は考えるべきでしょう。ただし、過労死する危険域までの労働は求めず、定期的に休息、休憩、休日も与えます。
外需産業が立ち直り、「民間企業が元気になれば、貿易で食料等も買えるようになる」ので、国営農場は生産量が低下しても良いのです。
つまり、ここは変動する必要労働力の調整弁になり得るのです。
晴耕雨読というよりは、晴民雨官という方が良いかもしれませんが、そうゆうことです。