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ガザ地区で多数の一般市民の被害者が出ている。
国際社会は、イスラエルとハマスに対し、即時停戦を求めたが、戦闘は続き、イスラムの一般市民の被害者が続出している。
イスラエルの停戦条件は「ハマスへの武器の供与の停止と、ハマスのロケット弾攻撃の停止」
ハマスの停戦条件は「イスラエルの即時撤退と、ガザ地区へ経済封鎖の解除」である。
この双方の言い分を聞く限り、ハマスの方が折れるか、ハマスの方が、一般市民を盾にするような戦術を止めるしか、一般市民の被害がなくなる方法はないと思う。
仮に、強い者と弱い者がいたとして、「弱い者が自分の方が弱いことを認めたくないという感情論に走ることはある。」
判官贔屓の気質のある日本人は、ついつい弱い方に肩入れしたくなるだろうが、強い方に「殴られても耐えろ」というのは理不尽である。
弱いくせに、それを認めようとせずに、感情論にまかせて殴りかかる方を止めない限りは争いは治まらない。
常に先に手を出すのは誰か?
正当防衛のための戦闘活動を止めろと言うのは、自分が安全地帯にいる評論家でしかない。
その上で、被害を受けているのは一般市民である。
一見すると、直接的加害者は「イスラエル」である。
しかし、考えてみると、これは喧嘩のとばっちりを受けた状況である。
具体的に比喩すれば、弱い奴が、弱いと認めたくないために、強い奴に殴りかかり、強い奴が殴り返してきたら、関係ない人の影に隠れ、関係ない人を盾にして殴られないようにしているという状況と言うことである。
卑怯きわまりないことであり、許されないことであるだろう。
このような状況の時は、直接的加害者の罪はないと言えないまでも、関係ない者を盾にする者こそが「本当の意味の加害者」というのだろう。
「ハマスが、そのように行動せざるを得ない背景こそを考えるべきだ。」というような意見はあるだろう。
しかし、そんなことを主張されても意味はない。
未来への分岐点は常に「今現在」であり、過ぎ去った過去には「すでに戻れない」のである。
つまり、明日を少しでも良くするためには、今を起点として、今の状況下の中で、選び取る道を選択するしかないのである。
過去に戻るというのも、過去に近い未来という道を選び取ったにしか過ぎず、失われた生命が還ってくることはなく、決して、時間が巻き戻せるわけではないのである。
おそらくは、このようなことをハマスの戦士に訴え、ハマスが折れるしか道はないのだと教えてやることが本当の意味の親切なのだろうが、直接的加害者であるイスラエルを恨む市民と、弱いことを認めようとしない感情論に陥っているイスラムの人に、こんな「理を説いてやっても恨まれ、下手すれば殺されるくらいなのだろう。」
救いのないことである。