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アイリーン・ウェルサム(プルトニウムファイル著者)のインタビュー(院長の独り言)(大変重要なインタビュー)
http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/199.html
投稿者 こーるてん 日時 2012 年 10 月 30 日 22:44:40: hndh7vd2.ZV/2
 

転写開始

http://onodekita.sblo.jp/article/59641109.html
2012年10月29日
アイリーン・ウェルサム(プルトニウムファイル著者)のインタビュー
米国が行った放射能による人体実験を暴いた本 プルトニウムファイル

http://www.amazon.co.jp/dp/4881359037/ref=as_li_ss_til?tag=hamutaro00-22&camp=1027&creative=7407&linkCode=as4&creativeASIN=4881359037&adid=1VKGHXGME54XDD7J785E&&ref-refURL=http%3A%2F%2Fonodekita.sblo.jp%2Farticle%2F59641109.html

http://www.amazon.co.jp/dp/4881359045/ref=as_li_ss_til?tag=hamutaro00-22&camp=1027&creative=7407&linkCode=as4&creativeASIN=4881359045&adid=19E2HNGC7T11AACHVD7D&&ref-refURL=http%3A%2F%2Fonodekita.sblo.jp%2Farticle%2F59641109.html

The Plutonium Files
http://www.youtube.com/watch?v=WT6wCfiOZxg&feature=player_embedded
 翔泳社から2000年に出版されていますが、現在は絶版。見ておわかりの通り、中古市場で1万円以上します。熊本市図書館で借りて読みましたが、中は驚くべき内容が羅列してあります。あの悲惨な人体実験だったヒロシマ・ナガサキですら、核兵器の歴史の中ではごくごく一部を占めているに過ぎないことがよくわかります。入手することはなかなか困難(私は出版社に再版願いを出しましたが・・)ですので、借りて読まれることを強くお勧めします。米国でさえこの状況としますと、(米国だからこそかも知れませんが)今後もかなり厳しい戦いが続くことになると思えます。

p.222 『降下物をめぐる論争は1950年代に始まり、その中に身を置いたウォーレンはいつのまにやら、エドワード・テラーやノーベル賞学者ウィラード・リビーなど、熱烈な核実験推進派のなかまになってしまう。核分裂産物は身体に安全だと叫び立てる科学者の「危険ゼロ」合唱に声を合わせた。また彼は、一定以下の放射能は無害だという、今はすっかり否定されている意見を吐きまくった。』

 未だに日本では御用学者共が、一定以下の放射能は無害だとウソばかり述べています。こんなウソはとうの昔に撲滅された理論のはずが、日本では未だに大手を振って「ただしく怖がる」という変な造語とともにマスコミで吹聴されているのはみなさまご存じの通りでしょう

プルトニウムファイルの筆者のインタビューをツイッター上で紹介してもらいました。何人かの方が視聴され、このインタビューは現在の日本人にとって知らなければならない内容だとのことで、有志の方に日本語訳をしていただきました。少々長いですが、非常に重要な指摘が含まれていますので、是非お読みください。
 それにしても、ネット上におられる多彩な方々にはいつも頭が下がります。


(翻訳)
デモクラシー ナウ オルグ ドット コムによる
「プルトニウムファイル」の著者アイリーン ウェルサム氏へのインタビュー

登場人物
番組司会者:エイミー グッドマン  (以下、「司会」)
著者:アイリーン ウェルサム (以下、「著者」)

司会 デモクラシー ナウのグッドマンです。
マサチューセッツ州の学校で、73人の障害児が、放射性同位体入りのオートミールを食べさせられておりました。介護者にスプーンで口に運んでもらっていたのです。
ニューヨーク州の病院では、18歳の女性が、脳下垂体の異常で治療を受けていると思っていましたが、実は、プルトニウムを注射されていました。
テネシー州の医療機関では、829人の妊婦がビタミンカクテルを飲んでいると思っていましたが、そのカクテルには放射性の鉄が含まれていました。通常の治療の一環として処方されていたのです。
これらのことは、テロリストや犯罪者によって行われたことではありません。アメリカ政府が秘密裏に、疑うことを知らない自国民に行った放射能に関する実験の一部なのです。これらの実験は、原爆製造計画の一環として、数十年にわたって行われました。
身の毛がよだつような企みが30年も続きました。アメリカの原爆製造計画に参加した医者や科学者は、被験者になることを望んでもいないし、知ることさえなかった何千人もの人々を有害な放射性物質に曝し、その影響を調べようとしたのです。
アメリカ政府による実験については、そして、誰がモルモットにされたのかは、これまでずっと隠されていましたが、6年もの調査を経て明らかになりました。ジャーナリストのウェルサムさんが、18人の人間モルモットが誰であったかを突き止めたのです。これらの人々は何も知らずに、1940年代に、アメリカ政府の科学者にプルトニウムを注射されました。
ウェルサムさんは、自らの調査結果をまとめ、アルバカーキトリビューン紙に連載し、ピューリッツアー賞を受賞されました。また、さらに6年を費やして本にまとめました。「プルトニウムファイル ー 冷戦下におけるアメリカの極秘医学人体実験」です。
コロラド州ボールダーにお越し頂いております。ウェルサムさん、今日は、よろしくお願いします。

著者 こちらこそ。今日は、お招き下さいまして、ありがとうございます。

司会 これまで何年にもわたって、ウェルサムさんとはお話する機会がございましたが、今日は、ご著書をまとめるまでの過程についてお話くださるとのことで、コロラド州ボールダーにいらして下さいました。今は、デンバーにお住まいなのですね。今回は、このようにご一緒でき、貴重なお話を伺えますことを本当にうれしく存じます。
まずお伺いしたいのですが、何がきっかけで、このような実験が行われていたのではないか、と思われたのですか。

著者 えっと、初めにご紹介頂きましたように、私は、アルバカーキ トリビューン誌の記者でした。そして、アルバカーキの空軍に関して調査しておりました。空軍基地が、なにかの片付けをしていたのですが、ある書類に目が留まったのです。それには、空軍基地の放射性動物の集積所について記されていて、好奇心にかられました。どんな動物が集積所にいるのか、なぜ放射性動物なのかと。ですから、空軍基地に参りました。
当時は、「空軍特別武器研究所」と言われていました。そこに参りましたら、大きな書架からホコリだらけの動物実験に関する報告書を出してくれました。それらの文献をななめにざっと読んだのです。まあ、こわかったですよ。ビーグル犬にガンを発生させ、その進行を観察し、何年生きるのだろうかと見守り続けるとか、放射能が引き起こす疾病の進行に関するグラフを書くとか書かれてありましからね。
でも、新聞記者としては、報道すべき話題はないな、と思いました。古い実験でしたし、ぞっとするような話であったとはいえ、新聞記事のネタとしての価値はないなと。金曜の5時だし、家に帰りたくてたまらなかったのですが、せっかくここまで来たのだし、無駄足踏んだとは思いたくなかったので、文献に目を通そうかと報告書のページをどんどんめくっておりました。そうしたら、脚注に目が留まってしまったのですね。その脚注には、18人の人々にプルトニウムが注射されたと書いてありました。
もう椅子から転げ落ちんばかりに驚いて...本当にショックでした。だって、政府が18人の人々にプルトニウムを注射したのですよ。それで、急いでできるだけ多くのことをメモしました。
そして、次の日の土曜日に、大学の図書館に行って、科学者達に関する報告書を探すことから始めたのです。本当にそこから始めたのです。
脚注に目を留めた理由をぜひ申し上げておきたいのですが...脚注に目が行ったのは、脚注には都合の悪いことが書いてあるということを経験上知っていたからなんです。それ以前、私は、企業の会計報告書を扱かっていたのですが、会社がなにか悪いニュースを記載しなければならない場合、必ず脚注に書くのです。それで、脚注に目が行ったのです。

司会 それでどのように、実験の全体像を暴いて行かれたのですか。

著者 えっと、ここが問題なのですが、あのう、私が見つけた文献には、いくつかの科学的な報告があると記されていたのですが、でも、これらの人々は...とにかく、私は、これらの報告書を手に入れ、片っ端から電話をかけました。そうしたら、18人の人々がプルトニウムを注射されたということがわかったのですが、識別番号が付けられているだけで、名前等はわかりませんでした。
ですから、調査にあたっての問題は、30年から40年前にプルトニウムを注射された18人を、何百万人もの中からどうやって見つけるか、ということでした。これは不可能だなあ、と思いました。
それで、ええっと、非常に大ざっぱなやり方をしました。レポート用紙1枚に識別番号の1つを書き、18枚の用紙を用意しました。そして、文献から得られた情報と番号とを突き合わせました。「この人のことは、この番号かな」と、番号別の用紙に書き込んでいったのです。このような作業を続けていったところ、彼らの年齢、注射された日、どのような病気であったのか、解剖または生検が行われたのか、そして亡くなった日などがわかったのです。えっと、それからは...それからは、作業を行いながらヒントを探すという繰り返しでした。

司会 では、18人のうちの1人についてお話くださいませんか。

著者 そうですねえ...私は、ジャーナリストとして特別研究員となっておりましたので、連邦政府に情報自由法に基づく情報開示請求をしておりました。そして、この実験に関する小さなファイルを受け取りました。
受け取って見てみたら、...まあ、あらたな視点で見たと言うか、再度、受け取った書類を見直した訳です。そうしたら、これらの書類からは、いろいろと削除されていることに気づいたのです。患者の名前は消されているし、患者を診た医師の名前も消されているし...また、一つの文に目が留まったのですが、なんと書いてあったかと言うと、「内科医の誰々は、...あっ、ごめんなさい、医師の誰々は、テキサス州のイタリー市の牛3号の内科医に連絡した」とありました。
「テキサス州イタリー」という言葉が、私の目に飛び込んできました。そのときまでに、私は「牛3号」について、かなり知っておりました。「牛3号」というのは、黒人男性で、80歳で、プルトニウムの注射をされてから3日後に左足を切断された人なのです。ですから、この人は、テキサス州イタリーに住んでいたのであろうと思った訳です。それで、そこに行って、家という家をすべて訪ねて、この男性を探し出そうと決めました。

司会 今日は、ピューリッツアー賞受賞者であるウェルサムさんにお話しを伺っております。どのようにして、連絡を取られたのかお聞かせください。

著者 ええっと、まず地図を取り出して、テキサス州イタリーを探し、サウスダラスの南から約60マイルだということがわかりました。番号案内に電話をし、イタリー市の市役所の電話番号を教えてもらいました。市役所に電話して、自己紹介をし、探している男性の特徴を申し上げました。そうしたら、「お探しの方は、アレンさんだろうけれど、去年、亡くなりましたよ」と言われました。「奥さんの電話でよかったら、教えてさしあげられますが」と言われたので、「もちろんお願いします!」と言って、電話番号を書きとめ、奥様にすぐにお電話したのです。

司会 奥様には、どのようにお話になったのですか。

著者 ものすごく慎重にお話ししました。奥様を驚かせたくなかったし、怪しい人間だと思われたくなかったからです。また、奥様には、正直なところをお話し頂けたらと、覚えてらっしゃることを教えて頂けたらと思っておりました。それで、単に、「私は、ある書類を持っております。あなたのご主人が、政府出資の研究に関わってらした可能性があるのですが、それについて、お話を伺えたらと思いまして」と申し上げました。

そうしたら、奥様は、娘に話してくれないかと仰ったので、娘さんに電話しました。娘さんは、電話口でとても静かでした。これまでのことをお話ししたら、「家にいらして下さい」と言われました。それで、テキサス州イタリー市に飛び、娘さんの家の食卓でお話しました。インタビューが終わる頃には、私も、彼の家族も、「18人のうちの1人が、初めて見つかったのだ」と思いました。

司会 彼というのは、アレンさんのことですね。

著者 アレンさんのことです。

司会 アレンさんについてお話しください。アレンさんは、病院でプルトニウムを注射されて、どうなったのですか。

著者 アレンさんは、鉄道のポーターでした。奥さんと、1940年代半ばにサンフランシスコ湾岸に住んでいました。その前は、テキサス州に住んでいたのですが、より良い生活を求めてカリフォルニア州に引っ越したのです。2人の子供に恵まれたのですが、アレンさんは、シカゴで列車から落ちてしまい、足を怪我してしまいました。そのため、医療制度に組み込まれることになりました。アレンさんが実験に参加することになったのは、怪我をして病院に行ったからなのです。
アレンさんの足は回復しなかったので、医者に通い続けました。そうしたら、何の因果か、カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校医学部付属病院に廻されました。そこでは、アレンさんを放射能に関する実験の被験者として選び...それであのう...

司会 でも、アレンさんは、そのことを知らなかったのでしでょう。

著者 ええ、ええ、もちろん知りませんよ!知るはずがないのです。病院に言われたことは、膝に骨肉腫があり、命を救うためには足を切断しなければならない、ということだったのです。
本当に膝にガンがあったのかという疑問は残りますし、それには私もお答えできません。でも、足の切断の3日前に、医者は、アレンさんのふくらはぎの筋肉にプルトニウムを注射したのです。

司会 医者がどのように足に的を定めて注射したかということを、アレンさんは奥様にお話になったのですか。

著者 ええっと...あのう...後になって私は、奥様の同意を頂いて、アレンさんの医療記録をカリフォルニア大学サンフランシスコ校から入手することができました。その記録には、医者が注射する前に、ふくらはぎに的を定めた、ということが書いてありました。

司会 とにかく、アレンさんは、アメリカ政府の人体実験の被験者であることを決して知らなかったのですよね。でも、アレンさんは、何かを疑わしく思ってはいたのでしょうか。

著者 ええ。アレンさんは、テキサス州イタリーの友達に「医者達がしょっちゅう僕の病室に出入りし、医療行為をするフリして、実は僕のことを観察していたんだ。僕をモルモット扱いしていたんだ」と話しておりました。

司会 私どもの番組では、娘さんにも何回かお話を伺いました。娘さんも、お父さんがそのように仰るのを聞きながら育った、と話されていましたね。そして、娘さんが大学進学のために家を出るとき、お父さんに「気をつけろ。決して、アメリカ政府のモルモットになってはいけない」と言われたのだそうです。娘さんは、お父さんが怒りや恐怖で震えているのではないか、政府の実験台にされたという被害妄想を抱いているのではないか、といつも思っていたとのことでした。

著者 ええっと...悲しいことにですね...アレンさんにとって悲劇だったことは、まわりの人が誰も彼の言うことを信じてくれなかったということなのです。
アレンさんは、医者に行き、なにかを注射された思うと言ったのですが、医者はアレンさんのことを、偏執病で統合失調症だと診断しました。その一方で、その医者は、オレゴン国立研究所の原子力科学研究者達に連絡を取って、「細胞の標本を送りましょうか」と...

司会 ちょっと、ちょっと待って下さい。その医者は、アレンさんを偏執病で統合失調症だと診断した上に、アレンさんの細胞の標本を政府の実験担当研究者に送ったのですか。

著者 その通りです。医療記録にもそのように記されています。アレンさんは、1947年に、放射性同位体を注射されたときに使われただけではなく、その後も亡くなるまでモルモットとしてずっと使われ続けたのです。

司会 例えば、ニューヨーク州のロチェスターに送られたとかですか。

著者 ええっと、実験には、二段階ありまして...ええっと...70年代に...70年代の原子力科学者の第二世代は、この実験のことを見つけてしまって、すべてを掘り返したくなったのですね。つまり、プルトニウムを注射されて亡くなった人たちについて、調べ直したいと思った訳です。また、まだ生きている人たちを実験室に呼び戻して、さらに調査したいと考えたのです。それで、アレンさんも、追跡調査のために実験室に呼び戻されました。

司会 どのような口実で呼び戻されたのですか。だって、アレンさんは、自分がアメリカ政府のモルモットだったということは知らなかったのでしょう。

著者 科学者達がアレンさんに言ったことは、医療記録にも記されていますが、あのう、なんと言ったかというと、「あなたには進んだガンがあったというのに、なぜこんなにも長生きしているのかを知りたい」と言ったのです。

司会 ウェルサムさんをお迎えしています。ピューリッツアー賞を受賞されたジャーナリストでおられます。アメリカ政府にプルトニウムを注射された18人の人々の存在を、世間に知らしめた方です。
番組の後半では、どの科学者が実験に参加したかをお伺いするとともに、グループ実験についてもお聞きします。
何百人もの人々に放射性物質が与えられたのですが...ええっと、マサチューセッツ州の数十人の障害児には、放射性同位体入りのオートミールが与えられましたし、何百人もの妊婦には、、、ええっと...いわゆるビタミンカクテルが供されたのですが、それには、放射性鉄が混ぜられていました。
これらのことは、最近まで、誰にも知られずにいたことですが、一体、どのように行われたのでしょうか。

(前半終了)

司会 デモクラシー ナウのグッドマンです。今日は、冷戦下でアメリカが秘密裏に行ったプルトニウムに関する実験についてお話を伺っております。コロラド州のボールダーのスタジオには、ピューリッツアー賞を受賞されたウェルサムさんにお越し頂いております。今は、デンバーにお住まいとのことです。
私達が、歴史を教訓とし、過去の悲劇を繰り返さないためには、市民一人一人が知識を持つということが大切でしょう。
では、プルトニウムを注射された人々の人生についてお話を伺うとともに、彼らに注射した人たちの人生についてもお話をお聞きしたいと存じます。まあ、この実験は、タスキーギの実験に少し似ているところがありますね。
まず、教えてください。誰が中心となって、この実験を行ったのですか。

著者 この実験の発端は、マンハッタン計画です。ご存知のように、マンハッタン計画は、原爆製造計画で、1940年代の初めに始まりました。物理学者達と医学者達が強力しあったのです。彼らは、武器製造工場/格納庫の労働者をどうやって守るかということに関心がありましたし、また、新らたに見つけられた放射性同位体が、人体にどのような影響を与えるのかを突き止めたいと考えていたのです。
ですが、基本的に彼らは...科学者や医学者は、ノーベル賞受賞者のフェルミ氏や、原爆の父といわれたオッペンハイマー氏などの下という位置づけでした。

オッペンハイマー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC

司会 フェルミ氏やオッペンハイマー氏は、このような実験が行われていることを知っていたのでしょうか。

著者 明らかに、記録には、オッペンハイマー氏が患者にプルトニウムを注射することを承認した、と示されております。なぜかというと、当時ロスアラモスでは、深刻な汚染問題と格闘しており、ロスアラモスの研究所で働いていた研究員達が、自分の健康について心配していたからです。

司会 おもしろいですね。オッペンハイマー氏は、バークリーの出身だったじゃないですか。そして、先ほど取り上げたアレンさんは、カリフォルニアで注射されましたし...

著者 そうなのです。原爆製造計画には、巨大な構成要素がありまして...サンフランシスコ湾岸にです。

司会 具体的にはどこですか。

著者 カリフォルニア大学バークリー校と、カリフォルニア大学サンフランシスコ校です。

司会 では、軍と大学が協力したということですね。「軍学協同」とでも申しましょうか。

著者 ええ、まったくその通りです。マンハッタン計画の時には、大変奇妙な混成体で、いろいろな人々がおりました。軍人、軍関係者、そして大学のモルモットにされている人々の混合体でした。

司会 墓泥棒をしていたということはあったのでしょうか。つまり、墓を掘って死体を盗み出すというようなことは...

著者 あのう、そのようなことがあったか...えっと、それについては...そのような直裁的な言い方をして良いものか、私にはわかりかねるというか、ちょっと私には出来ないのですが...でも、死体を掘り返したのは確かです。

((onodekita)死体の掘り返しのことは、プルトニウムファイルに書かれています。なぜ、言い淀むか不思議。髪の毛を分析して、プルトニウムを検出したとも書かれています。つまり、ごく微量のプルトニウムでも検出することは十分可能だという証拠です。日本政府は、明らかにプルトニウムの飛散状況・測定について、隠蔽しています)

司会 ご遺族の同意の上でですか。

著者 ご遺族の同意を求めたのですが、そのときに、お墓を掘り返す本当の目的は伝えませんでした。

司会 では、なんと言ったのですか。

著者 亡くなった人々に何らかの放射性同位体か化学物質が与えられていたので、ご遺体がどうなっているかを拝見したい、と言ったのです。

司会 まあ、本当のことではありますね。

著者 ええ、でも、プルトニウムという言葉は用いませんでした。

司会 ああ、なるほど...それでは、科学者の名前は挙げられますか。そして、彼らの見解がどのようなものであったのか、教えてくださいませんか。

著者 私が調査を行っていたとき、マンハッタン計画のアシスタントメディカルダイレクターであったフィデル氏はご存命でしたが、他のほとんどの科学者は亡くなっていました。

司会 マンハッタン計画は、原爆製造計画ですよね。

著者 そうです、原爆の。でも、それ以降というか、最近の調査を行った科学者達は、これらの実験調査は...うーん...核兵器工場/格納庫の労働者を守るために重要であったと述べたり、または、無害であったと述べて、擁護しておりました。

司会 では、実験について見て参りましょう。えっと、18人がプルトニウムを注射されたのですが、そのことを、誰一人として知りませんでした。そして、実験は、それだけでは終わらずに続けられました。マサチューセッツのファーノルド校では、73人の障害児に、介護者達が放射性同位体入りのオートミールを食べさせましたね。どうなったのですか。

『プルトニウムファイル(下)』より
鉛で覆った注射器と鉛張りの手袋を使って被験者に放射性同位体の溶液を打つオークリッジの医師(オークリッジ大学連合)
http://onodekita.sakura.ne.jp/sblo_files/onodekita/image/2012102901.jpg

著者 えっと、このケースでは、これは、栄養学上の調査であると説明されました。放射性カルシウムと他の放射性同位体が与えられていたのです。

司会 毎朝ですか。

著者 ええ、オートミールに混ぜられていたか、ミルクに入れられておりました。男の子達は、何を食べさせられているか知らなかったし、親達も知りませんでした。それどころか、「この食事は、とても栄養があるんだよ。子供のためにいいんだよ」と、言われていたのです。
その一方で、血液のサンプル、尿にサンプル、便のサンプルなどを提出するように求められていたのです。

司会 どのくらいの期間続けられたのですか。

著者 何年も続きました。この男の子達は成人しましたが、1990年代になるまで、自分たちに何をされたのかを明らかにすることはできませんでした。

((onodekita):このような実験に参加する見返りとして、様々な特典があった−クリスマスのプレゼントや旅行など−とプルトニウムファイルに書かれています。)

司会 ニューヨーク州の病院では、18歳の女の子が脳下垂体の異常で治療を受けていたと思っていたのですが、プルトニウムを注射されていたのですね。

著者 えっと、この女の子の場合は、先ほどのアレンさんと同じように、医療制度に組み込まれてしまいました。行った病院も、行った時期も、悪かったということなのです。それで、注射されてしまいました。

司会 テネシー州の医療機関では、829人の妊婦が通常の治療の一環として、放射性の鉄を飲まされていました。その人達は、何を飲んでいると思っていたのでしょうか。

著者 これは、第二次世界大戦直後に行われた調査なのですが、病院にやってきた女性達は、ビタミン剤を飲んでいると思っていました。お腹の赤ちゃんにいいと思っていたのです。でも、実際は、どのくらいの早さで、放射性の鉄が妊婦の胎盤に到達するかを調べる実験だったのです。

司会 どこで行われていたのですか。

著者 ナッシュビルのバンダービルト大学です。

司会 それで、担当は誰だったのですか。

著者 バンダービルト大学の科学者達です。

司会 それで、妊婦さんたちは、どうなったのですか。

著者 多くの症状が出ました。皮膚疾患、ガン、血液の異常などです。生まれた子供達、つまり、実験中にお腹にいた子供達のなかには、後にガンで亡くなった子供もおりました。この子達がかかったガンというのは、普通、幼い子供がかかるガンではなく、たいへん奇妙なものだったのです。

司会 医師や看護士のなかで、内部告発をする人はいなかったのですか。

著者 内部告発する人なんて、誰もいませんでした。医師達は、閉鎖的でしたし、この実験は、科学的に価値があり、自国を守るために必要だと考えていたのです。

司会 患者達が、夜中に病院の地下室に連れて行かれて実験されたというのもありますが、どこの話ですか。

著者 この実験は、オハイオ州シンシナティで行われました。これもまた、軍と医学界との混合体で行われた「半軍半医」による実験でした。

(訳注: 「シンシナティでは、200人もの患者が15年以上の期間にわたって放射線を照射された。」http://en.wikipedia.org/wiki/The_Plutonium_Files より引用。)

「半軍半医」が行う実験には、多くの場合、問題があります。どういうことかというと、医学的には患者に良いことであっても、軍事的な観点からは最善な実験ではないということがしばしばあるのです。
ですから、この実験は、ガン患者に対して行われたもので、患者達はガンに効きますよ、と言われていました。でも実際には、医者達は、原爆が炸裂した場合、兵士達がどのくらいの期間にわたって生きられるかを見極めようとしていたのです。

司会 ピューリッツアー賞受賞者のウェルサムさんにお話を伺っております。ウェルサムさんの記事は、アルバカーキ トリビューン紙に連載され、その後、「プルトニウムファイル」という本にまとめられました。
この告発本は、クリントン政権のときに、発行されたのですね。クリントン大統領は、放射能の人体実験に関する諮問委員会を設置し、数百もの人体実験プログラムが明るみに出されました。
注目すべきことに、諮問委員会の報告書、つまり最終報告書は、1995年10月3日に発表されましたが、この日は、O.J.シンプソン事件の判決が下る日でしたね。
(苦笑しながら)報告書について報道されたとか、報告書に人々の関心が集まっているということはなかった、と記憶しているのですが。

著者 (首を振りながら)本当に残念なことなのですが、あのう、国中の人々は、みんなO.J.シンプソン事件に関心を寄せていて、あのう...

司会 あの頃は、みなが毎日O.J.シンプソンに対する判決を今か今かと待っていたときです。明らかに、あのう...政府は、国民の関心が他のことに向いていることを承知の上で、報告書を発表しました。

((onodekita)規模は異なりますが、この手法は原子力村のプレスリリースにも使われます。いつ、地方議会が開かれるか、その日何があるかを調べ上げた上で話題にならないようにリリース。一日の新聞の紙面量、ニュース時間は限られていますので、注目が少なくなります。全米が何かの事件に夢中になったときには、その意図を考える必要がありますね)

著者 あのう、そのように考えたことはなかったのですが...えっと、まあ可能性としての話ですが...あの...

司会 (笑いながら)まあ、とにかく、結果は出されたということですね。

著者 ええ、とにかく結果は出されましたが、誰も関心を払わなかったのです。

司会 それで、どのような結果だったのですか。

著者 基本的に確認されたことは、アメリカ国民に対して何千もの実験が行われたということ、そして、被験者になったのは社会でも一番の弱者であったということです。つまり、子供、若者、公民権のない人、貧困者、有色人種であり、質問をするということさえ知らない人々だったということです。
言葉を換えて申せば、被験者は、医者の子供ではなかったし、医者の友人ではなかったのです。弱い立場の人々が被験者になったのです。

司会 アメリカの何カ所で行われたのですか。マサチューセッツのファーノルド校、シンシナティの実験...アレンさんは、カリフォルニア大学バークリー校で注射されましたし...何カ所の場所で、政府の科学者達は働いていたのでしょうか。

著者 何百もの場所でです。私立病院、公立病院、軍事施設、孤児院など、医者の職場であるなら、どんなところでもです。放射能を扱っており、研究予算を得て論文を書けるところなら、どこででもです。

司会 監獄はどうですか。

著者 ええ、本当に本当にむごたらしい実験がありました。あの...あのう、囚人の睾丸に放射線が照射されたのです。

司会 その実験は、どこででしたか。

著者 えー、主にオレゴンですね。この実験は、NASAのために行われたのです。アメリカ航空宇宙局は、宇宙飛行士が宇宙で受ける放射線に関心を持っていたからです。

司会 それで、囚人達はどうなりましたか。

著者 私がインタビューした囚人の多くは、いまだに獄中におりますが、彼らの多くはありとあらゆる健康上の問題を抱えています。ガンであったり、その他の健康障害もあります。

司会 訴訟についてお聞かせください。

著者 たくさんの、本当にたくさんの訴訟が起こされました。何家族かは、賠償金を受け取りました。あの...プルトニウムを注射された患者達の家族は、平均で40万ドルを受け取りましたが、これが最高金額だと思います。他の被験者に関しては、これよりも少ない金額でした。

司会 今という時代をどう思われますか。私たちは、なにかの教訓を得たのでしょうか。今、お話を聞いている人々のなかには、疑問を抱き始める人も多くいるだろうと私は思うのですが。

著者 ええっと私が...私が思うに...自分自身を守ること、患者としての自分や大切な人を守るということは、質問をすることによってなし得ると思います。また、自分たちを守るためには、このような恐ろしいことが二度と起きないようにするためには、日々の生活で行われていることがl隠されておらず、情報が公開されているようにすることが大切だと思います。なぜなら、情報が公開されていることにより、恐ろしい芽が摘み取られることになりますし、過去の非道で非倫理的な人体実験が繰り返されないようになるからです。

司会 でも、以前よりずっと情報が隠されてしまう時代になったと仰っていますね。

著者 その通りです。実際、この本を書いていたときに気づいたことなのですが、直感したことなのですが、「あっ、小さな窓が閉じつつあるんだ。私は、その窓が閉じてしまわないよう抗っているんだ」と思ったのです。本を書いていたときに入手できた資料のうちのいくつかは、今では入手できない、と思います。

司会 兵士達についてお聞かせください。

著者 兵士...何千もの...何千もの兵士がネバダの核実験場に動員されました。

司会 どのようにですか。

著者 えっと、彼らは、爆発直後の爆心地に行かされましたし、空軍のパイロットは、キノコ雲に突入させられました。太平洋では、核実験が繰り返されましたが、兵士や水兵は、放射能汚染を受けた道具等を回収するよう命じられました。

http://onodekita.sblo.jp/article/59370130.html

司会 では、個人的に放射性同位体を与えられた人たちの他に、つまり、マサチューセッツのファーノルド校の子供達や、ビタミンカクテルと称する放射性物質入りの飲み物を飲まされた女性たちの他に、不特定の人々も被爆させられたのですね。大気に放射性物質が拡散されたということですね。その空の下には、街や学校があるというのに。

著者 その通りです。 ええっと..もっとも有名なのは、ハンフォードのグリーンラン実験です。そこでは....

司会 ワシントン州のですか。

著者 ワシントン州のです。そこでは、放射性ヨウ素が拡散され、平原は大変汚染されました。あのう、でも...委員会の報告書には大変な議論を呼んだことがあったのですが...この報告書には、政府がこのようなことを行うことは禁止されているとも、禁止されるべきだとも書かれておらず、基本的には、委員会を設置する必要があるし、将来的にその委員会の報告書を公開すればよい、と述べるにとどめたのでした。
私は...私は、このような勧告は、最悪のものだと思いました。

(訳注: ここでの著者の発言は、非常に言葉足らずで曖昧である。著者のいわんとすることを推測し、適切であろうと思われる語句を挿入し、できるだけ明確に書いてみようとすると、以下のようになる。

「政府による放射性ヨウ素拡散実験に関する調査委員会の報告書には、大変な議論を呼んだことがありました。同報告書には、政府が放射性物質を拡散することは禁止されているとも、禁止されるべきだとも書かれてはいなかったのです。ただ単に、同報告書は、放射性物質拡散を規制するような委員会を設置する必要があり、将来的にそのような規制委員会が報告書を公開すればよい、と勧告するだけにとどめたのです。私は、このような勧告は最悪のものだと思いました。」
著者が、言葉足らずで言いそびれたのか、それとも示唆するだけにとどめたかったのかは不明である。
しかしながら、著者が、調査委員会の報告書に、「政府が放射性物質拡散することは禁止されており、または禁止されるべきである」と書かれるべきであったと言いたかった場合、著者がここで言わんとしたことは、以下のようになるだろう。

お飾りだけの規制委員会を設置し、その委員会が将来的に報告書を公開すればよい、というのは、最悪の勧告である。
放射性物質拡散を禁止する法律を制定すべきであり、政府が放射性物質を拡散した場合、そのような行為は司法によって裁かれるべきである。

ご参考までに、当該箇所の原文は、以下である。

“But there was one of the controversial findings in this committee report. They did not say or recommend that the government be forbidden from doing these things. They basically said that you need to have a committee and at some point the document shall be made public.” )

司会 ウェルサムさん、今日は、ありがとうございました。最後にお伺いしたいのですが、調査を進め、「プルトニウムファイル」にまとめるにあたって、意外に思われたことはなんですか。

著者 私がもっとも意外に思ったのは、非常に高度の教育を受けた医師が、自分の患者に対してどれほど残酷で非道になれるのか、ということでした。

司会 知らせずにね。

著者 知らせずにです。

司会 そして、現代の医学界は、過去に実験を行った医師を支持しているのですか。

著者 私が調査していた時点においては、医学界は、相変わらず、実験を重要なものであったとして擁護しておりました。

司会 ウェルサムさん、ありがとうございました。

(訳注:読んで下さる方々に申し上げたいことは、「ぜひ動画を見て下さい」ということです。私の日本語の筆力では、筆者のひたむきさ、誠実さ、「あなた、本当にジャーナリストとしてやっていけるの?」と心配してしまうような人の良さ、を描くことはできません。ですから、動画をご覧になることで、著者の魅力を味わって頂きたいのです。

著者の子供のような純真さと好奇心があったからこそ、人体実験の全貌を暴くことができたのでしょうし、本にまとめることができたのでしょう)


◆関連ブログ
核兵器にすら反対できない日本政府2012年10月19日

転写終了

ホロコースト6


 

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コメント
 
01. こーるてん 2012年10月31日 21:00:30 : hndh7vd2.ZV/2 : txKoq6KBVw
The Plutonium Files
http://www.youtube.com/watch?v=WT6wCfiOZxg&feature=player_embedded

(翻訳)
デモクラシー ナウ オルグ ドット コムによる
「プルトニウムファイル」の著者アイリーン ウェルサム氏へのインタビュー

登場人物
番組司会者:エイミー グッドマン  (以下、「司会」)
著者:アイリーン ウェルサム (以下、「著者」)

の前に置くべきでした。
すいません。


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