http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/192.html
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http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1721091134&owner_id=6445842
デミャニューク(Demjanjuk)氏は無実です!
これは、ドレフュス事件と同様、冤罪です!
何故なら、
(1)ソビブール(Sobibor)には、「処刑用ガス室」の実物とされる物が
存在しない。即ち、物証としての凶器が提示されて居ない。
(2)ガス室で殺された死体を法医学者、または病理学者が解剖と化学分析
によって確認した記録は提示されて居ない。
(これは、歴史家ラウル・ヒルバーグ(Raul Hilberg)の1985年1月17日のトロントでの証言から明らかである。)
即ち、ソビブールで誰かがガス室によって一人でも人間を殺した証拠は、通説側歴史家の主張によって、存在しないのです。通説側歴史家が、ソビブールには「ガス室」の実物が無く、ソビブールでガス室によって殺された死体が確認されて居ない事を認めて居るのですから、「ガス室」も「ガス室で殺された死体」も確認されて居ないのです。
ソビブールで「ガス室による殺人」が行はれた証拠は皆無なのです。ですから、デミャニューク氏であれ誰であれ、誰かが、ソビブールでガス室を使って、ただの一人でも人を処刑した証拠は無いのです。
「証言」以外には、何も物証は無いのです。
こんな「証言」以外に何も証拠が無い話で、人を有罪にする事は、冤罪です。
凶器(ガス室)も死体も提示されずに、「証言」だけでデミャニューク氏であれ誰であれ、人を「大量殺人犯」と断じる事は、冤罪その物です。
このニュースの背景を知らない方の為に解説すると、デミャニューク氏は、この裁判に先立って、トレブリンカで「ガス室」を使って人々を殺したとされ、イスラエルで裁判にかけられて居ます。
デミャニューク氏は、ウクライナ人で、第二次大戦中、ドイツの捕虜と成ってドイツに移送された後、ドイツで戦争終結を迎え、アメリカに移住した人物です。(このアメリカ移住の際に、氏は身分を偽ってアメリカに移住しました。その事が、氏にこうした嫌疑がかけられる遠因と成ります。)
そのアメリカに帰化したデミャニューク氏を、1980年代、当時のソ連が、突然、戦争中、トレブリンカ収容所の看守で、多くのユダヤ人をガス室で処刑したとされる「イワン雷帝」であると主張し、アメリカに身柄引き渡しを要求します。デミャニューク氏は、自分は、イワン雷帝ではないと主張しますが、当時のレーガン政権は、当惑の後、事実関係を確認出来無いまま、デミャニューク氏を、氏の身柄引き渡しを要求したソ連にではなく、何と、イスラエルに引き渡したのでした。そして、氏は、イワン雷帝であった事を否認したまま、イスラエルで、裁判に掛けられます。
(ソ連が、デミャニューク氏を、突然、信憑性の欠けた戦争中の身分証明書などを「証拠」に、イワン雷帝だと主張し、身柄引き渡しを要求した理由は、氏が、ウクライナ独立運動に関係して居たからではないか?とする指摘が有ります。)
このイスラエルでの裁判において、イスラエルの検事は、デミャニューク氏は、トレブリンカ収容所で処刑用ガス室を使って多くのユダヤ人を処刑した、「イワン雷帝」と言ふ綽名の「ナチス協力者」であると主張し、死刑を求刑しました。それに対し、氏へのこの嫌疑は冤罪だと、新聞記事を読んで確信したと言ふイスラエルの弁護士が氏の弁護に立ち、法廷での戦いが展開されました。
この裁判が、どの様な物であったかを物語る逸話を紹介しましょう。その裁判に登場した検察側証人の一人は、イスラエルの法廷で、デミャニューク氏を見て、「間違い無く、イワン雷帝です!」と「証言」しました。ところが、その証人は、1960年代、西ドイツで開かれたトレブリンカ裁判の際にも証人として出廷し、そこでは、「イワン雷帝は、私がシャベルで殺した」と「証言」した人物だったのです(!)
こんな滅茶苦茶な「証言」が有るでしょうか!
結局、そのイスラエルの最高裁は、彼を無罪としました。デミャニューク氏が「イワン雷帝」であるとする「証言」が、この「証言」を含めて、信用に足る物ではなく、何も物証が無かったからです。−−イスラエルの最高裁ですら、トレブリンカでの嫌疑について、デミャニューク氏への嫌疑には、何ら証拠が無い事を認めたからです。
下に引用するのは、デミャニューク氏が、イスラエル最高裁で無罪とされた際の読売新聞の記事です。
(参考資料)
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【エルサレム29日 村上大介】イスラエル最高裁は二十九日、第二次大戦中、ナチ占領下のポーランドにあったトレブリンカ・ユダヤ人強制収容所の残虐な看守「イワン雷帝」だったとして起訴されたウクライナ出身の元ソ連兵イワン・デミャニュク被告(七三)に対し無罪を言い渡した。判決は五人の判事の全員一致で、被告が「雷帝」とは別人であると疑う合理的な理由があると述べ、一審特別法廷の死刑判決を覆した。
−−「ユダヤ人虐殺」容疑に無罪−−
−−生存者証言覆し「被告は別人」 イスラエル最高裁−−
ソ連兵だった「雷帝」は、ドイツ軍の捕虜になった後、志願してナチに協力。一九四二年から二年間にユダヤ人八十五万人が虐殺された同収容所のガス室で働き、残虐の限りを尽くしたとされる。
被告は戦後、難民として米国に渡り、自動車工として働いていたが、七九年、移民の際に虚偽の申告をしたとして起訴され、八六年にイスラエルに引き渡された。一審特別法廷で、同被告は「戦争中はナチの捕虜だった」と主張したが、トレブリンカの生存者の証言が死刑判決の決め手となった。
しかし、弁護側は一審判決後、ソ連崩壊の過程で国家保安委員会(KGB)によるナチ協力者に対する尋問調書を入手。トレブリンカで看守をしていた複数の元ソ連兵が「雷帝の本名はイワン・マルチェンコだった」と供述していたことが判明した。
これに対し、検察側は、同被告がポーランドの別の収容所(ソビボール)で看守だったことを示唆するナチ文書を提出、「被告がナチに協力していた事実だけで有罪とするに十分」と主張した。
これまでホロコーストをめぐるナチ戦犯裁判では、生存者の証言が疑われることはほとんどなかったが、デミャニュク裁判で、それが大きく揺らいだ。
[写真:判決を聞くためヘッドホンをつけてもらうデミャニュク被告(ロイター)]
(読売新聞 1993年7月30日)
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ところが、この様に、トレブリンカの嫌疑に関して無罪と成ったデミャニューク氏が、今度は、ドイツで、ソビブールと言ふ別の収容所での「殺人」に関はって居たとして起訴され、「有罪」とされたのです。凶器であった筈の「ガス室」も、その「ガス室」で殺された死体も、提示されて居ないのに、です。
その上、通説側歴史家は、ソビブールのガス室は、トレブリンカの「ガス室」と共に、「ディーゼル・エンジンが排出する一酸化炭素を利用したガス室」であったと説明されて居ます。
ディーゼル・エンジンは、一酸化炭素を殆ど排出しないのに(!)です。
西岡昌紀(内科医)
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html
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91歳ナチス戦犯に禁錮5年、独
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1599987&media_id=2
<ナチス戦犯>ドイツで91歳被告に禁錮5年「虐殺に加担」
(毎日新聞 - 05月13日 11:03)
【ベルリン篠田航一】ドイツのミュンヘン地裁は12日、第二次大戦中にナチスの強制収容所で看守を務め、ユダヤ人虐殺に関与したとして、殺人ほう助の罪に問われたジョン・デミャニューク被告(91)に禁錮5年(求刑・禁錮6年)の判決を言い渡した。判決は「少なくとも2万8060人の虐殺に加担した」と認定したが、既に未決拘束期間が約2年に及び、高齢で逃亡の恐れもないことから即日釈放された。
ドイツはナチスの戦犯を訴追するため、79年に謀殺(計画的殺人)に関する時効を廃止し、戦犯の追跡を行ってきた。だが関係者も高齢化しており、独メディアは「最後の戦犯裁判の一つ」と報じている。
デミャニューク被告はウクライナ出身。43年、ナチス占領下のポーランドのゾビブル強制収容所で看守を務めたとされる。戦犯の一人として88年にイスラエルの裁判所から一度は死刑判決を受けたが、その後、本来の被告とは別人と判明して無罪となり、米国で暮らしていた。だが09年、収容所で虐殺に関与した疑いがあるとして今度はドイツの裁判所が逮捕状を出し、米国がドイツに身柄を引き渡して、ミュンヘン市内で拘束されていた。
検察側は当時の収容所の書類などを基に、被告がユダヤ人をガス室に送る手助けをしたと主張。弁護側は、当時を知る目撃者の証言もあいまいで、証拠も捏造(ねつぞう)と主張し無罪判決を求めていた。被告は公判中、車いすで出廷し、ほとんど口頭では陳述せず書面で「私は見せしめ裁判の被害者。誇りも人生も奪われた」と述べていた。
ユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米ロサンゼルス市)の報告書によると、現在も世界各地に住むナチス関係者の追及は続いており、09年4月〜10年3月に世界各国で実施された捜査は852件。このうちドイツ当局は08〜09年の約6倍にあたる177件を捜査した。
容疑者の高齢化で捜査が困難になる「時間との闘い」の中、ドイツは最近、対象を「(従来のナチス)幹部やドイツ出身者以外にも拡大」(同報告書)し、ユダヤ人虐殺の歴史の精査を進めているという
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