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「人間の石鹸」もウソですが、何か?    西岡昌紀
http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/170.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2010 年 10 月 30 日 11:35:35: of0poCGGoydL.
 

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http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1611037447&owner_id=6445842


面白いニュースですね!
     ↓


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実は嘘だった!? 外国の都市伝説「オオカミ少女アマラとカマラ」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1388695&media_id=53

実は嘘だった!? 外国の都市伝説「オオカミ少女アマラとカマラ」
(日刊サイゾー - 10月28日 15:30)


世の中のへんなものをこよなく愛するのり・たまみの、意外と知らないちょっとへんな社会学。

 「オオカミ少女アマラとカマラ」という話をご存知ですか? 昔、小学校の教科書などに載っていたインドでオオカミに育てられた姉妹・アマラとカマラの話です。暗闇で目を光らせ、四つ足で走り、死んだ鳥の肉をむさぼる二人の姿はまるでオオカミ。1920年に孤児院を運営するジョセフ・シング牧師に保護され人間の教育を受ましたが、最後までオオカミのような振る舞いのままだったそうです。

 この話が広く世間に広まったのは、1926年に「ニューヨークタイムス」などで紹介されたのがきっかけです。「オオカミ少女」というセンセーショナルな話題に大きな関心が集まりました。そして、一般人以上に関心を示したのが、心理学や幼児教育学の専門家などでした。それは、この話が心理学、教育学、人類学の根本に関わる問題だったからです。

 この時アマラはすでに亡くなっていましたが、カマラはまだインドで生きていました。そうこうしているうちに1929年にカマラも死亡。おそらく現在なら、こんなすごい話題があれば各報道機関は現地に押し寄せるのでしょうが、なにせ80〜90年前の話です。当時「世界の秘境」だったインドの、しかもジャングルに実際に行こうとした専門家や記者はいませんでした。そのため、シング牧師などの撮った写真の数々と記録だけが唯一の証拠となりました。

 その後、いったんこの話題は沈静化しますが、1941年にアメリカの心理学者のゲゼルがこの物語を紹介する本を書いたのがきっかけで、「オオカミ少女」が再ブームになりました。ゲゼルは心理学の権威だったため、当時のアメリカでも大勢の人が信じたそうです。

 また翌1942年には、シング牧師の記録も本にまとめられ出版されています。これらの本は1955年あたりから翻訳されはじめ、「オオカミに育てられた子」みたいなタイトルで、日本でも何冊か出版されました。しかし一方、流行の発信源であるアメリカでは、「オオカミ少女は本当にいたの?」「生物的にはありえない」という疑問が持ち上がり、その後いろいろ調査が行われました。

 1920年代と違ったのは、現地に調査に行けるようになったことです。いくつかの調査があるのですが、結論は「オオカミ少女は99%嘘」というものでした。公表された調査結果は以下のようなものです。

★インドの孤児院に多額の寄付金が集まるので、関係者みんなで口裏合わせて嘘をついた。
★アマラとカマラはオオカミ少女でなく、おそらく重度の障害児だった。
★写真は偽造。四つ足で歩き、生肉を食べている二人の写真は、二人の死後に撮影されている。つまり別人。

 などということが、いくつかの調査結果として発表されています。アマラとカマラの話はいまだに絵本として売られているのですが、調査でいろいろな嘘が分かったため、この物語は、「赤ずきんちゃん」や「オオカミと3匹の子豚」みたいな感じで、完全に創作として扱われています。日本だけ、なぜかいまだに「常識」で「真実」として流布されています。

 最近は、さすがに教科書などには載ってないようですが、筆者のように学校で事実として教わった世代がまだまだ残っているからでしょうか。日本だけでいまだに信じられている外国の都市伝説。それが「オオカミ少女アマラとカマラ」の物語です。
(文=のり・たまみ)

●のり・たまみ
世界中の「へんなもの」をこよなく愛する夫婦合体ライター。日本のみならず、世界中の政治の仕組みや法律などをこよなく偏愛している。主な著書に『へんなほうりつ』(扶桑社)、『日本一へんな地図帳』(白夜書房)、『へんな国会』(ポプラ社)、『へんな婚活』(北辰堂出版)などがある。


※画像は『狼に育てられた子―カマラとアマラの養育日記』(福村出版)


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このニュースを読んで思ひ出したのは、戦後永い間信じられて居た、「ドイツはユダヤ人の体から石鹸を作った」と言ふあの「都市伝説」です。

皆さん、まさかこの話を信じてはおられないでしょうね?

「ドイツはユダヤ人を殺して石鹸にした」と言ふ話は、イスラエルのヤド・ヴァシェム博物館によって否定されて居ます。
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(クリックして、この話を否定したイスラエルの新聞記事をお読み下さい)
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http://www.haaretz.com/hasen/spages/538996.html w w w . h a a r e t z . c o m


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Last update�-�00:54 11/02/2005

Yad Vashem: Nazi soap stories `invention'


By Amiram Barkat
A box of soap which, according to the Romanian Jewish community, was made from the bodies of Jews killed in the Holocaust was found yesterday in a funeral home in Magdiel (part of Hod Hasharon) in central Israel, Army Radio reported.
The box was buried under a tombstone that read "Soap of Holy People."
Sources at Yad Vashem expressed disappointment at the radio report, calling the story a "pure invention that was given a stage by the media."
A Yad Vashem spokeswoman said there is no proof the Nazis made soap from human bodies during the Holocaust.
The sources said similar claims have been made in the past regarding soap made from Jewish bodies, including soap found last year in the Nahariya cemetery. In that case the soap was determined not to have been made from human remains.
In 1990 samples from several soaps claimed to have been made from Jews were sent for DNA testing at Tel Aviv University. Likewise, those tests determined the soaps did not contain human fats.
In Magdiel, the director of the Jewish burial society (Hevra Kadisha), Moti Elbaum, told Army Radio of the discovery. "I was very surprised and terrified. I didn't know that in Israel there is a grave for soap that was made from saints that were set on fire," said Elbaum. "It is shocking and horrifying. Each time we are shocked more and more by the things that were done to our people."
Others in the community were angered by Yad Vashem's casting doubt on the authenticity of the soap. Holocaust survivors claim that the soap was engraved with writing that said it was made from fat from Jewish bodies.
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お読みの通りです。イスラエル自身が、「ドイツがユダヤ人の死体から石鹸を作った」と言ふあの有名な話をこれだけはっきり否定して居るのです。


それにも関はらず、今だにこの話を信じて居る日本人が時々居る事に、私は驚いて居ます。


「ドイツが人間の石鹸を作った」と言ふ話と、このオカミ少女の話は、何と良く似て居る事でしょうか。

平成22年10月28日(木)

                西岡昌紀

http://blog.goo.ne.jp/dhyi2008/e/2a9dd2fd112cbbf41031825c7ae834cd


http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise.html
http://www.ihr.org/

(オオカミ少女の次は、「ガス室」でしょうか?(笑))

 

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コメント
 
01. 2010年10月30日 19:20:04: lVpVloLQCc
>この話が広く世間に広まったのは、1926年に「ニューヨークタイムス」などで紹介されたのがきっかけです。
私はニューヨークタイムズを一切信用していません。
当然ながらこれらにも600万人確定に使われたユダヤ人の定義を全く明らかにしていません。

http://revisionist.jp/lectures/130.htm
1.3 私たちはいつからホロコーストについて知るようになったのか?[犠牲者600万人という数字の起源]

驚かれたかもしれません。私のことを不信の目で見ておられるかもしれません。ですから、この当時何が起っていたのかをもう少し詳しくお話しておきます。このテーマについて執筆したアメリカ人著述家Don Heddesheimerの分析結果を紹介しておきます[14]。1915年以降、さまざまなアメリカの新聞、とくに『ニューヨーク・タイムズ』紙は、おもに中央ヨーロッパと東ヨーロッパのユダヤ人が戦争による環境の中で苦難を経験していると報じています。

 1919−1927年、合衆国では、ユダヤ人団体が、中央ヨーロッパと東ヨーロッパの500−600万人のユダヤ人が死に直面しているとして、基金を集めるキャンペーンを広く展開しました。これらの新聞報道とキャンペーンの広告をいくつか紹介しておきます。

 『ニューヨーク・タイムズ』1926年12月4日:「500万人の飢えた人々…世界のユダヤ人の半分が、疫病と飢餓で死に瀕している…」

『ニューヨーク・タイムズ』1926年4月21日:「すべての人々が死にかけている、…数百万人のユダヤ人がヨーロッパで罠におちこんでいる、これがヨーロッパのユダヤ人からの叫び声だ…」

『ニューヨーク・タイムズ』1922年1月9日19頁:「筆舌に尽くしがたい恐怖と際限のない犯罪がユダヤ人に襲いかかっている。ヘルツ博士は、100万人が殺戮されている、ウクライナでは3年間で300万人が『地獄の恐怖を経験』させられたと述べている…」

『ニューヨーク・タイムズ』1920年5月7日:「…中央ヨーロッパと東ヨーロッパのユダヤ人戦争難民、ここでは600万人が、飢餓、疫病、死という恐ろしい状況に直面している…」

 『ニューヨーク・タイムズ』1920年5月5日9頁:「東ヨーロッパの600万人の男女を飢餓と疫病による絶滅から救うために…」

 『ニューヨーク・タイムズ』1920年5月5日19頁:「戦争に引き裂かれたヨーロッパの、飢えと熱病に苦しむ600万人が、われわれに訴えている…」

 『ニューヨーク・タイムズ』1920年5月3日11頁:「東ヨーロッパと中央ヨーロッパの600万人の命を救うためにあなた方の援助が必要です」

 『ニューヨーク・タイムズ』1920年5月3日12頁:「ロシアとその近隣諸国では、ユダヤ人はとくに悪質な迫害にさらされてきた…。500万人以上が実際に飢えているか、飢餓の淵にあると見積もられている。彼らのあいだでは、チフスの疫病が蔓延し、近隣の住民にも広がっている」

 『ニューヨーク・タイムズ』1920年5月2日1頁:「600万の人間が、食料、宿舎、衣服、衣料のないまま放置されている」

 『ニューヨーク・タイムズ』1920年5月2日8頁:「しかし600万人の命が答えを待っている」

 『ニューヨーク・タイムズ』1920年4月21日8頁:「今日、ヨーロッパでは、500万以上のユダヤ人が飢えているか飢餓の淵にあり、多くがチフス疫病にかかっている」

 『ニューヨーク・タイムズ』1919年12月3日19頁:「奇跡だけが、この冬、ヨーロッパと中東の500万から1000万の人々が凍死する、飢え死にすることから、…すなわちユダヤ人大虐殺から救うことができる」

『ニューヨーク・タイムズ』1919年12月3日24頁:「500万人がポーランドで飢餓に直面。…戦争は東ヨーロッパに500万人の窮乏し打ちのめされたユダヤ人を残した」

『ニューヨーク・タイムズ』1919年11月12日7頁:「600万人、世界のユダヤ人口の半分、100万の子供と…500万の両親と老人が、悲劇的なほど窮乏化し、飢え、疫病にかかっている」

 『ニューヨーク・タイムズ』1919年10月26日1頁:「東ヨーロッパの400万人の飢えたユダヤ人」

 『ニューヨーク・タイムズ』1917年8月10日:「ドイツ人はユダヤ人を死なせている。ワルシャワの女子供が飢え死にしようとしている。…」

L:『ニューヨーク・タイムズ』が報じている、東ヨーロッパのユダヤ住民に襲いかかった苦難と死が現実を反映しているかどうかという問題が、まだ解決されていませんが。

R:Don Heddesheimerが彼の本の中でこの問題を分析しています。東ヨーロッパの住民の中で、ほとんど無傷で第一次世界大戦をくぐり抜けたのはユダヤ人だけであったというのが彼の結論です。これが、この問題に対する答えとなっています。

 しかし、歴史をさかのぼる旅にもう少々お付き合いください。

 『ニューヨーク・タイムズ』1916年5月22日11頁:「ポーランド、リトアニア、クールランドの約245万のユダヤ人のうち、177万人が残っており、そのうち、70万人が緊急かつ恒常的な窮乏状態にある」

 すでに1916年、ヨーロッパ・ユダヤ人の「苦境」を描いた『東ヨーロッパ戦争地域のユダヤ人』と題する本が、アメリカ合衆国の25万人の重要人物に配布されています[16]。この本は、ロシアが特定の地域を懲罰コロニーのような地域に変え、そこでは600万人のユダヤ人が、権利も社会的地位も奪われて、虐殺されるのではないかという恐怖に脅えながら、悲惨な生活を余儀なくされていると論じていました[17]。「腐敗した残酷な看守がガードする、600万の囚人を収容した監獄」というのです。

 この本『東ヨーロッパ戦争地域のユダヤ人』は、この当時、メディア、例えば『ニューヨーク・タイムズ』紙にたびたび引用されています。

 もっとも早い記事は、戦争初年のものです。

 『ニューヨーク・タイムズ』1915年1月14日3頁:「今日の世界には、1300万人のユダヤ人がいるが、そのうち600万人以上が戦争の中心地区で生活している。ここで暮らしているユダヤ人の命は風前の灯であり、彼らは苦難と悲しみの暮らしを強いられている…」

 もっとさかのぼってみましょう。1900年、ラビのステファン・ヴァイズは、合衆国のユダヤ人福祉団体を前にして、「600万人の苦難に満ちた声がシオニズムを支援しています」と発言しています[18]。

L:ユダヤ人の苦難が語られる場合には、いつも600万人という数字が登場しているようですね。

R:これには特別な理由があるのです。Benjamin Blechは、600万人の同胞を失ったのちに、約束の土地に帰ることをユダヤ人に約束する古代ユダヤの予言について言及しています[19]。

L:ルドルフさんが紹介してくれた文章は、さまざまなユダヤ人指導者にとって、ユダヤ人の苦難が約束の土地に戻るという目的のために役に立ったということを意味しているのですね。

R:まったくそのとおりです。パレスチナがシオニストに約束されたのは、第一次世界大戦中のイギリスのバルフォア宣言によってであることを忘れてはなりません。これこそが、第一次世界大戦中とその戦後のホロコースト宣伝の主要目的であったに違いありません。

L:『ニューヨーク・タイムズ』だけがこのような記事を何回も掲載したのですか? ほかの新聞はどうでしたか?

R:ここで『ニューヨーク・タイムズ』を引用したのは、この新聞が最も広く読まれており、もっとも権威を持っており、もっとも影響力を持っている新聞だからです。ほかの新聞がこのような記事を掲載しなかったというわけではありません。ほかの新聞の文書資料が、今のところ検証されていないだけです。一方、『ニューヨーク・タイムズ』紙がこの当時すでに、ユダヤ人の手の中にあったことも忘れてはなりません。この点については、前編集長Max Frankelの文章を引用しておきます[20]。

「私の世代のアメリカ系ユダヤ人は、[反ファシズム]という雰囲気を利用して、積極的に、自分たちを文化的に際立たせ、自分たちの倫理性をひけらかし、自分たちのルーツの中に文学的インスピレーションを探し出し、イスラエル復活の光を浴びようとした。…私は、偶像や使命のかわりに、言葉と議論を崇拝し、アメリカ文化の中への、文字通り恥知らずなユダヤ人の侵攻の一部となった。世界の反ユダヤ主義者のもっとも野蛮な妄想を実現することには、とくに満足感を覚えた。書物の管理者、法律の作成者、至上のストーリーテラーとしてのわれわれの遺産に鼓舞されて、アメリカのユダヤ人は、大学やすべてのマスメディアの中で、不釣合いなほどの影響力を持つにいたったのである。

 …パンチ[『ニューヨーク・タイムズ』の所有者『パンチ』・スルツバーガー]が主導権をもっている数年のあいだに、経営編集者――A. M. Rosenthal――と私だけではなく、紙面に登場するトップ編集者全員がユダヤ人となった。…」

L:『ニューヨーク・タイムズ』紙がなぜ一面的であるか、十分に説明していますね。

R:そのとおりです。高名な歴史家たちは、第二次世界大戦中のホロコーストに関してさえも、600万人という数字に「象徴的」な意味合いを与えてきましたが[21]、この数字はユダヤ住民の損失を実際に算出した結果出されたものではありません。ですから、世界中の著名な統計学者たちが、犠牲者数は、これまでまったく明らかになっていないと述べているのも驚くべきことではないのです[22]。しかし、こうした事態は、このテーマに関する二つの研究のおかげで変わりました。それについてはあとで触れることにします。


02. MMM 2011年1月11日 05:21:32: PUq8bJpgg2M0w : 2biaSMQLKM
この狼少女(少年)の話ですが、他の国にもありませんでしたか?、フランスでも19世紀末にそんな話があったように記憶しているのですが、それもやはり虚構だったのでしょうか。

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