01. 2010年5月03日 19:55:55: MiKEdq2F3Q アホに教えてやるよ: 現在世界各地に広がっているユダヤ人はすべて古代ユダヤ人の子孫だった.
ユダヤとアラブは血縁 染色体分析で確認 【ワシントン8日共同】ユダヤ人と、パレスチナ人などアラブ人が共通の祖先 を持つことがDNA分析で確認された、と米ニューヨーク大のハリー・オストラー博士 らが9日付の米科学アカデミー紀要に発表した。 ユダヤ人とアラブ人に血縁関係があることは旧約聖書など宗教、歴史文書の 記述から当然とみられていたが、遺伝分析ではっきり確認できたのは初めてという。 同博士らは中東地域をはじめ、北米、アフリカ、欧州各国など世界29地域の 1371人の男性のY染色体のDNAを調べた。同染色体は父親から男の子に伝わり、 遺伝的に近い人は共通の特徴を持つ。 その結果、イスラエルや北米、欧州、アフリカ北部に住むユダヤ人のY染色体 に共通点が多いことが判明。ユダヤ人は紀元前にパレスチナから世界各地に 離散した後も他民族とあまり混血せず、遺伝的な同一性を保ってきたと 分かった。 またパレスチナ人、シリア人はユダヤ人とY染色体の特徴を共有しており、 旧約聖書などが示すように遺伝的なルーツは同じと分かった。(共同通信 2000/05/09) http://ime.nu/homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/bcg_weapons1.html イスラエルで「建国根拠なし」本、ベストセラーに(朝日新聞) 2008年05月31日11時12分 【エルサレム=村上伸一】 シオニズム運動は、古代に世界各地へ離散したユダヤ人の子孫が「祖先の地」に帰還するというもの。著者はユダヤ人でテルアビブ大学のシュロモ・サンド教授(61)=歴史学。3月にヘブライ語で出版され、アラビア語やロシア語、英語に訳される予定だ。 著書では、古代ユダヤ人の子孫は実はパレスチナ人だ――との説が記されている。 シオニズム運動は欧州で迫害されたユダヤ人たちが19世紀末に起こし、「ユダヤ人国家の再建」を目指した。運動の根拠になったのは、ユダヤ人が紀元後2世紀までにローマ帝国に征服され、追放されたという「通説」だった。 これに対し、教授は「追放を記録した信頼できる文献はない。19世紀にユダヤ人の歴史家たちが作った神話だった」との見解だ。パレスチナ人から土地を奪うことを正当化するために、「2千年の離散の苦しみ」という理由が必要だったという。 古代ユダヤ人は大部分が追放されずに農民として残り、キリスト教やイスラム教に改宗して今のパレスチナ人へと連なる。イスラエルの初代首相ベングリオンらが建国前に著した本の中で、パレスチナ人たちをユダヤ人の子孫と指摘していた。ユダヤ人の入植で対立が深まる中で、パレスチナ人を子孫とは言わなくなったという。 http://www.asyura2.com/08/holocaust5/msg/110.html パレスチナ人とユダヤ人の比較遺伝学 パレスチナ人は、イスラエルのユダヤ人移民のほとんどと同じくらいのユダヤ人の遺伝子素材を持っています。 異なる地域のユダヤ人の間での遺伝子構造の類似性は過去十年にわたって十分に研究されてきており、Y染色体とミトコンドリアDNAの分析によって、これらの人々の共通の起源が確認された。 Y染色体とミトコンドリアDNAに関する何百もの遺伝子マーカーや、残りのゲノムのほとんどが、異なるユダヤ人社会の共通の起源を確認しています。しかし、また最近の研究で、異なるユダヤ人グループをある共通の先祖に結び付ける類似性のいくつかが、異人種との結婚によりオープンな文化を持つパレスチナ人の多くにも見つけられました。 イスラエルのベストセラーのリストに載っている学者Shlomo Zand本「ユダヤの人々はいつどのように作られたか」は、いくつかの裏づけとなる歴史的証拠を示しています。 現代のイスラエル国家の抑圧の下で数十年にわたり暮らしてきたパレスチナのアラブ人は、実際旧約聖書に書かれている『イスラエルの子供』と全く同じ先祖を持っているとZandは言っています。 およそ1万人の古代のユダヤ人がローマの戦争の最中に打ち負かされたと彼は推測しています。それらの生き残りのうち何人かは、アラブ人の征服者達がその地域を支配下に置いたときに、イスラム教に改宗し吸収されたと彼は言います。そのほか逃げて世界中に散らばり、私達が今日知るユダヤ人コミュニティを作った人々もいます。 Zandの歴史的なパレスチナの人々の説明は、パレスチナ人とユダヤ人の遺伝子分析を比較するこれまでの少数の研究によって立証されています。 http://ja.raelpress.org/news.php?item.146.1 Geneticists Report Finding Central Asian Link to Levites By NICHOLAS WADE Published: September 27, 2003 A team of geneticists studying the ancestry of Jewish communities has found an unusual genetic signature that occurs in more than half the Levites of Ashkenazi descent. The signature is thought to have originated in Central Asia, not the Near East, which is the ancestral home of Jews. The finding raises the question of how the signature became so widespread among the Levites, an ancient caste of hereditary Jewish priests.
ユダヤ人の祖先を研究している遺伝学者のチームはアシュケナージユダヤ人のレビ(祭司)階級の 半分以上に出現する遺伝子の特徴を発見した。 この特徴は中央アジアに発するもので、ユダヤ人の 祖先と考えられている近東起源のものでない。 アシュケナージとセファルディの司祭階級のDNAを比較検討したところ、両者のDNAの間には高い類似性が認められた。 http://www.nytimes.com/2003/09/27/science/27GENE.html 世界に散らばるユダヤ教徒のコミュニティーや宗教的集団には以下がある。 • イシューブ(イスラエル(パレスチナ)の地のユダヤ教徒) • ミズラヒム o 北アフリカのユダヤ人(マグレビーム) Maghrebim cf.African Jews モロッコのユダヤ人 アルジェリアのユダヤ人 チュニジアのユダヤ人 Jews in Tunisia o ペルシア・ユダヤ人 o イエメン・ユダヤ人(テイメン) Yemenite Jews o ベタ・イスラエル(ファラシャ)(エチオピアのユダヤ人) 山岳ユダヤ人(タート・ユダヤ人。ダゲスタン、アゼルバイジャン、アルメニアのタート人社会の内部) o グルジーム o ブハラ・ユダヤ人 Bukharan Jews (タジキスタンから中央アジア全土) • インドと周辺のユダヤ人 Jews in India o コーチン・ユダヤ人 o クナナヤ Knanaya(キリスト教徒) o ベネ・イスラエル o ボンベイ・ユダヤ人 o バグダーディ(イラク系) o マニプール・ユダヤ人(集団改宗者) • 中国のユダヤ人 Jews in China o 開封市のユダヤ教徒 Kaifeng Jews [1] • ヘレニスト o ロマニオット(「ローマ人」、ユダヤ系ギリシャ人) • イタリアのユダヤ教徒 History of the Jews in Italy (北部にはアシュケナジムが多い) • ツァルファーティー(フランス系ユダヤ教徒) History of the Jews in France 消滅した世代と残留者、新しい世代(諸地域・諸国からの移民) • セファルディム • アシュケナジム アイルランドのユダヤ人 Jews in Ireland (ツァルファーティー・セファルディムとアシュケナジム) • アバユダヤ Abayudaya • レンバ族(ジンバブエ) Lembas • サマリア人 • ブラック・ジュー • ハザールのユダヤ人 o カライ派 o クリムチャク人 ユダヤ=キリスト教徒 Judeo-Christians o メシアニックのユダヤ教徒
東ヨーロッパに住み着いたユダヤ人はアシュケナージ(アシュケナジム)と呼ばれ、ドイツ語圏に住む彼らの多くはドイツ語を話し、ドイツ語圏外に住む彼らの多くはドイツ語の方言であるイディッシュ語を話していた。 スファラディ(セファルディム)系ユダヤ人は、オスマン・トルコ圏やスペイン・フランス・オランダ・イギリスなどに多く、かつてはラディーノ語を話していた。 アシュケナージや、スファラディといったヨーロッパに移り住んだユダヤ人に対して、中東地域、アジア地域に移り住んだユダヤ人はミズラヒと呼ばれていた。 ほかにもイラン、インド(主に3集団)・中央アジア・グルジア・イエメン・モロッコなどを含んだ大きな観念であるミズラヒム、カライ派・カライム人、中国、ジンバブエなどのユダヤ人のほか、イスラエル建国はメシア到来まで待つべきだとするサトマール派・ネトゥレイ・カルタ、キリスト教関連のメシアニック・ジュダイズム、ネオ・ジュダイズムなど多くの分派もある。エチオピア・ベルベルのユダヤ人は孤立して発展し、タルムードを持たない。 ユダヤ人の歴史 旧約聖書によると、民族の始祖アブラハムが、メソポタミアのウルから部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエル、パレスチナ付近)に移住したとされる。彼らは「移住民」という意味の「ヘブライ人」と呼ばれた。この付近で遊牧生活を続けたヘブライ人は、紀元前17世紀頃カナンの地から古代エジプトに集団移住するが、やがてこの地で奴隷とされる。その後、エジプトのヘブライ人指導者モーセが中心となり、約60万人の人々がエジプトからシナイ半島に脱出を果たす(「出エジプト」)。彼らは神から与えられた「約束の地」と信じられたカナンの地(パレスチナ)に辿り着き、この地の先住民であったカナン人やペリシテ人(いずれもフェニキア系民族と考えられる)を、長年にわたる拮抗の末に駆逐または同化させて、カナンの地に定着した。この頃から「イスラエル人」を自称するようになり、ヘブライ語もこの頃にカナン人の言葉を取り入れて成立したと考えられる。 紀元前10世紀頃、古代イスラエル人はヤハウェ信仰(ユダヤ教の原型)を国教とする古代イスラエル王国をカナン(パレスチナ)に建国したが、ソロモン王の死後、紀元前930年頃、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した(「ユダヤ」とは元来、ユダ王国のあったパレスチナ南部を指す)。 北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ(失われた十支族)、 さらに南のユダ王国は紀元前586年に新バビロニアの侵攻により滅亡、多くの人民が奴隷としてバビロンに囚われた(バビロン捕囚)。彼らはユダ王国の遺民という意味で「ユダヤ人」と呼ばれるようになった。アケメネス朝ペルシアによる新バビロニア王国滅亡に伴い、捕囚のユダヤ人は解放されてエルサレムに帰還し、ペルシア帝国の支配下で自治国として統一イスラエルが復興された。ユダヤ教の教義も、この頃にほぼ確立された。 アケメネス朝の滅亡後、古代マケドニア王国、セレウコス朝シリアなどに宗主国が引き継がれ、最終的にはローマ帝国領のユダヤ属州とされる。この頃にはヘブライ語は既に古典語となり、日常語としては系統の近いアラム語にほぼ取って代わり、のちに国際語としてギリシャ語も浸透した。また、ヘレニズム諸国の各地に商人などとして移住したユダヤ人移民(ディアスポラ)の活動も、この頃に始まる。 紀元66年からローマ帝国に対し反乱を起こすが(ユダヤ戦争)、鎮圧されてユダヤ人による自治は完全に廃止され、厳しい民族的弾圧を受けた。ユダヤ人の自称である「イスラエル」という名や、ユダヤ属州という地名も廃され、かつて古代イスラエル人の敵であったペリシテ人に由来する「パレスチナ」という地名があえて復活された。 以来ユダヤ人は2000年近く統一した民族集団を持たず、多くの人民がヨーロッパを中心に世界各国へ移住して離散した。以降ユダヤ教徒として宗教的結束を保ちつつ、各地への定着が進む。 最盛期の人口は2億5000万人である。 「ユダヤ人」は世界に離散後もそのほとんどがユダヤ教徒であり,キリスト教やイスラムに改宗した途端、現地の「民族」に「同化」してしまう。 その後もパレスチナの地に残ったユダヤ人の子孫は、多くは民族としての独自性を失い、のちにはアラブ人の支配下でイスラム教徒として同化し、いわゆる現在の「パレスチナ人」になったと考えられる。
7世紀 - 10世紀に、カスピ海北部にハザール王国が出現し、ユダヤ教を国教としたが、その後相次いだロシア、ルースィ、ブルガール、オグズとの戦争により帝国は滅んでいる。 残党のハザール人も、結局はイスラム教に改宗したが、わずかに未だにユダヤ教カライ派の信仰を保っているハザール人の集落も東ヨーロッパには現存している。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA ■アシュケナジーとスファラディー イスラエルに行きますと、よくアシュケナジーかスファラディーかの区別があることを聞きます。これは、ユダヤ人が祖国から離散して世界中に住むようになって以来、その祖先の出身地別に分類したときの区別です。
アシュケナジーとは「ドイツ」という意味の古いヘブライ語で、ドイツや東欧に住むユダヤ人の子孫を指します。彼らの祖先は、紀元1世紀にまで遡ります。当時のローマ帝国拡大と共にヨーロッパ辺境のライン川沿いまで移住していったことが知られています。ドイツやフランスにも居住区をつくりました。経済的には富み栄えたようです。 アシュケナジーが歴史に登場してくるのは、中世以後です。キリスト教徒の迫害を受け、居住地を東欧・ロシアへと追放されたり各地に移動を余儀なくされましたが、逆にユダヤ人の独自性が保たれて、世界のユダヤ人の中でも優れた文化を発展させ、やがて近代に指導的地位を得ていきました。アメリカに渡ったユダヤ人の多くがアシュケナジーでした。また、イスラエル建国につながるシオニズム運動も、アシュケナジーが大きく担い推進させました。 アシュケナジー・ユダヤ人は、イーディッシュ語という独特の言語を話しました。イーディッシュ語は中世ドイツ語とヘブライ語の混じり合ってできた言葉です。 スファラディーとは「スペイン」を指す言葉です。イスラム文化が栄えた時代に、その支配地のユダヤ人も豊かな文化や経済の花を咲かせました。もちろん、イスラム教文明の中で世俗的にも大いに活躍しました。当時、地球上の最も進んだ文明がイスラム圏にあったのは、事実ですね。 やがて、キリスト教徒にスペインが占領され、1492年、キリスト教への改宗を拒否したユダヤ人は追放されました。地中海沿岸に散らされ、そして衰退していくイスラム文化圏の中で一緒に歴史の陰に隠れてしまったのが、スペインのユダヤ人の子孫、スファラディーでした。彼らはイスラム教徒とは、比較的平和共存して暮らしていました。 スファラディー・ユダヤ人は、スペイン語とヘブライ語の混成語であるラディーノ語をつかっていました。今はすたれています。 中世キリスト教とユダヤ教との論争をテーマにした『バルセロナの宮廷にて』(ミルトス)は、難しい内容を戯曲風にわかりやすく紹介していますので、当時の雰囲気がよく伝わってきます。 ■アシュケナジーとカザール人 宇野正美という人物が、自著の本で「アシュケナジーは本当のユダヤ人ではなく、カザール人というユダヤ教改宗者の子孫である」ということを主張しています。
しかし、彼の主張がいかに誤りであるか、ここでの説明を見ていただければお分かりだと思います。少しユダヤ人の歴史の知識があれば、いかに虚偽で事実を曲げているかすぐ分かりますが、何も知らない日本人にはもっともらしく聞こえます。念のため、間違いを正しましょう。(氏の本にはその他たくさん誤謬がありますが、ここでは省略します。) 第1に、アシュケナジーが古代ユダヤ人の流れを汲むことは、歴史的事実です。例えば、ドイツにローマ帝国時代のユダヤ人居住区(例えば、コロニア、つまり現在のケルン)があったことなど、ことさら無視しています。古代以来、ヨーロッパの諸都市にユダヤ人が居住していたことは言うまでもありません。 第2に、カザール人とは、カスピ海とヴォルガ川沿いにあった国で、8世紀頃その王がユダヤ教に改宗したと伝えられる人々です。その国が10世紀に滅んだのち子孫がどうなったかは歴史に照らして検証される必要がありますが、ユダヤ人は改宗者であってもユダヤ人なのです。本当のユダヤ人でないとは、その点からも言えません。 シュロモー・ザンド・テルアビブ大学教授が著した『ユダヤ人はいつ、どうやって発明されたか』という書(ヘブライ語原著、日本語訳はなし)も、このカザール人を論拠としたものです。これに関しては、隔月刊誌「みるとす」2008年8月号にてイスラエル人識者が論破しています。 http://myrtos.co.jp/info/judaism01.php 414 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:30:20 ID:MgwFllOM どうも 東欧のユダヤ教徒=ハザルの末裔 という風説は欧州でのアラビア語文献学の進展で、昔キプチャク草原にユダヤ教国家が存在したという史実を欧州側が過剰反応し、しかも当時ロシアなどで再三問題になっていたユダヤ教徒問題を安直に結び付けたオリエンタリズム的ロマン主義の匂いを濃厚に感じる。 文献学的調査や考古学的調査では、遊牧部族集団におけるユダヤ教の需要は確認できては いるようだが、これらテュルク系遊牧民であるハザルが定住化したのが起源ぽいことをいっては いてもそもそもこの定住化→東欧のユダヤ教徒の図式自体実証できてるか怪しい。 11世紀初頭にはすでにほとんど記録から消失傾向にあり、この頃アラル海東方から進出してきたセルジューク朝はムスリムだった。1220年代にチンギス・ハンがクリミア半島方面まで劫略しているが、ハザルやユダヤ教云々は何ら伝えていない。勿論ブルガール族についても触れては いるがイスラームの信仰を保持していたかすら書いていない。ハザルにいたってはユダヤ教 どころか存在自体記録されていない。 つまり、11世紀以降の黒海からアラル海北方地域の遊牧諸民族の動向が良く分かっていない にも関わらず、アシュケナジームはハザルを起源とする説はそもそもが憶測に憶測を重ねている 俗説止まりの部分が極めて大きい。 419 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:41:37 ID:MgwFllOM アシュケナジムとは、元来ドイツのライン川流域に定住していてドイツ語とヘブライ語が 交じり合ったイディッシュ語を話す人たち。 カザールとは10世紀頃まで、カスピ海と黒海の間にあったトルコ系遊牧民族国家 ユダヤ教に集団改宗した。 論点は、ポーランド以東のイディッシュ語を話すユダヤ人が、ドイツ起源なのか カザール期限なのかということ。 ドイツ起源説だけでは、数が多すぎるのが難点 カザール起源説だけだと、なぜドイツ語が変形されたイーディッシュを話すのか説明できない。 424 :朝まで名無しさん:2006/08/28(月) 19:57:18 ID:MgwFllOM カザール人は、黒髪、茶目トルコ系のはずだな。 なぜ、金髪、青目のアシュケナージ・ユダヤ人が居るのか? ドイツで交じり合ったという説もあるが、ユダヤ教は2.3世紀には スラブ人やギリシャ人に対する宣教活動を盛んにした。 キリスト教が ゲルマンを改宗させようとした時、それに反抗する勢力がユダヤ教になった という説もある。 白人優越論者=キリスト原理主義者が振りまくカザール=アシュケナジー論は プロパガンダというのが常識でしょ。 http://2se.dyndns.org/test/readc.cgi/news18.2ch.net_news2_1156420267/ |