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1.深刻な抑圧や社会不安こそが民族の信仰心を強めます。異民族による抑圧や抗争は、民族独自の存在である宗教や神を際立たせ、民族の結集を図ることとなりがちでしょう。離島に居住する日本人は、他の多くの民族と比較すれば、異民族による抑圧を初め、さほど深刻な抑圧を経験する機会が少のうございました。そのため、他の民族のように、信仰を先鋭化することなく、自然環境や人間社会の全体を具体的に形象化して神に置き換えることをしませんでした。つまり、自然環境や人間社会の全体を抽象的な超自然的存在のまま置き続け、アニミズム、シャーマニズムの古俗信仰を残し続けた民族であると言えましょう。
儒教・仏教の伝来当時の日本人は戒律が宗教にとって不可欠なものとは考えていなかったように見受けられます。神道では、祭祀・勤行(ごんぎょう)は実行されて来ましたけれども、戒律が具体的な形で存在したようには見受けられません。神への帰依の証として自らの行動を慎むことは、祭祀・勤行の実行と比べるといくぶん高度の発想を要するように見受けられます。したがって、仏教の導入に当たっても、当初は戒律(この場合の戒律は教団内部での行動規範に限られるけれども)を受け入れておりません。そのため後になって、日本人僧侶の懇請を受けた鑑真和上が、戒律の伝道のためだけに、非常なご苦労を重ねて来日しています。
すなわち、儒教・仏教の伝来当時の日本人の信仰は、漢字伝来まで文字を持たなかったことも手伝って、宗教的にさして体系化され、高度化されてはいなかったのではありませんでしょうか。神道が教義を欠くことについて、「神ながらに言挙げせず。」とされますけれども、そのことは神道の発生経緯が判らなくなってしまってから付会された解釈ではありませんでしょうか。
およそ、宗教や信仰は人類の作り出したあらゆる主義・主張のなかでも最も強固な独自性・排他性を有するものでしょう。したがって、異なる宗教同士の接触は摩擦を生みやすい。また、逆に強力な宗教の伝来により、既往の土着宗教が新たな外来宗教に吸収されてしまうことは、人類史上しばしば見受けられるところです。
ところが、強力な宗教や明確な教義を持たなかった日本人は、仏教伝来に接して、蘇我・物部戦争などをも発生させはしましたけれども、おおよそ平和的に仏教を受け入れております。ただし、日本人は伝来した仏教をそのまま丸ごと受け入れることをしませんでした。その多くに少なからぬ修正を加えております。また、仏教を受け入れても、古来のアニミズム・シャーマニズムによる信仰の対象を新来の仏神に置き換えることをしませんでした。これらは神道として生き残り、多くの日本人の信仰の底流であり続けました。神仏混淆(こんこう)です。
次いで、神仏習合が生まれ、本地垂迹説(ほんぢすいじゃくせつ)が生まれるなど、全く異なる宗教同士の融合を行なっております。神仏習合は聖徳太子が取り入れたとされ、その後、神宮寺(じんぐうじ)と言う寺と神社の機能を併せ持つ寺院が各地に建立されました。このような宗教の融合事例は比較的珍しく、寛容や他種の文明の容認など日本文明の持つ特異性の一つでありましょう。
2.その後の日本における仏教は独特の変遷を遂げて来ております。伝来当初の仏教は国家の安泰を祈願する「国家鎮護の仏教」であり、専ら貴族階級の宗教として存在しました。その後は誰にでも実践可能な勤行を求めて「易行化(いぎょうか)」し、一般庶民への普及を遂げて行きました。そのことは、天台宗において最澄が戒律を大幅に軽減し、出家者に対するばかりでなく在家者向きの性格を帯びさせたことに始まります。
鎌倉時代に入ると、修行や戒律を重視する既成の仏法に対して、法然、親鸞や一遍らは誰もが実践できる勤行(ごんぎょう)として「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」を説きました。つまり、阿弥陀如来の本願により貴賎男女を問わず誰もが極楽往生できるとし、そのことへの感謝の印として念仏を唱えるとしたものです。
戦国時代の一向一揆を経験した江戸幕府は、民衆の信仰を管理統制するために、寺院諸法度(はっと)、本末制度、檀家制度などを定めました。これらは個人の信仰に介入するもので、寺院は幕府管理下で権威を保ちましたけれども、仏教そのものは宗教活動として形骸化して行きました。仏教の勤行・葬祭は宗教としてではなく、世俗的習慣として、「世の習い」の一環として、実施されることとなって行ったと言えましょう。
仏教の教義も戒律も僧坊の内に止まるのみであって、一部の熱心な信者を除けば、一般の日本人がそれらに影響されるところは大きくありませんでした。また影響されたとしても、教義や戒律が「世の習い」の一部と化していて、それらを通じての影響であったと考えられます。
他の多くの民族にあっては、形象性の高い特定の神や特定の神の代理人を信仰する、宗教重視の文明である事例が多い。そして、その歴史において、また現代においても、宗教や宗教的戒律が社会的に特別な力を持つことが多い。それに対して、日本人の歴史において宗教が社会的に特別な力を持った時代は比較的少のうございました。ただ、戦国時代の一向一揆、江戸時代に入っての島原の乱などが見られるのみです。これらの抗争の時代が宗教の先鋭化を招いたのでしょう。しかし、そのような一部の例外的時期を除けば、日本史上に宗教的抗争はあまり見られません。日本人の文明は、原初のアニミズム、シャーマニズムを捨てることなく、宗教に人間生活の不安解消と安心立命以上の効果を求めることなく、穏やかな原始の信仰を保ち続けた文明であると言えましょう。
大部分の現代日本人は、特定の神や特定の神の代理人を信仰するのではなく、自己を成り立たせている自然万物の全て、人間社会の全てを抽象化した「世間」を信仰の対象とします。たとえば、キリスト教徒の食前の祈りが神への感謝であるのに対して、日本人の「頂きます。」は、料理を作った人々、食材を作った人々、食材そのもの、食材を育(はぐく)んだ自然万物に対する感謝です。また、行動規範として宗教的戒律を採用することなく、「世の習い」という社会的慣習に従っています。「世間に顔向けができない」、「バチがあたる」、「もったいない」、「皆様のおかげ」は、そのような日本人の信仰告白です。宗教的色彩を帯びた祭祀(さいし)、勤行(ごんぎょう)、参詣(さんけい)、葬祭などを実行しますけれども、それらは単なる生活習慣でしかありません。
一般的な宗教のように特定の神や特定の神の代理人を信仰対象とはしないため、大部分の現代日本人の信仰には普遍性があり、異同がありません。そのため、宗教固有の偏狭性を免れており、独善的で立証不可能な主観をもって他者を攻撃する副作用が全く含まれておりません。また、人間生活を成り立たせている自然万物の全て、人間社会の全てを信仰対象とするため、極めて人間的であり、宗教固有の非人間性を免れております。ひょっとすると、日本人の信仰のあり方こそが、今後の人類文明の進展に最大の寄与を示すこととなるのではありませんでしょうか。
3.他の多くの民族の宗教が成文律的であるのに対して、日本人の信仰は不文律的であり、黙示的であるようです。
宗教は一般に次ぎの諸要素から構成されます。
@超自然的存在である神の存在の確信と帰依(きえ)による信仰
A教義およびそれらを明記した教典
B神の代理人および信仰者らの集合からなる教団組織
C信仰の証明となる祭祀(さいし)・勤行(ごんぎょう)の実行と戒律の遵守
D信仰に対する神の恩寵と不信仰や破戒に対する神や神の代理人による制裁
ところが、多くの日本人の場合、自然万物の全て、人間社会の全て(したがって、「やおよろず」)を超自然的存在として漠然と信じて、帰依による信仰を所有しますけれども、特定の神・教義・教典・教団組織・特定の神の代理人を持ちません。たとえ氏子や檀家ではあっても、教団組織と言えるほどの確たる宗教的色彩を持ちません。そして、葬儀、法事、祭典、クリスマスなど雑多な祭祀・勤行を世俗的社会慣習として、「世の習い」として、実行しております。
行動規範についても、宗教的戒律によることなく、専ら世俗的社会慣習である「世の習い」に従っております。ときに、外国人から「宗教的戒律を持たない日本人が、なぜ道徳的で居られるのだろう?」と、不思議がられるようですけれども、「世の習い」は宗教的戒律と比べて、より根源的であり、より人間社会的であるから、当然でありましょう。
端的に申し上げれば、大部分の現代日本人は、信仰心は持っているけれども、宗教は持っていないと申せましょう。