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(転送・転載を歓迎します/アマゾンの書評より)
アウシュヴィッツ収容所―所長ルドルフ・ヘスの告白遺録 (1972年)
ルドルフ・ヘス著
この「告白遺録」は、本当にヘスが書いた物だろうか?, 2009/3/30
第二次大戦中、ドイツがユダヤ人を差別、迫害した事は明白である。しかし、それでは、戦後、連合国側から発表された事柄は、全て、疑ふ余地の無い真実ばかりだったのであろうか? この本が、良い例である。本書に収められた「告白遺録」は、アウシュヴィッツ収容所の所長(司令官)であったルドルフ・ヘス(Rudolf Hoess:1901-1947)が、戦後、共産主義ポーランドで処刑された後、その共産主義ポーランドから、「ヘスが処刑前に書いた回想」として一方的に発表された文章であるが、ポーランドがこの文章を発表したのは、ヘスの死後11年を経ての事である。その原本は、鉛筆で書かれて居る事をフランスの研究者プレサックは指摘して居るが、この文章は、本当に、ヘス(Hoess)が書いた物なのだろうか?内容について言へば、例えば、ツィクロンBを投げ込んだ処刑用ガス室の扉が、処刑開始後30分後に開けられたと言ふ記述が有る。しかし、これは、長時間(最短でも5時間)に渡って猛毒の青酸ガス(HCN)を遊離するチップ(パルプ片など)であるツィクロンBの物性から考えて、到底信じる事の出来無い記述である。−−投入後30分では、ツィクロンBのチップ(パルプ片など)は、猛毒の青酸ガスを遊離し続けて居る最中である。もし、その段階でガス室の扉を開けたら、青酸ガスが外部に広がって、ガス室の外に居る作業員やドイツ人の生命は無い。−−こうした事から考えて、共産主義政権が、本人の死後11年も経って一方的に発表したこの「告白遺録」が、真実、ヘスによって書かれた物だと思へないのは、私だけだろうか?
(西岡昌紀・内科医/パレスチナの土地の日に) コメント | ブックマーク
(この書評は、私のインティファーダです)