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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu188.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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当時ナチス支配下の地に住んでいたユダヤ人は約300万人なので600万人
を殺すのは物理的に不可能で、人類史上最悪の犯罪を作り上げたのです。
2009年3月17日 火曜日
◆現代史についての雑文その14 ホロコースト神話 3月7日 KNブログ
http://kn2006.blog66.fc2.com/blog-entry-513.html
このように、「平和に対する罪」でもどうも雲行きが怪しくなってきたため、戦勝国側では、とにかくナチスはもう理屈抜きで信じられないくらい悪い奴らで、多少異常な手続きを使ってでも断罪しなければいけないという空気を作って、その上で裁判のシステムそのものを前例の無いほど戦勝国側に都合の良いものにして、戦勝国の罪を全部不問にしてしまおうと画策するようになりました。
そのために利用されたのが、ナチスがユダヤ人を計画的に100万人単位で大量虐殺してユダヤ民族の絶滅を図っていたというおどろおどろしい疑惑でした。そうした真偽の定かでない怪しげな噂は大戦中から戦時プロパガンダの一種として連合国側の国々で流布されていました。それを事実であるかのように偽装することにしたのです。
実際はナチスは1942年以降はユダヤ人を強制的に主に東欧の各地に設置した強制労働収容所に集めて、そこで対ソ戦用の軍需物資を作らせていたのでした。それは強制労働の場であると同時に、対ソ戦争の勝利の後はユダヤ人をロシアの地に追放するための一時的収容施設でもあったのであり、後年言われているような絶滅収容所ではありませんでした。
ただナチスが過酷な環境で収容ユダヤ人をひどく非人道的な取り扱いをしたために、伝染病の流行などもあって50万人以上のユダヤ人が病死や過労死、虐待による暴行死などしてしまったのは事実で、これはこれで極めて非道で許されざる人権抑圧事件なのですが、戦後言われたようなガス室や焼却施設などで計画的に処刑をしていったようなものではありませんでした。
ナチスがユダヤ人を迫害しており、収容所に叩きこんだりしていることは連合国側でも知られており、そうした噂に尾ひれがついたような大袈裟な話が大戦中から流布されており、それは毎日大量にユダヤ人が銃殺されているとか、毒殺用の部屋があるなどという恐ろしげな話でした。
これらのユダヤ人収容所は大戦末期に連合国軍によって解放され、収容されていたユダヤ人たちは救いだされておりましたが、これらの収容所はソ連軍占領地域に多く、ソ連軍はこの収容所の実態を隠した上で、反ナチス宣伝のために、これらの収容所でユダヤ人が大量処刑されていたという誇大な嘘を言い立てていました。
そこで戦勝国側はこうした噂話を極大化して、ナチスがユダヤ民族の絶滅を図って強制収容所で膨大な数のユダヤ人を処刑し続けていたという物語を作り、これを「人道に対する重大な挑戦」と位置づけ、人間の尊厳を守るために断固としてこのおぞましい犯罪と戦わなければならないと大いに人々を扇動し、ニュルンベルク裁判をこうした「人道に対する罪」という今までに存在しなかった特別の罪状を裁く「人類の法廷」であると定義して神聖化し、このような人類史上稀に見る極悪犯罪を裁く法廷はかつて存在しなかった特別なルールに則ったものでなければいけないと強弁したのでした。
こうして作られたニュルンベルク裁判のルールにおいては、ナチスによるこうした極悪の犯罪行為を裁くことが決して疎かになってはいけないという理由から、ナチスの犯罪のみを裁く場とされ、ナチスの犯罪を相対化したり相殺してしまうような戦勝国側の犯罪は免責されるものとされました。
その法的根拠として、ドイツは無条件降伏したのであるから、未だ講和が結ばれていないドイツと戦勝国の間は未だ戦争状態が継続しているのであり、それゆえニュルンベルク裁判は戦争行為の最後の段階である国際軍事裁判であり、例外的な裁判なので従来の裁判のルールに縛られないとしました。
戦勝国による軍事裁判であるのだから、ドイツは戦勝国の捕虜の立場にあり、戦勝国が自らの管理下の捕虜であるドイツを裁くことは合法であると解釈されました。そのため裁判官は戦勝国の人間のみによって構成されており、戦勝国が敗戦国を裁くという、著しく公平性を欠いたものとなりました。これは厳密には正式な裁判ではなく、戦勝国による政治ショーでした。
また、検事や尋問官や裁判スタッフなどにはヨーロッパにおいてナチスに迫害されてアメリカに亡命し、アメリカ国籍を取得したユダヤ人が大量に紛れ込んでおり、この裁判は極めて陰湿で不健全な復讐裁判の様相を呈しました。被告の自白はほとんどが逮捕や尋問の際の拷問によって得られたもので、自白を得るためでなくても拷問は日常的に行われていました。
また、被告の家族を人質にとって、家族に危害を加えるという脅迫によって自白を引き出すこともしばしばでした。もちろんこうした拷問や脅迫によって得られた自白に真実性は乏しく、最初から外国語でタイプ打ちされた供述書の署名欄に無理矢理サインさせられるようなものがほとんどでした。
そもそも新たに罪状に含められることになった「平和に対する罪」「人道に対する罪」は、この裁判において新たに発明された罪であり、刑罰というものは犯罪行為が行われた時点で存在した罪に対してのみ科せられるという「法の不遡及の原則」が近代法においては大原則として存在するのですから、ニュルンベルク裁判はこの大原則に完全に反しています。この一点だけでももうこの裁判は近代的な裁判の体をなしていないといえます。
さらに言えば、この裁判には被告となったナチス高官に一応は弁護士もつけられましたが、弁護活動は起訴事実に関することだけに限定されており、それ以外のこと、例えば戦勝国側が犯した戦争犯罪や侵略行為など、要するに連合国に不利になるような内容について言及することは禁止されました。
また、検察側スタッフは裁判資料を自由に閲覧出来たのに対して、弁護側は裁判資料を閲覧することは許されず、検察側の証人への反対尋問の機会もほとんど与えられませんでした。一方、弁護側の証人はいきなり不当な理由で退廷させられたり出廷を禁じられたり、脅迫を受けて出廷出来なくなったり文書を押収されたり検閲されたりすることが多々ありました。このように裁判所スタッフもグルになって淫靡な形で集団リンチのようなものが行われていたのが実態でした。
また、証拠の採用基準というものが存在せず、法廷に提出された証拠は戦勝国によって構成される裁判官の恣意によって取捨選択され、大抵は被告側の提出した証拠は却下された一方、連合国の当局やソ連の人民委員会などによって提出された証拠は捏造された紙切れでもなんでも、全く何の証明も必要なく、フリーパスで採用されていきました。
例えば1939年にソ連軍がポーランドを侵略した際にポーランド軍将校捕虜4000人余りをカチンの森に連行して虐殺し埋めた犯罪を、1941年にドイツ軍によって行われた犯罪だとする捏造報告書がソ連によってニュルンベルク裁判に提出されましたが、これもフリーパスで採用されました。
これが実はソ連軍による犯罪だということはアメリカ軍は知っていましたが、ルーズベルトはその事実を隠蔽するよう指示し、真実を告発しようとした米軍将校がサモア島に左遷されるという事件もありました。さすがにアメリカやイギリスはこの明らかな捏造を支持せず、この事件はニュルンベルク裁判ではまともに審理はされませんでしたが、ソ連の捏造を非難することはなく、こんな明らかな捏造文書ですら証拠としては採用されてしまっているのであり、まぁその程度の法廷であったということです。
しかし、カチンの森事件がニュルンベルク裁判で審理されなかったのは、それが単にソ連の犯罪を隠蔽するための捏造であって、ナチスの犯罪性の証明において主要な要素ではなかったからです。この異常なる「人類の法廷」の数々の逸脱行為を正当化する根拠となっている、「ナチスによる人道に対する重大な挑戦」の基幹部分を立証するための捏造に関しては、連合国はちゃんと一致団結して莫大な情熱を傾けたのでした。
それがユダヤ人大量虐殺事件、いわゆるホロコーストで、実際は強制労働収容所で過酷な労働を強いられたためにナチスによって殺されたユダヤ人の人数は50万人以上、多くても100万人には達さない程度なのですが、それがニュルンベルク裁判に持ち込まれた段階では、「ユダヤ民族の絶滅を企図したヒトラーの指令によって600万人のユダヤ人が絶滅収容所で青酸ガスなどを使って計画的に虐殺されていった」という壮大かつ残酷極まりない物語に発展していました。
このような史上例のない凶悪犯罪を裁く法廷であるからこそ、史上例のない(少なくとも近代文明の法体系下においてだが)ほどの残酷な集団リンチのようなこのニュルンベルク裁判という代物もやむをえないものとして許容されていたのです。
しかし、まずユダヤ人を計画的に大量殺害して民族絶滅に至らしめるというヒトラーやナチス上層部からの、いやそれ以外からのものも含めてその類の指令書、その他関連文書などは現在に至るまで一切発見されておりません。また連合国の主張する絶滅収容所なるもののリストのうち、幾つかは稼働していた時期が被告や証人の自白によって得られた証言にあるものと違っていたり、そもそもそんな収容所は存在していなかったり、大量虐殺用のガス室などの施設が存在していなかったりしており、最も主要な施設とされたアウシュヴィッツの収容所はソ連軍が管理して一切部外者を入れなかったためにソ連から提出された報告書の内容のみが事実と認定されました。しかし後年の調査でやはりガス室のようなものは無かったし、遺体を焼く焼却炉も大量虐殺のペースに追いつくようなものではなかったということが判明しています。
関係者の証言も拷問によって得られたものや、明らかなスパイによる証言など、およそ信憑性のあるものではなく、そもそもその殺害の手口とされた青酸ガスによる殺害方法はおよそ現実的なものではなく、もはやニュルンベルクで言われていたような意味でのホロコーストというものは捏造であると断定していいでしょう。戦後から現在に至るまでヨーロッパではこのホロコーストを検証する議論自体が法律で禁止されていますが、だいたいは議論自体を禁止する場合は、禁止する側の言い分のほうに信憑性が無いというのが通例です。
このホロコーストの神話は、カチンの森事件をドイツ軍の仕業とする証拠が正当であると認められた程度のいい加減な法廷において、同じようないい加減な手続きで正当だと見なされた程度の証拠から生まれた神話であり、それ以外にホロコーストを真実だと立証する証拠はそれ以降1つたりとも見つかってはいません。
ナチスドイツの作った強制労働収容所に連行されたユダヤ人たちが過酷な環境で重労働を強いられて、不衛生な環境下での伝染病の蔓延などもあって50万人以上が殺されたのはナチスドイツによる極めて悪質な犯罪行為であり、これだけでも現代を生きる私などには十分に「人道に対する重大な挑戦」だと思われますが、当時の戦勝国の指導者たちはそれだけでは十分ではないと思ったのか、非現実的な御伽話のような嘘を真実の上に塗りたくって、逆にその真実性に傷をつけてしまったのでした。おかげでナチスの犯罪を免罪しようという言論に妙な正当性を与えてしまっているのが現状なのです。
何故、彼ら戦勝国の首脳たちはそんな余計なことをしてしまったのかというと、単に敵対する集団を収容所に入れて重労働させて大量に殺したりする程度の事は彼ら自身もいくらでも身に覚えはあり、むしろ彼らのしでかしてきた数々の「戦争犯罪」「平和に対する罪」「人道に対する罪」の中では他愛ない部類に属する程度のものであり、そんな程度の罪をもってナチスの犯罪のみを人類史上最悪のものとして持ち上げて、自分達の犯罪を隠蔽するには不足していると判断したからでした。
これは全く正しい判断であったと思います。何せ彼らは、第二次大戦の期間中だけでもナチスドイツの何十倍もの強制収容所を国内に作り国内外から強制連行してきた数千万人の人間に奴隷労働を強いて数百万人を殺したり、無差別絨毯爆撃によってドイツと日本で80万人も民間人を殺したり、原子爆弾を投下して2日で30万人の民間人をむごたらしく殺したりして、れっきとした「人道に対する罪」を犯していたわけですから、こんな程度のナチスの犯罪行為ではそれらの印象を薄くして隠蔽することは難しかったでしょう。
当時、最も残酷な兵器だとされていたのは毒ガスでした(原子爆弾は一般にはまだそれほどメジャーな存在ではなかったのです)。だから、ナチスによるユダヤ人強制収容所における大量虐待死事件という事実に、毒ガスという要素を加えてより残酷な装いを施し、更に犠牲者の数を600万人という天文学的数字(当時ナチス支配下の地に住んでいたユダヤ人は約300万人なので600万人を殺すのは物理的に不可能)に膨れ上がらせて、人類史上最悪の犯罪という神話を作り上げたのです。
この神話を戦勝国の強権で大々的にプロパガンダして、自らの「人道に対する罪」に関しては徹底的に情報操作で隠蔽し、そうした情熱的な努力があってこそ、この常軌を逸した無茶苦茶な裁判という名の茶番、いや政治ショーが成立し得たのでした。
(私のコメント)
日本人は戦後教育のおかげで、日本史や世界史における近現代史をほとんど知りません。小学校から高校までの歴史教育は明治維新で終わってしまって、近現代史は三学期の終わりごろに駆け足で通り過ぎてしまう。だから現代に日本人の多くは大正時代や昭和初期のことはブラックホールになってしまっている。
戦後間もない頃は、大正時代や昭和初期の事は皆が生きていた時代ですから皆知っていた。しかし最近になると大正時代や昭和初期の事を知る人は僅かになり、その頃の証言を得る事が難しくなっている。しかし戦前に生まれ育った人は大東亜戦争の敗戦のショックで茫然自失となり、戦前や戦中の事はあまり話したがらない。
話せば、「なぜ負けると分かっている戦争を始めたのか?」と問われて答えに窮してしまうからだ。さらに当時の状況は新聞などもプロパガンダ一色であり、大本営発表のニュースは嘘ばかりだった。だから戦後のGHQが流すプロパガンダに簡単に騙されてしまった。その影響は現在まで続いており、だから真実の歴史教育がなかなか行なわれにくい状況になってしまった。
中国人や韓国人などから日本人は近代史を知らないとお叱りを受けるのですが、戦前から戦後に至るまでプロパガンダにだまされ続けたのだから、近現代史を胡散臭く思うのは仕方がないのだろう。南京大虐殺にしても従軍慰安婦にしてもプロパガンダだと思うのですが、当事者の兵士や日本人慰安婦はなぜ証言しないのだろう? 実際には無かったから証言しようが無いのだろうか?
昨日も書いたように戦勝国は日本をナチスドイツと同一視して東京裁判を開きましたが、ドイツのニュルンベルク裁判はナチスドイツは消滅しており、戦勝国で裁判を開くしかなかった。国家が消滅しているから講和もしようが無く、戦時捕虜を裁く戦時裁判となった。
ところが東京裁判は日本政府が存在しており、その点がニュルンベルク裁判と異なるのであり、日本政府は戦勝国だけによる裁判に対して抗議はしたが法廷によって却下されてしまった。本来ならば日本人戦犯は日本政府の手によって裁かれるべきであり、戦勝国だけによる裁判は単なる報復になってしまう。
イラク戦争では、サダム・フセインはイラク政府の裁判によって死刑になりましたが、米英の裁判官がサダムフセインを裁けばフセインは英雄になってしまう。だから戦勝国による東京裁判で極刑に処せられた東条英機や廣田弘毅は靖国神社に祀られて、永代にわたって国のために殉じた英雄として祀らなければならない。だから東京裁判では1人ぐらい日本人裁判官を入れておくべきだったのだ。
日本政府が存在していながら、日本人戦犯を戦勝国だけで裁くという事は不当であり、日本政府は連合国の戦争犯罪も取り上げて裁かせるべきだった。大東亜戦争は日本軍への無条件降伏であり、日本政府は連合国に無条件降伏したわけではない。だから不当な裁判は日本政府は厳重抗議すべきであるのですが、敗戦ショックで日本の政治家は腰抜けになってしまった。
その状況は今でも続いており、学校の歴史教科書にも反映している。だから中国や韓国などから歴史問題について抗議されると日本の政治家は事実を確かめようともしないで謝罪と反省を繰り返している。まさに戦後における日本の近現代史はタブーなのであり、事実を解明して明らかにする事は戦勝国に対する反逆行為になってしまう。
この事は日本ばかりではなく、ドイツに対しても戦勝国は徹底的な歴史改造を行なって、600万人のユダヤ人大虐殺についても、歴史的な検証を行う事は許されていはいない。ユダヤ人の大虐殺については、私はよく分からないのですが、対戦中に多くのユダヤ人強制収容所が作られて多くのユダヤ人が死んだことは知ってはいても、ユダヤ人を殺す動機が良く分からない。
戦争中なのだから1人でも多くの兵士や労働者の動員が必要であり、ユダヤ人を殺すよりも労働者として兵器などの生産活動に従事させていた方が合理的だ。ガス室で殺して遺体を焼却すれば多くの燃料もいる。ユダヤ人がナチスドイツにゲリラ的抵抗をしていたのなら殺すことはありえるが、ユダヤ人が大規模な組織的抵抗した事はない。
KNブログで書かれているように、強制収容所で過酷な労働を強いたのだから、多くの死者が出た事は間違いが無い。不衛生な環境では伝染病などが流行って多くの病死者も出ただろう。大戦末期になれば食料なども無くなって餓死者がかなり出ただろう。しかし600万人が虐殺されたというのは本当なのだろうか? 当時のナチの占領地域ではユダヤ人は300万人程度だとするならば辻褄が合わない。
同じような事は、南京大虐殺にも言えるのですが、戦争が行なわれた南京市に30万人も残っていたのだろうか? 占領した日本軍に30万人も殺せるだけの武器弾薬があったのだろうか? 中国では南京大虐殺の記念館を中国全土に作って展示していますが、日本政府は事実を解明して抗議すべきなのだ。しかしそれが出来ないのは戦勝国によって作られたプロパガンダを覆すことになり、アメリカをはじめとする戦勝国はそれを恐れている。
むしろ連合国のほうが、日本市民への大虐殺を行なっており、3月10日の東京大空襲では10万人もの人が亡くなっている。広島長崎への原爆投下など連合国は50万人もの日本の非戦闘員を殺しているが、東京裁判ではこれらは却下されて封じられてしまった。ニュルンベルク裁判でも同じであり、連合国が行なった虐殺行為を覆い隠す為にユダヤ人大虐殺が捏造されたのであり、アウシュビッツの収容所だけでも400万人が殺された事になっていますが、最近では150万人に修正されている。
◆「400万人」が「150万人」に訂正された「アウシュヴィッツ記念碑」
http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hb/a6fhb802.html
1990年7月17日付のポーランドの連帯系の『選挙新聞』が、「アウシュヴィッツ収容所博物館」による調査結果として、400万人に上るといわれたナチス・ドイツの「アウシュヴィッツ収容所」の犠牲者は、じつは約150万人レベルだったことが判明したと発表した。
同博物館の歴史部長によると、調査で確認された犠牲者の数は計約110万人。内訳はユダヤ人が96万人、ポーランド人7万5000人、ジプシー(ロマ)2万1000人、ソ連兵捕虜1万5000人など。死のキャンプからの生還者は22万3000人だったという。
また、イスラエル共和国の「ヤド・バシェム・ホロコースト記念館」も、実際は100万程度であるとして、下方修正した。さらに、同記念館のイェフダ・バウワー教授は、「ナチスが人間の脂肪から石鹸を作ったことはなかった」と発表した(1990年)。
このことは、日本国内の一般人にはあまり知られていない事実である。
犠牲者数が「400万」から「150万」に
訂正された「アウシュヴィッツ記念碑」
見てお分かりのように、しっかり
「ONE AND A HALF MILLION」と刻み直されている