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「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」
<追記>この記事は、2009年10月1日付で公開したものです。なお、リンク先では、署名いただいた方のお名前を随時追加しています。
ありがたいことに、有志の方々から標記の共同声明文をいただいたので、「資料庫」に掲載した。詳しくはリンク先を参照のこと。より多くの方々から署名をいただきたく思うので、是非ご署名願いたい。
「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」
http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-23.html
●関連
「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」
http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-23.html
私たちは、昨今、『世界』『週刊金曜日』その他の「人権」や「平和」を標榜するメディア(以下「当該メディア」)が、右翼ないし国家主義の論調に対して歩み寄りを見せていることに深い憂慮と疑念を抱いています。それを象徴する現象が、「右翼」「国家主義者」を自称する佐藤優氏の積極起用です。
私たちは、佐藤氏の積極起用が、縮小する一方の「論壇」の市場を回復しようとしてなのか、「脱冷戦」の意味を単に「左右の歩み寄り」と読み誤っているのか、その理由をはっきりとは知り得ません。しかし佐藤氏は、言論への暴力による威圧を容認し、イスラエルの侵略・抑圧行為や在日朝鮮人の民族団体への政治的弾圧を擁護する等の、決して許容できない発言を、数多くの雑誌・著作物で行っています。当該メディアが佐藤氏を積極的に誌面等で起用することは、人権や平和に対する脅威と言わざるを得ない佐藤氏の発言に対する読者の違和感、抵抗感を弱める効果をもつことは明らかです。私たちは、佐藤氏の起用が一体どのような思考からもたらされ、いかなる政治的効果を持ち得るかについて、当該メディアの関係者が見直し、起用を直ちにやめることを強く求めます。
そうした問題を鋭く提起したのが、金光翔氏(岩波書店社員)の「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号、2007年11月)でした。ところがこの論文掲載をきっかけに、『週刊新潮』が金光翔氏を槍玉にあげる記事を公刊しました(2007年12月6日号掲載の記事「「佐藤優」批判論文の筆者は「岩波書店」社員だった」)。佐藤氏は、その記事のなかで、同論文を「私が言ってもいないことを、さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容」だなどと中傷しています。これは、市民の正当な言論活動を萎縮させかねない個人攻撃です。私たちは、これも<佐藤優現象>の一つだと考えます。それに対し、金光翔氏は『週刊新潮』と佐藤氏が名誉を毀損したとして提訴しました。私たちは『週刊新潮』の報道に強く抗議するとともに、現在の言論の状況に対して一石を投じたこの訴訟への注目と、金氏への支持を広く呼びかけるものです。
2009年10月1日
【署名者(50音順)】
板垣竜太(同志社大学教員)
ichigeki(「一撃筆殺仕事人:佐高信先生追っかけブログ」)
「当ブログは佐藤優氏の週刊金曜日における擁護者である佐高信葛燉j日社長の情報を扱うものです、しかしながら「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」に賛同いたします。声明文にあるように平和、護憲を標榜する言論機関が右翼、国家主義者たる佐藤氏を必要以上に重んじることは言論界における「平成翼賛体制」への道といわれても仕方がないと当ブログ管理者も考えます。/そればかりでなく、金光翔さんは佐藤氏を重用するある言論機関名門企業の一社員でありますが、自身の「佐藤優現象」を批判する言論発表が会社や労組ににらまれ、以前の職場であったまさに花形部署から自ら異動願いを出すことを余儀なくさせられてしまいました。これは会社全体からのパワーハラスメントに他なりません。人権、平和、護憲を代表する言論機関であるはずの当該の会社が一社員にこのような人権侵害とも思えるようなことを行なうことは許されてよいはずがありません。日本の企業社会を批判する佐高信氏のファンとして金さんの活動への共同声明に賛同するのは自然なことです。/佐高氏をも批判の的とする金さんを佐高ファンが支援することを訝しむる向きもあるでしょうが、ファンであるからこそ批判者からの声を真摯に受け止めなければなりません。これこそが佐高氏の著作名にもある「逆命利君」にも通ずる考え方であります。」
lmnopqrstu(ブログ「lmnopqrstuの日記」)
姜徳相(近代史研究者)
高和政(文化批評/高校教員)
小林知子(朝鮮史研究/大学教員)
駒込武(台湾近現代史研究/大学教員)
「「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」に賛同し、署名いたします。佐藤優氏の議論が「ファッショナブル」なものとしてもてはやされる状況の中で、今日の世界をめぐる情況に対して真にクリティカルな議論が見えにくく、聞こえにくい事態が生じてしまっています。それは、<書き手>の側の問題でありますが、同時に、知の流通過程において一定の権力を行使する<編集者>たちの知的怠慢、あるいは知的衰弱の問題でもあります。植民地主義や性差別主義、貧困など痛みに満ちた現実とのかかわりの中で、組織的な暴力に抗しながら発せられる声を広く共有できる空間を創造していくためにも、<佐藤優現象>と対峙し、これを批判し続けることが大切だと思います。」
権赫泰(日韓関係研究者)
嶋田頼一(無職/元『情況』編集部)
「僕は、2004年から2005年頃の間、『情況』編集部で働いていました。その頃活躍し始めた佐藤優について、たしか「フォーラム神保町」での講演をきっかけに、編集部およびその周辺で熱心な会話がなされたり、編集部に近い知人が新たに佐藤優の講演会を企画するようになりました。しかし個人的にインテリジェンスに欠けているせいか、それらまわりの(元)新左翼の人たちが、なぜそれほど佐藤優に「萌え」ているのか理解できず、反応のしようがありませんでした。そして僕が辞めてからですが、白井聡氏や和田春樹氏との対談・座談会を契機として、佐藤優氏が誌面に積極的に登場していくようになりました。/もともと『情況』が「平和的・進歩的」なクオリティマガジンと認識されるような雑誌であるわけでもなく、また辞め(させられ)た職場とはいえ、左右の媒体によって言葉を使い分けることがすでに知られている人間を、積極的に誌面に起用されていることに対して困惑を覚えていました。辞めて以降も付き合いのあった編集部の人間に、多少話したことはありますが、なにか結論があったということはありません。すでに僕自身は違う仕事に就き、そういったことを積極的に言葉にできる力もなく、もやもやを抱えていたなか、ほぼ同世代の金光翔氏による「〈佐藤優現象〉批判」が『インパクション』に掲載され、霧が晴れるような思いで何度も読み返すことになりました。/しかしまた、金光翔氏が再三指摘されているように、〈佐藤優現象〉は佐藤優個人の問題にとどまるものではありません。最近では、佐藤優と同時期に同じ国家論で活躍を始めた萱野稔人氏が、排外主義を容認する主張を繰り返しています。しかし、たいした批判は起こらず、人文・左派系出版社やインディーズ系労働組合が、出版物やイベントで彼を起用し続けています。こういった事態も、規模は小さいとはいえ、その〈現象〉の一変種のように感じています。/そういった思想と運動の両面において困難な状況が続くなか、金光翔氏は、いわゆる「論壇」とはべつの場所から、思考の地平を粘り強く切り拓かれてきました。職場・週刊誌によるさまざまな弾圧が報告されています。金光翔氏を孤立させず、新たな思想と行動へのきっかけとして、金光翔氏への注目と裁判への支持を、すべてのみなさんに訴えたいと思います。/岩波書店および岩波書店労働組合は、金光翔さんへの嫌がらせをやめろ!/佐藤優および週刊新潮は、非を認め金光翔さんにさっさと謝罪しろ!」
愼蒼宇(近代朝鮮史研究者)
ZED(同人誌即売会主催者)
「金光翔氏の闘争に賛意します。昨今の日本における右傾化により、在日同胞を含む多くの外国人に対する生活権の抑圧と人権侵害は悪化の一途をたどっています。日本の「左派・リベラル」と言われて来た言論機関がそれに歯止めを掛ける事を忘れて「佐藤優現象」にのめりこんで己を見失い、社会の右傾化にストップを掛けるどころか助長させているのは大きな原因の一つでしょう。一人でも多くの同胞がこの闘いを知り、立ち上がる事を祈ってやみません。」
鄭永寿
常野雄次郎(フリーター/ブログ「登校拒否への道」)
「金光翔さんが行ってきた的確な現代日本の政治状況に対する批判に、『週刊金曜日』をはじめ「左」派媒体・知識人は応答していません(「<佐藤優現象>批判」スルー現象)。また、金さんへの一連の言論弾圧にも目を背けることで加担しています。これは異常事態です。異常事態が異常と認識されていない異常に驚かなくてはなりません。このような理由から、「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」に賛同します。」
中野敏男(東京外国語大学教員)
早尾貴紀(社会思想史/大学教員)
檜原転石(ブログ「ヘナチョコ革命」)
「 <“イスラエル支援もの書き”のボイコットの勧め> 『週刊金曜日』の創刊号からの購読者である私は、毎月第4週の発行号の4頁を占領する佐藤優の誌面を、まともなもの書きに開放したらどんなに素晴らしいものかと夢想するのだが、それは文字通り夢想に終わりそうだ。/目の前の人種主義や植民地主義を擁護するもの書きが歴史の有名人と遊ぶのは勝手であるが、『週刊金曜日』といえば、今現在のパレスチナの無名の民のためにイスラエル支援企業ボイコットを呼びかけたのではなかったのか?それでいてイスラエル支援もの書き(佐藤優)の『週刊金曜日』連載を継続とは、呼びかけそのものが悪い冗談だったと思わざるをえない。/そういえば現在も『週刊金曜日』の編集委員の本多勝一は、過去にこんなことを書いている。 /▼本多勝一(編)『文筆生活者の方法』(晩聲社)[47 拝復 藤井篤様 本多勝一](p224)より―─お便りありがたく拝見しました。しかしながら、私が最も重大視している「大江式オオザッパ」の核心を、あなたもまた理解されていません。それは「他人に行動を呼びかけること」との矛盾です。文春に協力している文筆家でも尊敬できる人はいますが、彼らは他人に呼びかけたり大仰に「声明」を出したりはしません。大江氏がもし他人にこういうカッコいい呼びかけをやらないでいれば、「呼びかけられた側」の1人としての私はそれほど問題にしなかったでしょう。私にはこれほどひどい矛盾は耐えがたいし、日本以外の知識人にはたぶんありえないことだろうと思ったので、その整合性を問いただして私も学びたかったのです。******/《私にはこれほどひどい矛盾は耐えがたい》と本多勝一は言うのだが、大江健三郎のその矛盾(文春に協力しながら反核などを呼びかける)より遙かにひどい矛盾を『週刊金曜日』が今現在行っているのです。/たとえば南アのアパルトヘイトを擁護するもの書きに『週刊金曜日』が連載を持たせることなど絶対あり得ない。しかし『週刊金曜日』は、その南アより遙かに悪質なイスラエルを擁護する佐藤優には破格な扱いで連載を持たせる。ボイコットを呼びかけた当の『週刊金曜日』にとってもっとも有効なボイコットが、イスラエル支援もの書き(佐藤優)を切ることなど誰でも分かることなのだ。これは整合性の問題でもあるが、まず第一に道義の問題なのだ。イスラエル支援もの書きの佐藤優の連載において、イスラエル擁護の要旨がなければ問題ないというのなら、イスラエル支援企業のコカコーラの広告を『週刊金曜日』が載せても何ら問題がないことになる。コカコーラはイスラエル支援の広告文など『週刊金曜日』に載せないだろう。」
前田年昭(『悍』編集人)
松本武祝(東京大学教員/朝鮮近代史)
山本興正(大学院生)
「共同声明に賛同し、<佐藤優現象>に私も抵抗していこうと思っています。」
Yokoita(ブログ「横板に雨垂れ」)
「「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」に賛同し、署名いたします。これまでの<佐藤優現象>に対する金光翔さんの闘いには心からの敬意と共感をもっています。今回の訴訟も金さんを全面的に支持します。声明にある「佐藤氏の起用が一体どのような思考からもたらされ、いかなる政治的効果を持ち得るか」について、当該メディアの関係者が見直してくれることを望みますが、まずは「佐藤氏の起用が一体どのような思考からもたらされ」てきたのかを率直に語ってくれるメディアや個人がでてくることを願います。読者としての視点からみると、<佐藤優現象>に関わった組織や個人のだれもが単に存在感を喪失しただけのように思えます。」
吉沢樹(ブログ「media debugger」)
「正直言って、私はここ数年「当該メディア」をまともに読んでいませんでした。あまりにも無内容だと思っていたからです。けれど、金光翔さんの「<佐藤優現象>批判」を読み、その判断が間違っていたことを思い知りました。<佐藤優現象>を支えるリベラル・左派を単に見放すシニシズムは、かれらに
対抗する言説を模索するべき日本人としての責任から逃れようとする、内なる<佐藤優現象>ですらあったかもしれません。この訴訟が、それぞれの場で<佐藤優現象>と闘う人々の連帯を生み出すことを、心から希望します。」
吉澤文寿(大学教員)
rawan (会社員)
「「<佐藤優現象>批判」は、なぜ異様なほど単純に変質・転向していくメディア、ジャーナリズム、知識人がそこにあるかを、私に解き明かしてくれた論文でした。戦後、日本が超えようとしなかった「壁」の、その長き時間の経過の中で、まさにその「壁」に背を向けて視界から消し去って歩き出すという醜悪な共通認識の帰結には、断固、対抗しなければなりません。」
李相旭
<以上、24名(2009年10月3日現在)>
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