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ネット時代とジャーナリズム不信の関係を考える(3)―大メディアは独立メディアの育成・連携に動け― (桂 敬一)
http://www.asyura2.com/09/hihyo9/msg/485.html
投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 8 月 11 日 17:51:51: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.news-pj.net/npj/katsura-keiichi/20090808.html

  7月20日、角膜移植手術のため、急遽入院した。全身麻酔から覚めると、酸素マスクに眼帯、さすがに病室のテレビを見る気も起こらない。本も読めない。点滴が連日つづく。点眼、内服薬服用、検査の頻度も高い。これではベッドでぼんやり寝ているほかない。 FM、AM、テレビ音声がヘッドホンで聞けるポケット・ラジオをもっていったので、ニュースと音楽を聴くぐらいが、時間つぶし。ときはまさに総選挙。解散は21日。当然関心はニュースに向かう。しかし、各局の放送を追っかけて聞くうちに、なんだこれはと、愛想が尽きた。
  入院の20日、どの局も 「いよいよ明日は解散」 と、鳴り物入りで伝えた。そして、翌21日も 「今日は解散」、22日も 「昨日解散」 だ。一つのあめ玉を3回もしゃぶらすような騒ぎ方が、繰り返されるだけ。いくらなんでもこれではニュースがもたない。そこで各局とも、大雪山山系の高齢登山者遭難、山口・防府市の豪雨・土砂災害などの 「事件」 を、もっけの幸いとばかりもてはやす。どこもかしこも金太郎アメだ。鳩山民主党代表は今度の総選挙を 「革命的選挙」 と評した。また、どのメディアも、歴史的転換期のなかの総選挙と口では繰り返す。だったら、なぜそれほどの画期的な選挙なのかの意味を明確にすべきではないか。こんな体たらくだから、国民はメディアを見向きもしなくなるんだと、苛立ちが募る。

  アメリカのメディアはなぜ面白いのだろうか

  つまらないラジオ・ニュースを聞きながら、あれはとても面白かったのにと、3月いっぱいで終わってしまった、 TBS深夜ラジオの 「ストリーム」 (午前1時から) という番組のことを思い出した。ホストが小西克哉、DJが松本ともこ。とくに火曜日、アメリカ・バークレー在住の日本人ジャーナリスト、町山智浩がゲストとして登場する 「コラムの花道」 が面白かった。ライブで聞き逃しても、ホームページからの再送信をポッドキャストで聞くことができる。3月17日放送の分は、アメリカの娯楽ケーブルテレビ、コメディ・セントラルの人気トークショーのホスト、ジョン・スチュアートが、衛星チャンネルの経済テレビ・CNBC (経済通信・ダウジョーンズとネットワークテレビ大手・NBCの共同経営) で金融バブルを散々煽ってきた投資ジャーナリスト、リック・サンテリをこてんぱんに批判するのを紹介していたが、痛快このうえない。本来、日本のメディアも竹中平蔵あたりを、今この調子でたたきのめすべきではないか、と思わせられた。

  オバマが 「住宅ローンの払えない人への援助」 を提唱すると、サンテリは 「負け犬に税金を払うな」 と反対した。その一方で、「ベア・スターンズは買いだ」 「リーマンは大丈夫」 「メリルリンチの先は明るい」 「シティバンクの株はもっと上がる」 と、やがて破綻するこれら企業を持ち上げつづけてきた。スチュアートは、サンテリがCNBCでこのように叫んできた映像を証拠として突き付けるのだから、サンテリはグーの音も出ない。
  また、CNBCで過激な投資指導をやってきたジム・クレーマーへの批判も容赦ない。ゴールドマン・サックスにいたこともあるクレーマーは強気で知られた人物で、スチュアートの番組に出て反論を試みたが、スチュアートは、クレーマーがCNBCの持ち番組でカネや太鼓をガンガンたたき、「Buy, buy, buy (買いだ、買いだ、買いだ)」 と連呼する姿を映してみせたものだ。クレーマーは自分の非を認めざるを得なかった。スチュアートの番組はケーブルテレビ大手・CNNでも放送され、全米で多数の人がみている。オバマの 「CHANGE」 は、彼一人の弁舌で生じているのでなく、メディアのこのような変わり方や、それに対する市民の関心や支持の高まりによっても促されているのだ、と実感できた。

  町山智浩は、「コラムの花道」 最終回 (3月24日) で、オバマ政権に対するアメリカ保守派というより、右翼勢力からの攻撃についても考察を加え、興味深いレポートを試みている。共和党右派と密接な関係にあるキリスト教原理主義団体、クリスチャン・コアリションのリーダー、ジェリー・ファルウェルは、アメリカの右翼的なテレビ・ラジオを牛耳り、大衆に大きな影響力を及ぼしてきた。パパ・ブッシュ大統領時代のパウエル国務長官は、第1次湾岸戦争当時、アメリカはイスラム教を敵視することはない、と気を使っていたが、ファルウェルはこれに逆らい、真っ向からイスラム教徒に罵詈讒謗を浴びせつづけてきた。彼は07年、ブッシュ・ジュニア政権の崩壊を目前に死亡、右派言論は凋落するかにみえた。
  だが、右派もしぶとい。現在は全米の多数のラジオでラッシュ・リンボーのトークショーが人気を集めているが、それは反オバマを大きな特徴とする。もう一つが、世界のメディア王、ルパート・マードックのケーブルテレビ・ニュース、FOXニュースだ。どちらも共和党右派への肩入れを隠そうともしない。リンボーがリベラル派をやっつける語り口の面白さは大衆受けしているし、FOXニュースのメイン・キャスター、ビル・オライリーの口癖、反戦主義者や民主党支持者にすぐ向けられる 「シャラップ (黙れ!)」 は、鬱屈した気分を持てあましている視聴者の大きな気晴らしになっている。

  このように眺めてくると、オバマの 「CHANGE」 もけっして安泰ではなく、彼が大きな目論見について挫折し、無様なかっこうをさらすと、それを嘲笑し、思いきり悪罵の追い討ちを浴びせ、無責任な見物人の喝采を集めて力関係を一気にひっくり返そうとする動きが出てくることも、予想される。だが、アメリカの場合、親オバマ側も、反オバマ側も、下は草の根市民から上は政治家まで、またそれらのあいだに介在する大小さまざまなメディアも、自分たちの主張や、政治的な意味を伴う行動を、オープンに示す傾向を顕著にみせているところに救いがある。
  日本ではどうだろうか。政治風刺で人気を博しているコント集団、「ザ・ニュースペーパー」 は、大きいメディアに登場する可能性はほとんどない。テレビに痛烈な政治風刺番組があるのは、中国、北朝鮮を除けば、世界中どこの国でも当たり前のことなのに、この日本にはない。
  一方、衛星テレビ・チャンネル桜 (正式名は日本文化チャンネル桜) は、放送法第3条の2 (国内放送の放送番組の編集等。二項で 「政治的に公平であること」 を規定) に照らせば、田母上俊雄元防衛省航空幕僚長支持、 NHKのドキュメンタリー 「アジアの一等国」 (JAPANデビュー・シリーズの第1回。台湾の植民地経営問題が題材) に対する8000名を超える集団告訴 (損害賠償請求) 応援など、思いきり右寄りではないかと思われるのに、これらをメディアが大きな問題として議論する雰囲気もない。エッジの立った政治問題を、立場を鮮明にして議論するメディアがほとんどなく、民主か自民かなどの平板な選挙報道にうつつを抜かしているのが、日本のメディアの実情だ。これでは国民は、身近に親しいものとしてあるべき政治に、気付けない。

  「デモクラシー・ナウ!」という独立メディアに注目

  アメリカの政治的に自由でオープンな、多様なメディアの生態が認められる状況は、アクセス・テレビ、ウェッブ・テレビ (インターネット・テレビ)、コミュニティ・ラジオなどを、市民が自分たちの各種の運動の目的に添って自由に使いこなし、多様な社会的なコミュニケーションの場をつくり出している現実に負うところが大きい。そうしたメディアの動きや、その結果生み出される政治、経済、社会、文化などの新しい潮流を大きなメディア、メインストリーム・メディアも無視することができなくなり、主要な問題については自分たちも取りあげ、報じたり論じたりするようになっているところに、日本には見られないメディアの面白さが生まれるカギが潜んでいる。オバマの大統領候補としての台頭から大統領選勝利までの流れの基底にも、多様な市民的メディアの関わりがあった事実が無視できない。大きなメディアはむしろ、そうした潮流が大きなうねりに変わっていく節目を、可視化する役割を演じたに過ぎない。

  このような市民的なメディアの役割を考えるとき、北米650局以上のコミュニティ・ラジオ、衛星放送局、パブリック・アクセスTVチャンネルを含むケーブルテレビ局、インターネット・テレビ局などに毎日多くのニュースを配信している非営利の独立系テレビ局、デモクラシー・ナウ! (Democracy Now !) の存在とその活躍が注目される。その配信ニュース番組は、地方ラジオ局だったパシフィカ・ラジオの女性ジャーナリスト、エイミー・グッドマンが中心になって1995年に始めた 「戦争と平和のレポート」 という番組がもととなっている。グッドマンはその後独立、拠点をニューヨーク市チャイナタウンの地域メディアセンター・DCTV (ダウンタウン・コミュニティ・テレビジョン。元消防署の建物のなかにある) に移し、2000年からはテレビ・ニュースの配信を中心とするようになった。
  転機は2001年 「9・11」 だった。全米メディアが好戦的な世論に逆らえず、ブッシュ政権批判を控えるなか、グッドマンは 「戦争と平和のレポート」 を通じて反戦の姿勢を貫き、しだいに大きな支持を獲得していくこととなった。大メディアが出演させないエドワード・W・サイードやノーム・チョムスキーなどの知識人がデモクラシー・ナウ!に登場、ブッシュのイラク戦争に痛烈な批判を加えるのだから、世論に大きな影響を及ぼさないわけがないのだ。

  また、2008年秋のアメリカ発の世界金融危機は、それ自体が共和党政権のグローバリズムと新自由主義の落とし子だったが、デモクラシー・ナウ!は早くから、カナダの反グローバリズムの女性ジャーナリスト、ナオミ・クラインやインドの女性作家、アルダンティ・ロイを起用し、ブッシュ政権の経済政策、フリードマン路線やWTO・世界銀行の批判を展開、金融危機が起きるや、ナオミ・クラインと元連邦準備制度理事会 (FRB) 議長、アラン・グリーンスパンとの対談を実現したりしている。また、ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・E・スティグリッツに思うさま自由に語らせているのだから、面白くないわけがない。
  さらに、アメリカと中南米との対立の歴史は長いが、アメリカの大メディアのうえでは蛇蝎のごとく嫌われてきたベネズエラのチャベス大統領をインタビューに招き、対米改善についてしゃべらせたり、先住民初の大統領となったボリビアのモラレスを出演させてもいる。アメリカの大メディアがやらないことをやっているのだから、これまた注目を引かないわけがない。
  最近では、政府の温暖化防止政策に関する不作為に、ワシントンで若者が大きな抗議行動を起こしたことや、イスラエルの一方的なガザ攻撃も大きく報じ、世論の行方に一石を投じた。商業メディアにはスポンサーがついている。NPR (ナショナル・パブリック・ラジオ)、PBS (全米公共放送機構) などは国のカネをもらっている。これに対してデモクラシー・ナウ!は、多数の配信先メディアの視聴者の受信料・寄付と各種ファンデーションの出資だけで経営基盤を支えており、本当に独立メディア (Independent Media) といえる存在になっている点が重要だ。

  日本では、市民の自主的な運営による各種のメディアを 「市民メディア」 と呼び習わす動きが定着しつつあるが、その語感には、プロの大メディア、メインストリーム・メディアから見たらアマチュア、まともなジャーナリズムはできないみそっかす、とする響きがつきまとう。とくにプロ側、商業大メディアの側の差別意識、見下し方が甚だしい。
  だが、デモクラシー・ナウ!と、その配信を受けて成り立つのと同時に、見返りとしてデモクラシー・ナウ!に財政基盤を保障している膨大な数の非営利・公共のメディアの有機的な集団が、ともに独立メディアとして生き生きとした活動を展開、両者の結合したあり方全体が、現代アメリカの複合的なメディアの構成体の不可欠の一部となっている状況は、確実にメインストリーム・メディアのジャーナリズムにも大きな影響を及ぼしつつある。ジョン・スチュアートのリック・サンテリやジム・クレーマーに対する批判を、CNNも放送することとなるゆえんだ。
  また、ラッシュ・リンボーの極右的なトークショーやFOXニュースの到底ニュースとはいえない、露骨な共和党右派の片棒担ぎの番組は、独立メディアのケーブル・ニュースやインターネット・テレビが、容赦なくそのデマゴギーや手口の汚さを暴露、ほかの大メディアが視聴率目当てで似たようなことをやることに、歯止めをかけている。
  日本に今必要なのは、このような独立メディアの存在ではないか。

  日本の独立メディア育成と大メディアの役割

  独立メディアの擁立と育成にとって何が必要だろうか。これまで 「市民メディア」 の創成や運営に携わってきた人たちの意識変革や成熟が、もちろん第一に望まれるが、既存の言論報道メディアの側が、自分たちの生まれ変わりのためにも、多様な独立メディアとの提携がこれからは必要だ、と理解することも強く求められている。ジャーナリズムの新しい可能性を追求するために、多くの独立メディア、それらを運営する人々との共同作業の体制を意識的に構築するのだ。テレビ局だけではない。新聞社も出版社も、そうした体制づくりに努めなければ、まともな視聴者・読者から見限られてしまうことになるだろう。
  また、政治、経済、社会、文化などの、さまざまな問題を自分たちの課題とする普通の人々は、それらを小脇に抱えながら、それぞれふさわしい独立メディアを生み出し、これを武器として使い、問題解決に利用しているが、彼 (彼女) たちが、とりわけインターネットを効果的に活用している点を、とくに重視したい。
  これまでに考察したアメリカの各種の独立メディアでも、その点が歴然としており、有力な独立メディアは、かならず多くの優れたインターネットの使い手を、送り手側スタッフのみならず、通常は視聴者・受け手となる人々のあいだにも揃えており、情報源の多角化が常時十分に図られている。

  日本のメインストリーム・メディアに対して、何度でも言いたい。ネットの時代だ。紙でだめならネットで送ろう。リアルタイムのテレビ視聴がだめなら、オンデマンドでネットに送ろう。こういう考え方はすっぱりやめることだ。順序はまるで逆だ。ネットの世界のなかに多様な情報源をつくることが先だ。それも、グーグル、ヤフーの類いや、各種のデータベース、調査・取材代行業を当てにするのでは、話にならない。また、視聴者・読者に協力を求めるといっても、アキバ事件のようなことが起こったら、すごい現場映像を早く送ってもらうとか、館林のような竜巻が起こったら、迫力映像を自分のところで独占したい、というような次元でものを考えていたら、ますますだめになる。
  アキバ事件でものを考えるとすれば、現代の雇用問題や貧困とのたたかいに取り組んでいる労働者・市民の運動のなかに飛び込み、彼 (彼女) らの武器としてのネット・メディアと提携、家族、地域、社会の崩壊に起因する問題解決に協力し、その過程で入手できた情報のうち、大きな同報機能を活用したほうがいいものは、マス・メディアが引き受けて報道する、ということではないか。異常気象や災害に即せば、地球温暖化防止など環境保護、大規模自然災害の防止や救援対策に携わる住民・専門家などの活動と密接に協力し、ここでもネットによる連絡、提携を活かしていく、ということではなかろうか。

  そして注意すべきは、問題意識のない、ネットのなかでのやりとりそれ自体を目的とするような人たちのネット利用への対応だ。7月1日、ヤフーが 「みんなの政治」 と称する内閣支持率調査をネットで実施した (投票総数6832)。結果は、自公内閣を支持するが69%だ。すでにマス・メディア各社の世論調査では軒並み30%以下となっているのにだ。回答者に自民支持者が46%と多く、全投票者の32%を占める無党派層で 「支持する」 が66%もあったことが、こうした結果に結びついている。この調査では、マスコミの報道姿勢に疑問を呈する意見が多数寄せられていた。このようなネット利用者は、自己中心的な傾向を強く帯び、自分を現実のなかで相対化して眺めるこができない。このようなネット利用者にマス・メディアが歩調を合わせるのは百害あって一利なしだ。マス・メディアは、彼 (彼女) らをあてどない漂流状態から救いあげ、ジコチューの穴から引っ張り出し、プロの権威と迫力で、もっと他者の存在に気付けるようになり、世間に責任の負える人間になれ、と教えてやらなければならないのだ。

  大メディアとネットが協力してやるべきこと

  3月21日夜、NHK総合テレビは、テレビ制作者と一般視聴者の討論番組 「テレビの、これから」 を3時間の特番で放送した。スタジオの一方に、 NHKだけでなく民放局も含めた制作者、プロダクションの制作者などが10数名、ひとかたまりになっている。それと向かい合うように、反対側には50名ほどの一般視聴者。両者が三宅民夫アナウンサーの司会の下で、たとえば 「テレビは生き残れるか」 「ネットがテレビを圧倒するか」 などの設問に答えていくわけだ。「ネットがあればテレビは要らなくなる」 に対しては、視聴者集団ではかなりの人が 「そうなる」 「そうなってもいい」 と答えたの対し、制作者集団は 「そうはならない」 「そうなるべきではない」 のほうが圧倒的に多いなど、立場の違いを示す微妙な差が現れたりするところが、そこそこ面白かった。もちろんその違いに関する意見の開陳、討論も行われたが、しばらく見守るうちにヘンな場面に出くわした。

  バラエティ番組のあり方で発言を振られた、「会社員」 「学生」 などの肩書きのない 「浅野さん」 という男性が、「報道番組についてでもいいですか」 と前置きし、ニュースが表面的な事実のつまみ食いに終わっていないか、とする趣旨の意見を述べたのだ。三宅アナは、その点はあとでまたお聞きする、と述べ、実際に 「テレビの信頼性」 がテーマとなった部分で、「浅野さん」 に発言を求めた。すると浅野さんは 「一つの例を挙げると、何年か前、奈良の “騒音おばさん” が話題になりましたね。あの女性のショッキングな映像、テレビつくっておられるみなさんは覚えておられるでしょう。あれはだれが撮影したものですか。あのおばさんはどういう立場の人だったんでしょう。テレビはあれでお終いにしましたが、ネットのなかではもっとおばさんやその周辺の情報が氾濫していて、それらを総合すると、テレビは結局、あのおばさんをおもちゃにしたんではないですか。あの映像は、ニュースだけでなく、情報バラエティ番組からお笑い番組まで流れていました。これでテレビが信頼できるでしょうか。つくっておられる方、どなたからでもご意見をお聞かせいただきたいんですが…」。三宅アナは困惑気味に 「わかっていらっしゃる方いるかな」 と制作者サイドに顔を向けたが、反応がないのでだれにも発言が振れず、そのとき、視聴者集団のなかの女性が発言希望の赤札を挙げたので、そっちに発言を促し、急場を切り抜けた。

  女性はニュースのエンターテインメント化を一般論として批判しただけで、当然、それに不満の 「浅野さん」 は割り込んで発言したが、そのあとは三宅アナが話題を切り替え、「浅野さん」 の投じた疑問は宙ぶらりんのまま、残されてしまった。奇妙なのは、「浅野さん」 が制作者サイドに答を求めて発言しているとき、肝心の制作者たちの様子が何か落ち着きのない感じだった点だ。「浅野さん」 の問いかけには、あなたたちは知っているんでしょう、とする雰囲気があった。これに対して、かなりの人は覚えがあるようすだった。だが、即座に答えようとする気配はまったくなかった。そのほかの人は何がなんだかわからず、きょとんとした表情をありありとみせていた。私は 「浅野さん」 の示唆に従い、ネットで 「騒音おばさん」 のことを調べてみた。ネットにはまず 「浅野さん」 の発言が取りあげられており、発言のテレビ映像も流されていた。そして、隣家の主婦に度重なる騒音で睡眠障害を及ぼしたとされ、傷害罪1年8か月の実刑判決を受け、刑務所に送られたおばさんが、本当に犯罪者なのかとする疑問にぶち当たることとなった。

  ネットの情報には真偽不明の噂やデマを面白がるだけの、いわゆる2ちゃんねる的な不信の部分も多い。だが、反対に、マスコミが集中豪雨的に襲い、あとは知らんぷりのまま放置する事実にしぶとく食いつき、真実の見極めにこだわる人たちも多い。両様のネットの情報を総合したところみえてきたのは、こういうことのようだ。
  精神障害の年取った夫を入院させているおばさんは、同じく精神障害で自宅療養している息子と暮らしている。ある日、隣家に老夫婦が引っ越してきた。創価学会の熱心な信者だ。その隣人は両家の庭のあいだに照明を設置、夜になると煌々と明かりを点けた。おばさんは、病人の睡眠の妨げになるから照明を覆って欲しいと頼んだが、聞き入れてもらえなかった。また、隣家は朝早くから布団たたきを始めるので、これも病人のために時間をずらせてくれと頼んだが、聞いてもらえなかった。すると今度は隣家が、息子の 「ウー」 といううなり声がうるさい、茶碗を洗うガチャガチャという音がうるさい、と苦情を言うようになり、ついにおばさんは対抗上、布団たたきを派手にやるようになった。
  ところが、隣家は創価学会会員、多数の信者仲間を連日、おばさん宅前に集め、不法行為としての布団たたきを監視、その様子をビデオカメラに収める行動に出た。そこでおばさんはラジカセを持ち出し、彼 (彼女) らに向かい、音量を上げて、似合わないヒップホップ系の音楽を流し、「お引っ越し、さっさと引っ越し、しばくぞ」 などの悪罵を吐いたのだ。投稿動画サイトには、家の前の路上で、落ち着いた感じのおばさんが、以上のような困惑した状況を、近所の人に静かな声で説明している光景のビデオ映像も、流されていた。テレビ局多数が揃って使った有名な 「騒音おばさん」 の映像、ラジカセを鳴らし、「お引っ越し、しばくぞ」 と叫ぶ姿は、何台ものカメラが、おばさん宅前の路上、あるいは隣家=原告宅の庭、さらには2階などに配置されていて、しっかりアングルを決め、望遠も効かして撮ったものであろうことを、推測させる。証拠能力も高い。だれにそんなことができたのか。突発的に現場に駆けつけた、小人数のテレビ局やプロダクションの取材クルーでは、できることではない。

  家族や地域社会の崩壊をだれが引き起こしているのか。メディアはそれを食い止めようとしているのか。珍妙な事件なら、面白おかしい映像やネタを、手段を選ばず手に入れ、ただ流し、視聴者・読者がたくさん集められれば、それでいいのか。ネットの情報だけでは、この事件における創価学会、あるいは創価学会員の関わりには曖昧な部分が残る。しかし、だからこそ、責任あるメディアはネットに積極的に関わっていき、そこで真実に誠実に向き合おうとしている人たちとの協力を通じて、事実を究明すべきではないのか。また、日常的にそういう人たちとの連帯を、構築していくべきではないのか。
  8月2日、同日付の産経新聞に、総選挙に出馬する幸福実現党の大川きょう子党首夫人 (党首は大川隆法幸福の科学総裁) と、田母神元航空幕僚長との対談広告が大きく載った (2ページの全面広告。18面が [上]、22面が [下])。8月7日、読売新聞には創価大学の全面広告が出た。一見したところ、読売新聞の自主的な企画編集記事のようにみえる。同紙の橋本五郎特別編集委員と山本英夫創価大学長との対談だ。これらは広告だ。しかし、こういうものを見るにつけ、大きなメディアは、せっかくのチャンスに背を向け、真にジャーナリズムといえるものを見失う道に向かいだしたのではないか、とする危惧を禁じ得ない。
(終わり)

 

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