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愼蒼宇「金光翔氏の<佐藤優現象>批判によせて」
当ブログの読者とのことである、愼蒼宇(シン・チャンウ)氏から、応援のお言葉をいただいたので、改めて公開用のメッセージをいただき、「資料庫」にアップした。私には過分なお褒めのお言葉であるが、在日朝鮮人の朝鮮史研究者による貴重な発言だと思うので、是非ご一読いただきたい。
愼蒼宇「金光翔氏の<佐藤優現象>批判によせて」
http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-20.html
愼蒼宇氏は、少し前に、『植民地朝鮮の警察と民衆世界 1894-1919――「近代」と「伝統」をめぐる政治文化』(有志舎、2008年11月)を刊行された、在日朝鮮人の研究者であり、朝鮮近代史を専攻されている。
同書は恥ずかしながら私は未読だが、『前夜』第2号(2005年1月刊)に愼氏が寄稿された、「「民族」と「暴力」に対する想像力の衰退」という文章は、大変面白く読んだ。
同文章は、「「民族」を「上から」であろうと「下から」であろうと、旧植民地宗主国側であろうと旧支配国側であろうと一括りにして否定的に捉える傾向」を鋭く批判したものであり、多くの人に一読を勧めたい。特に、
「現代の「対テロ戦争」と、歴史上の植民地支配・侵略戦争を見たとき、「ブッシュも悪いが過激派テロリストもよくない」という両成敗型発想と、植民地支配に対する抗日武装闘争を行なった義兵を「盗賊ども」「暴徒」「時局を妄覚した輩」と見なした植民地主義者の認識は紙一重の距離にあると思われる。(中略)「「テロリスト」と名指される者たちこそ、先進諸国において絶望的なまでに「変革主体」が立ち現れないことによって、世界的に困難な状況を変革する可能性を一手に引き受けているという視点、「対テロ戦争」における大国関係の再編と日本における植民地主義の持続(歴史認識、制度、文化など)に対する闘争がイラク等での闘いと深く関わっているという認識に立つ時、はじめてフランツ・ファノンの「民族」「暴力」に関する言葉は大きな説得力を持って現代に語りかけてくるのではないだろうか。」
という指摘は、大変重要だと思う。
今回いただいた一文では、<佐藤優現象>と同質の現象として、リベラル・左派における、東アジアの民衆のナショナリズムを否定したいという欲望が、朝鮮人の手助けを得つつ、「和解」論に絡め取られていく経路が指摘されている。
愼氏が「大学院に入った頃(1997年)」あたりが、「リベラル・左派の側にも東アジア諸国から日本に向けて起こる様々な形の反発に対して理解を示すポーズをとりながら、それを批判するなど明らかな「動揺」が起こり始めた時期」と回想されている下りは、私の実感とも一致する。リベラル・左派の変質に関しては、このあたりから論じる必要があると思う。
by kollwitz2000 | 2009-07-28 00:00 |
●関連
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愼蒼宇「金光翔氏の<佐藤優現象>批判によせて」
(※管理人注:この文章の掲載に関しては、http://watashinim.exblog.jp/10033978/を参照のこと)
「金光翔氏の<佐藤優現象>批判によせて」
愼蒼宇(シン・チャンウ 朝鮮近代史研究)
金光翔氏が『週刊新潮』や佐藤優氏を提訴したことは、私もブログ「私にも話させて」の愛読者の一人ですので知っていましたが、この件をマスコミが黙殺していることにはつくづく呆れざるを得ません。そこで、改めて、金氏の提起している「<佐藤優現象>批判」の重要性を指摘し、それに関連して、私見を述べておきたいと思います。
金光翔氏の「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』160号、2007年11月)を読み、強い共感を覚えてからもう二年近くがたちました。<佐藤優現象>とは、佐藤による排外主義的主張の展開(とりわけ、歴史認識の問題、対朝鮮民主主義人民共和国、対テロ戦争に対する)が、いわゆるリベラル・左派によって黙認される現象であり、そこでは中国や韓国の「反日ナショナリズム」論やポピュリズム論、格差社会論を媒介として様々な諸勢力がからみあい、もつれあいながら「集団転向の寄り合い」としての左右合作=「国民戦線」(左右の硬直したイデオロギー対立を超える、を名目に)が形成される、と光翔氏は指摘します。
私は金光翔氏の丹念な読解と実証に基づいた論稿を読み、ここ10年ほどのあいだ、ずっと疑問を感じながらもうまく整理することができなかった、朝鮮問題に対するリベラル・左派の対応の在り方の特徴とその背景をようやく構造的に理解することができました。このような思いは、在日朝鮮人に対する日本社会の右から左にまで幅広く跨る、見えにくくも分厚い「壁」にぶち当たってきた人々には痛いほどよくわかるのではないでしょうか(近年は在日朝鮮人の一部も「日本社会は良くなった」「もう差別はなくなった」という趣の発言を陰に日向にして「重宝」されているために、なおさらその「壁」を告発することは困難になっている)。そして、自分は批判的な立場にいるのであって、マイノリティを抑圧する「壁」の側に片足をかけているなどとは少しも思っていないリベラル・左派の人々やそれに野合する周縁の人々は恐らく金光翔氏の論文に不快感を覚えつつも、表だって反論することはせず、陰で批判をしながら光翔氏を排除しようとしていることでしょう。これは光翔氏の指摘がそれだけ図星であったからであると私は確信しています。
光翔氏の論稿から学んだことを参考に、改めてここ数十年の動向を思い描いてみれば、私が大学院に入った頃(1997年)は、いわゆる「テポドン騒動」や戦後補償問題の顕在化に対する右派からのバックラッシュが起こると同時に、リベラル・左派の側にも東アジア諸国から日本に向けて起こる様々な形の反発に対して理解を示すポーズをとりながら、それを批判するなど明らかな「動揺」が起こり始めた時期でした。日本の右派のものであれ、アジアの民衆のものであれ、ナショナリズムの形をとるものの対立・衝突は暴力的であると同時に共犯的である、その悪循環を断ち切れるのは、ナショナリズムを超えた市民的連帯であるという主張がリベラル・左派から盛んに聞こえるようになったのです。その際、連帯のパートナーとしてリベラル・左派の多くが選んだのは、リベラル・左派の知的優位性や良心性を強調してくれると同時に、朝鮮のナショナリズムに批判的な知識人(李順愛氏、朴裕河氏など)であり、対話的な「和解」をキーワードにして、そこに日韓関係(日朝は重視されていない)の新たな可能性があるかのように主張されました。
私は、それこそが「和解」や「市民社会」に名を借りた日本の知識人の自己中心主義的な「アジア主義」の再編であって、被害者や被害国民衆の切実な日本への怒りと連携していくものではなく、むしろ貶めていくものであると感じていました。その典型的な例がこれらの「和解」路線の象徴ともいえる「アジア女性基金」の失敗や朴裕河氏の著作『和解のために』(平凡社、2006年)のヒット(大佛次郎論壇賞まで受賞)であったと思います。リベラル・左派がこうした「和解」路線を志向し、日本に対して徹底反発・対立するアジアの人々の動きや「北朝鮮」の行動から距離をとり、それへの批判を強めることで、皮肉にも排外主義的な日本の右派のバックラッシュや日本国家の無責任に対する対抗力を失っていった(あるいは黙認するようになった)のだと思います。
金光翔氏の論文は、リベラル・左派がその後、拉致問題や9・11といった「外の脅威(外患)」と、新自由主義の進展に伴う格差社会の進展や小泉劇場政治のようなポピュリズムといった「内の脅威(内憂)」に向き合う中でさらに混迷を極め、その中で佐藤優氏という、右側には強硬路線の「国益」戦略を主張し、左側には「人民戦線」の重要性を強調するトリックスターを、まるで左右対立を超える連帯の象徴(救世主?)であるかのように担ぎあげ、自ら「侵略できない国」の原則を放棄していく方向に自爆していくリベラル・左派の様相を実証的に示しています。
光翔氏は職場で「嫌がらせ」を受けるリスクを日々引き受けながら、<佐藤優現象>に対する徹底抗戦を今もブログや裁判闘争を通じて続けています。私は改めてその姿勢を支持すると同時に、私も朝鮮近代史研究に携わる人間として、南北朝鮮・在日朝鮮人や他のアジア諸国から起こる「反日ナショナリズム」への批判を媒介とした、リベラル・左派やその他周辺的存在の「集団転向の寄り合い」による、単純な反日ナショナリズム批判やそれと符合する修正主義的な歴史観の展開や、暴力の真相究明や責任追及をあいまいにする「和解」路線、そしてそういう言論や研究を繰り返している研究者や出版人に対しても、強い抗議の意を示していきたいと思っています。
2009.07.28 00:00 Comment(-) | Trackback(-) | URL |
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