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「報道」を軸に世の中を考えます。北海道新聞東京編集局国際部の高田昌幸が
開設しています。
「リーク」の現場は、こんな感じである 〜ニュースの現場で考えること
もう10年強も前の話である。
私は当時、東京・日本橋の日本銀行記者クラブ(金融記者クラブ)に所属していた。日銀の記者クラブは、日銀の正面に向かって左側の、背の低い建物の1Fにある。ちょうど北海道拓殖銀の破綻処理が進行し、日本債券信用銀行(日債銀)や日本長期信用銀行(長銀)の経営不安が表面化し、各社が激しい取材合戦を繰り広げていた。日銀クラブ詰めの記者は、民間銀行だけでなく、日銀本体や生保も損保夫もカバーしているから、やたらめったら忙しい。しかも、「大蔵省・日銀の接待汚職事件」も起きた。日銀が東京地検の家宅捜索を受け、総裁が辞め、新総裁に先日亡くなった速水優さんが就任する、そんな慌ただしい日々が来る日も来る日も続いていた。
そんな最中のことだ。
ある晩、ある他社の記者と神田で飲んだ。そして「おたくの記事は間違いや飛ばしが多いねえ」とか、適当にからっていたところ、彼が突然、「弁明」を始めたのである。詳しい言葉はもう記憶していないが、彼は、「書かされていることは自覚できている」というのだ。曰く、、、
種々の問題で取材合戦がピークにさしかかると、発足したばかりの金融庁の幹部であるネタ元から、携帯に電話が来る。あの銀行はこうなっている、ああなっている、この生保の財務内容はこうだ、、、そんなネタを教えてくれる。その中には、明らかに、事実と違うなと思うものがある。あるいは金融庁自体の願望(例えば合併の組み合わせなど)が含まれていると分かるものもある。書いたらミスリードになるな、と分かる場合もある。それでも彼は「解っていても書いてしまうんだ」というのである。
「そこで書かないと、もうネタをもらえなくからだ」というようなことを彼は言っていた。もしかしたら、他社にも同じ内容をリークしているかもしれないとの恐怖心もあるのだ、と。 激しい取材合戦が続いているとき、担当記者にとって「特オチ」は、「ダメ記者」「無能」と同義語である。地方に飛ばされるのは、絶対にいやだ、と。 事実と違うのではないか、と思いつつ、ネタ元と切れることを恐れつつ、書く。ネタ元との、カギカッコつきの「信頼」が切れると、ネタ元をまた一から構築しなければならない。それにはまた、何年もかおかる。激しい取材合戦を前にして、そんなことをしている余裕はない、、、そんな内容の「独白」だったと記憶している。
そんな感じで、彼は1面に何本か記事を書いた。「××と○○が合併を検討」といった予測記事は、結果的に結構外れたはずだ。
記者なら、大なり小なり、こういう経験はみんな持っているのと思う。いくつかの疑問や不安を抱えつつ、「当局のリーク」に乗り、原稿を書く。決定的なリークはしかも、たいていが夜遅くだ。「特落ち」になれば、そして、それが重なって自分が社内で「不遇」の道を歩むかもしれないことへの、漠然たる恐怖もある。或いは、大きなニュースを書いて、「できる記者」になりたい、との思いもある。そういう記者側の心の透き間を付いて、「当局のリーク」はやってくる。
ここからは想像だが、西松建設絡みの「東京地検によるリーク」も、そんな中で行われたはずだ。東京地検特捜部の場合も、「リーク=特ダネ」は、夜遅くの幹部への夜回りで生まれる。幹部が語る、特別のネタ。そこに記者は食いつく。たぶん、「リークされている」と記者は感じない。相手は、苦労して食い込んだ幹部だ。自分の夜回りなどの努力を認めてくたからこそ、「特別に教えてくれた」と、たいていの記者は思うはずだ。東京地検相手ではないが、私もそういうことが過去、たびたびあった。
当局は、書いてもらいたいときは「書け」とは言わない。もったいをつけて、無理矢理、君に口を開かせられたんだ、まいったな、本当に君は敏腕記者だな、、、という風を装いながら、情報を伝えるのだ。書いて欲しくないときは、「書くな」と明言する。これを書けば、お前とは終わりだぞ、とか、ずっと出入り禁止にするぞ、とか言いながら。
そうやって世の中に飛び出したニュースの一つ一つは、のちに、その妥当性が仔細に検討されることは、ほとんどない。そして、気が付いたときは、そういう一つ一つのニュースの積み重ねによって、現実社会には、もう元に戻すことが不可能なような「流れ」ができあがっているのである。
by masayuki_100 | 2009-05-29 12:15
http://newsnews.exblog.jp/11639601/
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