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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu192.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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テレビを見るとなぜ馬鹿になるのだろうか? 視聴者は馬鹿だから、
こんな程度でもいいだろうと言う感覚で作られている番組が多い。
2009年5月29日 金曜日
◆Web1.374力を身につけよ! 『ウェブはバカと暇人のもの』 5月13日 教えて君
http://www.oshiete-kun.net/archives/2009/05/web1374.html
光文社から刊行された新書 『ウェブはバカと暇人のもの』が話題を呼んでいる。本書の内容は、かの有名な『ウェブ進化論』の真逆をいくものだ。ウェブ進化論の世界は、限られた一部の人たちの話であって、ウェブが一般化した今となっては理想論でしかないと切り捨てる。そう、「ウェブはもうこれ以上進化しない」のだ。
「ウェブはテレビを超えることはない」「インターネットより電話がもたらした革命のほうが計り知れない」「ウェブがなくても人は生きていける」。だから、ウェブにこれ以上過剰な期待をするのはやめようよ、というのが著者の主張だ。
本書を読み進めていくと、思わずうなずいてしまう点が多々ある。確かに、ウェブから生まれた有名人は出尽くした感があるし、ウェブの話題の中心はテレビや芸能人のものばかりだ。あなたの周りにいる、ウェブにヘンな幻想を抱いているオジさんたちにこそ読んでもらいたい1冊といえる。
◆テレビを見るとバカになる 2008年10月29日 服部弘一郎
http://hattori.cocolog-nifty.com/brog/2008/10/post-35c3.html
昨日の映画史の授業で話した内容。授業では特にテレビに限らず、映像には人の思考能力を停止させてしまうパワーがあるという話をした。人間は外部からの情報を五感で受け取り処理しているのだが、そのうち8割は視覚、1割は聴覚からの情報だとも言われている。映画やテレビなどの映像情報は、この両方に働きかける。その圧倒的な臨場感に、人は太刀打ちできない。人は目の前にある映像情報が何を語っているのかを受け止めるだけに掛かりきりとなり、その映像がなぜ、どんな意図で作られているのかまで考えることがなくなってしまう。人は映像の前で考えることをやめる。つまりバカになるのだ。
でも原因はそれだけじゃない。
一般的な日本人は、小学生の頃から学校で文章の読み書きを習う。大切なのは文章を「読む」ことと「理解」することは別だということ。文章を読むだけなら、文字さえ読めれば誰にでも読める。ノーベル賞学者が書いた学術論文を、小学生が「読む」ことは可能なのだ。ただ読むだけならば。しかしそれは、書かれた内容を「理解」することとは違う。そんなことは誰だって知っているはずだ。小学校以来の国語の授業というのは、要するに「読む」ことを「理解」に結び付ける訓練をひたすらやっていたわけだ。だから日本人のほとんどは、「読む」ことと「理解」との間にある隔たりを知っている。ノーベル賞学者の学術論文を読んで、それが自分にはまったく「理解」できないことを認識することができる。
しかしながら映像については、誰もそうした訓練を受けていないのだ。そこでは「見る」ことが「理解」したこととイコールだと思われている。でも「見る」というのは、単に目の前の文章を「読む」こととじつは何も変わらないのだ。「読む」ことがそのまま「理解」とイコールではないように、「見る」ことも「理解」とイコールであるはずがない。だがそれが、ほとんどの人にはわからない。映画を見て、テレビ番組を見て、それで自分はその内容を「理解」したと思っている。
映像についても「見る」ことと「理解」することは別だということを、多くの人が自覚しなければならないのだ。映像を「見る」だけでなく、それを「理解」するためのスキルを身に着けるべきなのだ。これは最近、メディア・リテラシー教育という形で少しずつ教育現場にも取り入れられていると思うのだが、まだ試行錯誤しながらおっかなびっくりやっているだけ。
現代人は文章を読む機会や時間と同じくらい、あるいはそれ以上に、映像に触れて暮らしている。ならばその理解能力を、子供の頃からちゃんと訓練しておくべきなのだ。小学生に読書感想文を書かせるなら、映画やテレビ番組についての感想文も書かせるべきじゃないだろうか。
◆テレビを見ると馬鹿になる。 2007年10月31日 編集室
http://hen.kooss.com/archive/2007/1031002.html
”1億総白痴化”と言う話は聞いた事がある方も多いでしょう。私が明治の年寄りからよく聞いたのは、”小説を読むと馬鹿になる”でしたが(^^;それはさておき、”1億総白痴化”が言われたのも半世紀以上前の、既に遠い昔話で、今のテレビとはまったく異なる、テレビ黎明期の頃の話です。で、なんで今更、テレビを見ると馬鹿になるなどと言うかについて、話を進めて行きます。
では、『人はどうして馬鹿になるのか?』 を考えた場合、今のテレビは3つの要素が該当すると思われます。
1:考えないと馬鹿になる。
今のテレビは何でもかんでも説明付で、考える必要はありません。テロップや説明・解説付きなので、早口でわかり辛くても、聞き取ろうと神経を使う事も無ければ、”答え”が出ているのですから、そのセリフに何の意味があるのかを推察する必要もありません。だから、何も考えなくていいし面白いんです。もちろん、ストレスの発散やエンターテイメントとしての娯楽性を否定する訳ではありませんが、ニュース報道や真面目な(筈の)討論系やドキュメンタリー系の番組でも、このような状況を見る機会があるのはいかがなものかなと思う次第です。(いや、それらもバラエティーなんだよと言えば、それまでですが)
2:作ってる側が視聴者を馬鹿にしている。
人はどうして頭が良くなるのでしょう。もちろん、自ら志を立てて独学で能力を高める方も多くいらっしゃるでしょうが、子供の頃の多くは、それらを理解せずとも親や教師が、頭が良くなるように、立派になるように育てるからだと思うのですが、今のテレビではそのような環境は無く、逆に、視聴者は馬鹿だから、こんな程度でもいいだろうと言う感覚で作られている番組が少なくは無いのではないでしょうか。(テレビをあまり見ない自分が言うのは、なんとも説得力が無いのですが、『こんな番組信用する筈無いでしょ?』と言いながら制作している人気番組プロデューサーの弁などは以前にも述べましたが、これこそが馬鹿にしている態度ではないかと私は思います) 間接的にでも、人は馬鹿にされ続ければ馬鹿になるもんだと思いますが、特に、高学歴の者が多いと聞く、今のテレビではそれが顕著なのではないでしょうか。(昔は、高学歴になるほど、謙虚で腰の低い、頭の下がる偉い方が多かったと思うのですが…)
3:作ってる側が馬鹿。
人が頭が良くなるには、直接的、間接的を問わず、頭の良い人の影響を受ける事が重要です。あまり、頭が良く無い人の影響を受けると、自然と馬鹿になってしまうのではないでしょうか。今のテレビ番組の制作に携わっている人も同様に、放送のプロとしての意識が欠如し、(不祥事が絶えない事からもわかるように)世間知らずで高給取りの、言わばお役人のような面々が増えた事で、そのように世間の一般感覚と乖離した馬鹿な人が増えている事に繋がり、出来上がった番組も、間抜けな内容になっている事も決して珍しくは無いように思われます。それの表れとして、まだ記憶に新しい、(いい加減な取材をした)朝ズバの不二家や、(適当に捏造した)あるあるの納豆などがあるのだと思いますが、実害が無いならば批判はされないのですから、制作手法が同じ番組は多数存在する筈ですので、これらは馬鹿な番組としては、氷山の一角ではないでしょうか。
もちろん、色々な規制が強まった結果、志などが消えうせ、視聴率とスポンサーの為だけに働かねばならないかのような環境があるのだろうなと言う事は推測できますが、ネットと同じで、果たして数字のみに踊らされ続けて、決して良い結果が現れて来ない事と、類似点があるのではないでしょうか。
そんな訳で、我が家ではNHKの受信料は払ってますが、テレビ番組は殆ど見ないようにしています。特に、制作者側が視聴者を小馬鹿にしているのが垣間見れると、非常に気分が悪く、時間の無駄なので、消すかチャンネルを変えるにしています。情報系番組などでは、そもそも、ネットで調べたほうが速くて、一方的な結論では無い、多面的な視野で考察できる、より詳細な情報が得られるケースも少なくは無いですからね。
とは言え、いずれ、『インターネットをすると馬鹿になる』の意見が大勢を占める日もそう遠く無いかも知れません。あのビル・ゲイツ氏も、娘には、馬鹿になるからとネットをさせて無いそうですが。
(私のコメント)
テレビを見るとなぜ馬鹿になるのかという問題は、いずれインターネットをするとなぜ馬鹿になるのかという問題に変わって行くだろう。テレビも見る時間が少なければ問題はないのでしょうが、暇な人が一日中テレビを見続けていることも多い。ひょっとしたら若年性痴呆症もテレビの見すぎに関係があるのではないだろうか? 最近のテレビではバカ番組はほんとうに増えてきて、バカを売り物にするバラエティータレントまでいる。
『ウェブはバカと暇人のもの』という本は、ウェブで話題になっていることはテレビや芸能人の話題ばかりでテレビ以上のものではないらしい。確かにその通りであり、真面目な政治経済サイトは数も少なくアクセス数も少ない。それに比べるとペットの写真を貼り付けただけのサイトやタレントのサイトは数万ものアクセスがある。結局ネットを見る人はテレビを見ている人とたいして変わりがないと言うことだ。
ユーチューブなどの動画サイトもテレビの隙間を埋めているだけであり、テレビ番組の投稿ばかりが多い。「株式日記」自体もテキスト主体のウェブですが、新聞記事以上の情報があるわけではない。結局は新聞や雑誌の隙間を埋めているだけでありそれ以上のものではない。ウェブがなかなか商業化できないのもその辺に原因があるのだろう。
「株式日記」でもテレビ番組の批評が多いのですが、テレビは映像と音声で伝えられる情報は30分や1時間では限りがあるからウェブで穴を埋めているようなものだ。しかしそのテレビも質が年々低下してきて内容の無いものが増えてきている。だからテレビばかり見ていると馬鹿になるといわれます。作り手自身が視聴者を馬鹿にしているからバカ番組が増える。
テレビ局が赤字になったり新聞や雑誌が廃刊になるのはネットの影響というよりも、経済不況による広告収入の落ち込みによるのが原因だろう。それに対してウェブは無料のメディアだから不況の影響はないが広告を収入源とするビジネススタイルは成り立たない。だからテレビ以上の事は出来ないだろうし、ネットに対する期待は以前ほどはなくなってきた。
ウェブは個人のメディアであり、個人でも記事を書いたり動画を配信する事が出来るようになりましたが、テレビのように数百万人も視聴者に同時配信する事は無理だし、新聞のように数百万部も売り上げる事は無理だ。ユーチューブにしてもいまだに赤字でビジネスモデルとして成り立つのだろうか?
つまりネットはテレビや新聞の補完的なメディアであり競合するものではないだろう。もしテレビがくだらない番組ばかり放送するようになればネットで叩けばいいのであり、マスコミに対する個人の意見を反映して行けばいいのだと思う。「テレビを見れば馬鹿になる」という意見もネットがあればこその意見であり、ネットの方がレベルが高いという訳でもない。
私も多くのブログを見て回るが、『ウェブはバカと暇人のもの』という本に書いてあるように、メモ書き程度の記事しか書けない人がほとんどだ。「2ちゃんねる」がネットの代表的なメディアなのでしょうが、読み応えのある記事を書ける人が本当に少ない。多くがコピペであり自分のコメントが書けない。
服部氏や編集室のブログにあるようにテレビ番組は馬鹿者向けに作られていて、何も考えずに済むように作られている。発言やコメントもわざわざテロップをつけているから画像と音声と文字が同時に入ってくる。だから分かったような気分になるのでしょうが、理解する事とは別の問題だ。読んだり見たり聞いたりしたところで自分の頭で考えなければ理解できるわけではない。
ブログでもって読んだ本の感想文を書いたり、テレビ番組の批評記事を書いて見ればどの程度理解できたかが自分で分かるだろう。「株式日記」でも本の批評やテレビ番組の批評などを書いていますが、自分で考えないといい記事は書けない。ネットはどうせ暇人がやっているのだとすれば考える時間は十分にあるはずだ。
最近ではNHKスペシャルの「アジアの一等国」という酷い番組がありましたが、このような国民を洗脳するような番組を流して世論を誘導している事に対する批判記事を書きました。テレビでやっているから真実なのだろうと言う思い込みがあるから、テレビのナレーターの言う事を視聴者は信じてしまう。NHKのプロデューサーも、国民は馬鹿で何も知らないから洗脳してやれと放送したのでしょうが、ネットで問題にされてデモ騒ぎまで起きている。
だからテレビ番組を見る時は、放送内容の裏を見るようにしないと騙される。NHKの大河ドラマの時代考証はどうなっているのだろうか? ドラマはおもしろければ歴史事実はどうでもいいのだろうか? 国民は馬鹿だからドラマや映画を事実だと思い込んでいる人が多いが、映像や音声などで見せ付けられるとそれが事実だと信じてしまう。直江兼継は泣いてばかりいますが戦国武将が泣いていたら戦にならないだろう。
「ウェブはバカと暇人のもの」という本にあるように、テレビもバカと暇人のためにあるのであり、利口で忙しい人はテレビをみる閑もないしネットで時間を潰す閑もない。テレビもネットもしないから利口な人はますます利口になり、テレビやネット三昧な暇人はますます馬鹿になっていく。やはり本当に重要な情報は本などを買って読まないと得られないのだと思う。
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