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【ビジネスメディア誠】 集中連載・週刊誌サミット:編集長は度胸がない+愛情がない……週刊誌が凋落した理由(前編)
http://www.asyura2.com/09/hihyo9/msg/328.html
投稿者 passenger 日時 2009 年 5 月 19 日 16:06:10: eZ/Nw96TErl1Y
 

【ビジネスメディア誠】 集中連載・週刊誌サミット:編集長は度胸がない+愛情がない……週刊誌が凋落した理由(前編)

 
 


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http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0905/19/news025.html

集中連載・週刊誌サミット:

編集長は度胸がない+愛情がない……週刊誌が凋落した理由(前編) (1/3)

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発行部数の減少、名誉棄損訴訟、休刊……雑誌を取り巻く環境はますます厳しくなっている。そんな状況を打破しようと、“週刊誌サミット”が5月15日、東京・四谷の上智大学で開催された。第1部の座談会に登壇した、田原総一朗氏や佐野眞一氏らは何を訴えたのだろうか?

[土肥義則,Business Media 誠]
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 雑誌の休刊や販売部数の減少……名誉棄損訴訟など、出版社をめぐる環境はますます厳しくなっている。そんな状況を打破しようと、“週刊誌サミット”が5月15日、東京・四谷の上智大学で開催された。

 シンポジウムの第1部では「闘論! 週刊誌がこのままなくなってしまっていいのか」と題し、ジャーナリストの田原総一朗氏、ノンフィクション作家の佐野眞一氏、上智大学教授の田島泰彦氏が登壇。そして第2部では「編集長は発言する! 『週刊誌ジャーナリズムは死なない』」とし、10人の編集長(元編集長を含む)が雑誌を取り巻く現状などを語った。

 まずは第1部の座談会の様子を紹介する。


●週刊誌の編集長は度胸がない

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ジャーナリストの田原総一朗氏
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司会の元木昌彦:ほとんどの雑誌は1990年から部数を落としている。中には(1990年と2008年を比較し)3分の1近くまで落としている雑誌もあり、大変厳しい時代を迎えている。こういった現状をどうやって切り抜ければいいのか。また雑誌の規制を強くしようという流れが2000年から広がっている。雑誌……特に週刊誌がここまで苦しい状況に置かれている原因について、田原(総一朗)さんはどういう考えをお持ちなのか。教えてください。

田原総一朗:昔『週刊ポスト』で書いていたころ、週刊誌というのは何かと聞かれれば、(答えは)非常に簡単だった。新聞が書けないもの、あるいはテレビが言えないものを週刊誌は書いてきた。それが週刊誌の役割だった。(週刊誌は)テレビが報道できないスキャンダルをドーンと打ち上げ、その週刊誌で活躍する編集長や編集部員はみんな好奇心の塊だった。いかに新聞やテレビに出せないものを書くかということだったが、最近では『週刊現代』が4290万円の賠償金を言い渡され※、(その結果)ひとことで言えば“臆病”になった。臆病になって、新聞やテレビではとても報道されないものが、週刊誌でも掲載されなくなった。

        ※『週刊現代』が朝青龍と30人の力士から提訴されていた
         一連の八百長疑惑記事で、総額4290万円支払えという判決が下された。

 週刊誌側は新聞やテレビで報じられない情報で、「勝負しよう」という気力がない。あるいは読者の方がそういうものに期待しないとなると、結局、週刊誌は“危なっかしい”もので勝負しようとする。

 新聞やテレビは「これは危なっかしい」「こんなことを報じれば、やられるに決まっている」というものでも、週刊誌は“勝負”するようになった。そのことが原因で、『週刊新潮』※や『週刊現代』の問題を引き起こすことになった。このままでは週刊誌は、新聞やテレビが報じない怪しげなものを書かざるをえなくなる。そして怪しげなものを書けば書くほど、事件(訴訟)が起きていく。つまり悪循環に陥っていく気がしてならない。


      ※『週刊新潮』が朝日新聞襲撃事件の「実行犯」を名乗る男性の手記を掲載し、
        その後誤報を認めて謝罪した問題。

 もう1つの問題として、実はテレビも危ない。テレビは「なぜ牛乳やパンよりも水の価格が高いのか」――といったことを報道しない。なぜなら水を高く売っている会社がテレビの大スポンサーだからだ。週刊誌はこういう問題を書けばいいと思う。

 トヨタの社長が今年、なぜクビになったのか(関連記事 http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0901/21/news021.html)。ハッキリ言えばトヨタは3年前から、社長が経営方針を間違えていた。もちろんトヨタの役員は、「経営方針が間違っていた」などとは言えない。言ったらクビになる。こういった問題は新聞やテレビが報道すればいい。経営方針が間違っていたんだから。そして間違っていたことがあらわになり、トヨタのオーナーが社長のクビを切った。なぜクビを切るまで、新聞やテレビ、週刊誌は報道しなかったのか。

 (このほかにも)こういう問題はたくさんある。今、ソニーはどんどん間違えつつある。その間違えていることを、なぜ週刊誌は書かないのだろうか。報道すること(テーマ)はいくらでもあるが、なぜかそれを報道しようとはしない。なぜなら週刊誌の編集長は度胸がないからだ。

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http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0905/19/news025_2.html
(2/3)

●あえて付け加えれば「愛情がない」

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ノンフィクション作家の佐野眞一氏
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佐野眞一:さきほど田原さんが「度胸がない」と話していたが、僕もまったくその通りだと思っている。あえて付け加えれば「愛情がない」のだと思う。

 ちょっとすごいことを言います。これは今日(5月15日)の日本記者クラブで話したことだが、つい最近心が凍るような出来事があった。それは『週刊新潮』問題だ。僕は『週刊新潮』に関し、『世界』で書いたほか、『毎日新聞』でも「お前らなっちゃいない」「謝罪でもなんでもない」などと書いた。これを受け、ある新潮社の幹部は「佐野の本は売るな!」という、とんでもない発言が僕の耳に入ってきた。僕はこのことを聞いたとき、本当に心が凍った。ひとことで言うと「情けなかった」

 僕の私怨(しえん)でもって、『週刊新潮』を批判したことは1度もない。愛情をもって書いたつもりだ。「お前ら立ち直ってくれよ」という思いで書いた。しかし(新潮社の幹部から佐野は)「ドブに落ちた犬を撃つようなことをやっている」という発言も聞いた。とんでもない話だ。僕は「ドブに落ちた犬をドブ泥をかぶりながら救い出し、タオルで犬を拭いてやっている」と思っていた。

 さきほど言った「愛情がない」という意味は、もし『週刊新潮』に再生してもらえるのならば「本当のことを書く」ということだ。しかし、まだそれを誰もやっていない。(『週刊新潮』問題では)重大な虚言がたくさん散りばめられている。例えば米国大使館の何某に対し※、『週刊新潮』は多額のお金を払っている。これは口止め料だろうが、この件について誰も追及していない。
※『週刊新潮』は、朝日新聞「阪神支局」の襲撃を依頼した人物は「米国大使館の駐在武官J」としている。

 僕は何も『週刊新潮』を潰すために書いているのではない。「(他のメディアも)そういうところから立ち直ってくれよ」ということを書くべきで、「ああでもない」「こうでもない」と書くのは愛情がないからだ。もっと突っ込んで報道する必要があり、それしか(『週刊新潮』の)再生の道はないと思う。

 本当に今の気持ちは、「情けない限り」で一杯だ。しかしこういう問題は、メディア同士で批判しなければならない。だが同業他社だからといって手心を加えるというのは、それは“八百長”だ。そういうことが読者に見破られているのではないだろうか。誤解を招くかもしれないが、今の出版状況は編集者の劣化が招いた、と思う。それに比べ読者というのは、大変賢明な存在だと思う。僕はそういう読者の声を山ほど聞いている。つまり読者は、おいてけぼりになっている感じがしてならない。

 例えば『週刊新潮』問題にいえることだが、この程度のことをエキセントリックに鬼のクビを獲ったかのように報道すれば読者は付いてくるだろう、という(編集者の)考えはとんでもない。読者をバカにすれば必ずしっぺ返しがくるだろう。

 その大きな1つの例が今、我々の目の前にある。それが『週刊新潮』問題だ。(『週刊新潮』は)新しい編集長になったが、この問題をスルーしようとしている。言論人という言葉は大嫌いだが、言論人の成長を問われるものだとも考えている。

 『週刊新潮』でも何人かの寄稿家が書いている。櫻井よしこさんや福田和也さんなどがいるが、『週刊新潮』問題を論じていないのはいかがなものか。もし『週刊新潮』の編集部が「スルーしてくれ」と言っていたら、大問題だ。さらにそれを唯々諾々(いいだくだく)と「分かりました」といえば、もっと大きな問題だ。なぜこの問題を誰も取り上げないのだろうか。僕はこのことについて、不思議に感じている。

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http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0905/19/news025_3.html
(3/3)

●週刊誌やフリーランスに規制

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上智大学教授の田島泰彦氏
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田島泰彦:まず週刊誌だけではなく、日本メディアに対する規制問題について話をする。ご存じの通り、1990年代の終わりから2000年以降、一連の表現規制・メディア規制という大きな流れが我々の国を覆っている。象徴的なのが「個人情報保護法」※1という法律だ。

 大きな流れの中で私が感じていることは、規制をしたい側は嫌なところを攻めているということだ。差し障りのないところについては、あまり規制をしていない。語弊があるかもしれないが、今のメインストリーム系のメディア……新聞やテレビなどを規制しようとは考えていないのではないか。ちょっと差し障りのあるところに、“お灸をすえてやる”という流れが顕著になってきている。

 どういうところで見られるかというと、メディア自体ではなく、個人にますますターゲットが向かっている。メディアの場合には資金的に持ちこたえられるところが多い。しかしフリーの人たちはメディアを通して活動するわけだが、ある問題が生じた場合、メディアだけではなく、個人もターゲットにされる。一番ひどいのはオリコンをめぐる訴訟※2で、訴えられた烏賀陽(うがや)さんという人は書いた人ではなく情報源のような役割。肝心要の雑誌『サイゾー』を問わず、情報を提供したジャーナリストに矛先を向けた。
※1 2003年5月23日に成立、2005年4月1日に全面施行。法律の中で「放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関」が「報道の用に供する目的」で取り扱う個人情報については「義務規定」を適用しないとしているが、出版社やフリーランスのライターには明記されなかった。
※2 2006年4月号に掲載された『サイゾー』でのコメントが事実誤認の誹謗中傷に当たるとして、音楽情報配信会社オリコンはコメントを寄せたジャーナリストの烏賀陽弘道氏を名誉棄損で訴えた。

 (訴える)相手はメディアだけでなく、個人も相手にするケースが増えている。個人がターゲットにされると、裁判の対応しなければならず仕事ができなくなる。しかも経済的な負担も大きい。弁護士も雇わなくてはいけない。要するに「仕事やるな」ということになっていしまう。

 もう1つの規制の流れは、報道をしたり、公表したりする場面だけにはとどまらないということ。発表する前の前の段階で規制のターゲットが向かっている。分かりやすくいうと、情報源自体を規制の対象にしている。フリージャーナリスト草薙厚子(くさなぎ・あつこ)さんのケース※1で問題なのは、情報源の医者に対し、これまで発動されたことがない秘密漏洩罪(ひみつろうえいざい)※2で逮捕し処罰を求めたことだ。
※1 奈良県田原本町の母子3人放火殺人事件を題材にした単行本をめぐる供述調書漏えい事件。刑法の秘密漏示罪に問われた精神科医・崎浜盛三被告に対し、奈良地裁は懲役4月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。
※2 刑法134条で医師、薬剤師、助産師、弁護士、公証人の他、過去にこうした職にあった者が、業務で知り得た秘密を正当な理由なく漏らすことを禁止している。被害者の告訴が必要な親告罪。罰則は6月以下の懲役または10万円以下の罰金。

 報道する前の段階で「押さえよう」という発想――つまり情報を持っている役所や権力が情報を秘匿して出さないという、運用が広がっていった。個人情報保護法問題というのは公表するだけの問題ではなく、情報全体をもっと前の段階で出さないというメカニズムになっている。そして、ますますそういう方向に向かっている。

 さらに損害賠償の高額化という問題がある。『週刊現代』では4000万円を超える金額を訴えられたが、10年前ではせいぜい100万円単位だった。100万円取れれば「多い」といわれてきた。それが清原選手のケース※を機に、500万円、700万円、1000万円と出てくるようになった。
※当時、巨人の清原和博選手が『週刊ポスト』記事で名誉を傷つけられたとして、発行元の小学館に5000万円の損害賠償を求めた。これに対し東京地裁は、小学館に1000万円の賠償などを命じた。

 今年に入っての新しい動きとして、責任を問われるのは会社や編集の責任者だけではなく、社長も責任を問われることになったことが挙げられる。これが何を意味するかというと、社長が編集のあり方にチェックしていないと、過失責任を問われるということ。要するに編集に対し、経営者は責任を担わないといけなくなる。当然、経営者に責任があるということになると、権限を持つということになる。これはかなり危ない状況になってきている。

 また謝罪広告というのは、これまで「○○が誤りだったので、すいませんでした」という形式だった。しかし今年になってからは「取り消し広告をせよ」ということが、裁判所の判断として出された。裁判所が取り消しまでさせるという動きがあり、これは限度を超える規制だ。

 ここでメインストリームのメディアが規制に対し、対峙(たいじ)できるかというと、なかなかできない。そして一番弱いところ……週刊誌やフリーランスのライターのところに、過剰な規制の網を仕掛けてくる。こういうことに対し、市民と週刊誌が「それは許さない」と訴えることがどこまできるのか、ということが問われている。

 →後編に続く。

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週刊誌の部数の推移(単位:万部、出典:シンポジウム資料)


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