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「残念なNHKドキュメンタリー制作能力の劣化
NHKがどうもおかしい。
「戦争と平和の150年」を検証する大型企画としてはじまったプロジェクトJAPANシリーズだが、第一回目の台湾をテーマとした回にも、その恣意的なドキュメンタリーのつくりかたに、違和感を覚えて、その感想を翌日、ブログに書いたが、
・NHK「戦争と平和の150年」第一話に抜け落ちている重要な視点
http://ameblo.jp/aobadai0301/entry-10237407816.html
このドキュメンタリーがおかしいと感じたのは私だけでなく、当の台湾国内でも問題になるという大騒ぎになっているのは、ご存知のとおりだ。
私が問題だと思っているのは、このような植民地支配の問題は、その事実を客観的にみていかなければ、たとえば、なぜ朝鮮や、中国の人々が、日本に対して、執拗に恨みを抱いているのか、その真相を見誤るからであって、
こういう植民地支配をテーマに扱うのであれば、
「日本は台湾でも圧政を強いており、台湾でも恨まれています!」
という短絡的な構成にするのではなく、台湾での植民地統治と、朝鮮や、満州での統治は何が違っていたのか、というところを、冷静にドキュメンタリーとして構成しなければ、
何もそこで生み出さないからだ。
これでは、見方によっては、
「台湾も、朝鮮も、中国でも日本の植民地支配は一緒だったのに、
台湾人は親日的で、中国と韓国は反日的なのは、
やはり民族性で執念深いからである」
という逆説的な見方をされてしまうことにもなりかねない。
だからこそ、このようなナイーブなテーマを扱う際に、
制作者は、もっと歴史に対して謙虚でなければいけないと思う。
そういう意味において、
90年代にNHKが制作した「映像の20世紀」が大変な名作であったのは、
できるだけ主観を排除して、
映像が伝える真実の力を浮き出していたからであり、
今回の「戦争と平和の150年」JAPANデビューが、
見るに耐えれないクオリティーの低さなのは、制作者の歴史に対しての不勉強や、謙虚さのなさが理由であると思う。
制作スタッフは、自分たちがNHKという公営放送で、
しかもNHKという看板を背負って、歴史的なドキュメンタリーを制作している
という重責を、今一度、見直すべきだ。
それができないのであれば、このシリーズは辞めてしまった方がいい。
昨日の第二回「天皇と憲法」もひどかった。
明治憲法の策定の過程を細かく追っていた取材は、
評価できるものの、
過度にオドロオドロしいVTRを使い、
また後半の10分、20分は論理が飛躍しすぎて、
あげく戦争の悲惨なVTRをつかって、徹底的にイメージ操作を行う。
もちろん、既存の昭和憲法の天皇の存在の
あいまいさを指摘したいというのはわかるが、見ているほうとしては、
「じゃ、結局、戦争の責任は、憲法論の解釈を、
過度の天皇主権におきかえったってこと?
では、最大の戦争責任は昭和天皇にあるってこと?」
というような印象を受けしてまう。
これでは、昭和天皇があまりにお気の毒だ。
自らの命をはって、中国戦線拡大や、対米戦争を懸命に止めようとされ、また、本土決戦を主張する軍部をおさえこんで、終戦のご決断をされた昭和天皇に対しての、敬意のかけらも見られない。
もちろんドキュメンタリーなので、敬意がなくてもよいといえばよいのかもしれないが、
しかし、それにしても、あまりの内容のひどさに、これがNHKがつくったドキュメンタリーかとため息が出る。
もし、NHKが憲法論議をテーマにドキュメンタリーを制作したくて、
で、今の昭和憲法における天皇の規定が、明治憲法と同様にあいまいだから、解釈運用できるとして、危険といいたいのであれば、しかし、それも論点としてずれている。
現行憲法でもっとも危険なのは、自衛隊の存在を明記していないことだ。
その存在からして、違憲状態であるがゆえに、自衛隊を憲法上で規制するも条文がなにもない。
よって、自民党公明党政権が、「解釈改憲」というかたちで、ソマリアからイラクからどんどん海外派兵を繰り返すどころか、あげくに核武装論や、敵地攻撃論までが、この「解釈改憲」の中で、安倍元首相や、中川元財務大臣から飛び出している始末である。
そういえば、安倍元首相、中川元財務大臣といえば、
2005年にNHKのドキュメンタリー制作において、従軍慰安婦のインタビューを削除するように圧力をかけた件が有名である。
今回、憲法の危険性をテーマにする際に、「解釈改憲」を問題にすると、また、安倍、中川両氏から圧力をかけられることをおそれたのかと、そういう皮肉な見方もしてみたくなってしまうものである。
ほんと、どうしたんだろうNHKは。
民放だけでなく、公営放送まで、このようなレベルの低い偏向内容になってしまうことが、たえられない。
ドキュメンタリーは事実を前提として構築し、映像の力での、影響力が強い分、もっと公正であらねばならない。
とりあえず、あのオドロオドロしい、嫌なBGMはやめるべきだ。
あのBGMを採用した時点で、偏向的なドキュメンタリーになることぐらい、制作者は察しがついただろうに。」
http://ameblo.jp/aobadai0301/entry-10254351386.html
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