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■ 吉田茂も美化されている
NHKドラマ「白洲次郎」第2話を観たかたは多いと思われます。
白州次郎がマッカサーの無礼な態度に対し「日本は戦争に負けたのであり奴隷になったのではない」と流暢な英語で大声でたしなめた場面には少し感動しました。
しかし吉田茂に関しては、戦前軍部に抵抗した平和主義者として、戦後は占領米軍の横暴な振る舞いに対し日本人の尊厳を守った自由主義主義者としてドラマでは描かれているのには違和感をおぼました。
近衛文麿が美化されている様に、吉田茂も美化されていると思います。
確かに欧米流の自由主義者の側面が多少あったかもしれませんが、本性は反共主義者であり秘密警察国家日本の基礎を作った張本人だったことは少しも描かれていません。
経済学者の植草一秀氏は彼のブログ「知られざる真実」の3月13日付け記事「吉田茂が生んだ秘密警察国家日本とCIA」の中で、吉田茂の本性を暴露しています。
共同通信記者出身のジャーナリスト春名幹男氏が出版した著書『秘密のファイル CIAの対日工作(上・下)』(共同通信社)下巻第八章「政界工作」第1節「日本情報機関の父・吉田茂」の中の文章を下記のように引用しています。
以下は引用文です。
同書によると、吉田茂元首相は、@膨張主義政策を決めた1928年の東方会議をリードし、A「治安維持法」に死刑条項を設けたことに関与した、ことなどの理由により、GHQの情報機関に「吉田追放」を主張された。
しかし、幣原内閣の下で、公職追放対象者の名簿作成にあたり、日本政府の窓口となってGHQと折衝したのが吉田茂外相であった。吉田外相はマッカーサー元帥との意思疎通を図り、さまざまな工作活動を経て公職追放を免れ、首相の座を獲得したと同書は指摘する。
吉田首相は第三次吉田内閣が発足して1ヵ月半後の1949年3月にGHQ参謀第2部チャールズ・ウィロビー少将あてに以下の内容の書簡を送っている。
「日本の共産主義者の破壊的かつ反逆的な行動を暴露し、彼らの極悪な戦略と戦術に関して国民を啓発することによって、共産主義の悪と戦う手段として、私は長い間、米議会の非米活動委員会をモデルにした『非日活動委員会』を設置することが望ましいと熟慮してきた。」
時代は米国で赤狩りのマッカーシー旋風が吹き荒れているころのことだったという。
この延長上に1952年7月、「破壊活動防止法(破防法)」公布と同時に、「公安調査庁」が発足し、同時期に「内閣調査室」が発足した。「内閣調査室」は吉田首相が自分の元秘書官で警察官僚の村井順に命じて設置した情報機関であることが上記著書に記されている。
同書はさらに、「公安調査庁、内閣調査室とも、米中央情報局(CIA)との友好的な協力関係を今も続けている。」、「CIAとこれら日本の情報機関との協力関係の基礎をつくったのが吉田である。」と記述する。
以上が引用文です。
NHKは、麻生太郎首相が尊敬する祖父の吉田茂を「平和主義者」「自由主義者」「日本人の尊厳を守った政治家」として描くことで、最低の支持率にあえぐ麻生首相のイメージアップに間接的に貢献したかったのでしょうか?
NHKならではの莫大な経費を使って製作したドラマの中で、吉田茂の影の部分を完全に隠して光の部分のみを強調する筋書きは、「小沢民主党代表潰し」「小沢民主党による政権交代潰し」で今吹き荒れているNHKを初めとする大手マスコミの大本営発表情報よりも一段と巧妙に仕掛けられた世論操作ではないのでしょうか。
我々はNHKの仕掛けに注意しなければなりません。
(終わり)
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