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週刊朝日はがんばっている。「親方」の朝日新聞が、巨艦すぎて、時代の流れを読み切れず、ついていけずにどんどん「かっこわるく」なっているのに対して、小回りの利く編集体制を活かして、キレのある誌面構成をしている。がんばれ。
しかし、今朝の天声人語、ひどかったなあ。抽象的で、感覚的な言語で政局を語る「芸」。何のヴィジョンも伝わってこない。そもそも、このコラムはなぜ「匿名」なのか。昔から名文という世評があるようだが、私は中学生時代から、心を動かされた記憶がない。
先日、朝日新聞の記者の方と話していて、「朝日病」の根源がわかったように感じた。インテリだと自負しているのはいいとして、読者を「中学生」くらいに思っていて、「啓蒙」しようとしている。だから、天声人語のような、弛緩した文章になる。
本当はさ、朝日の記者に求められているのは、世界レベルの知性と切磋琢磨して、自らを高めることじゃないかな。数百万読者の「レベル」(と自分たちが思い込んでいるもの)に合わせようとして、「上から目線」となり、自らの知性の劣化を招いている。
天声人語だけど、やっぱり油断しているんじゃないか。同じ片言でも、小林秀雄の、「生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」(「無常といふこと」)とは体重の乗り方が違う。朝日の記者の方々には、もっと、自分の知性のメーターを振り切らせるような記事を期待したい。
天声人語 2010年9月7日(火)
選挙のことを「デモクラシーの祭り」と言ったのは英国のH・G・ウェルズだという。SF作家として知られるが、すぐれた文明批評家でもあった。その「祭り」が残暑の日本で佳境に入ってきた。しかし一般の国民は踊りの輪には入れない▼この「首相選び」は政治史に残るだろう。だが、祭りばやしが高鳴るほど隔靴掻痒(かっかそうよう)の思いは募る。〈いつの日か直に決めたい国の顔〉と先の川柳欄にあった。「直に決めた」といえる去年の祭りを、むなしく遠く思い出す方もおられよう▼さて、どちらが首相にふさわしいか。小紙の世論調査では65%が菅首相をあげ、小沢前幹事長は17%だった。他紙も似た傾向のようだ。民意という川は、菅さんを浮かべ、小沢さんを沈めたがっていると見ていいだろう▼民主的なコントロールとは、素人である大衆の方が、結局は、しがらみに巻かれた玄人より賢い結論を出す、という考え方で成り立っている。バッジ組は、新人議員とて利害損得の渦中にあろう。民意が遠吠(とおぼ)えにすぎないとなれば、むなしさはいや増す▼もとより政治は対立を前提とする。そして政治家とは対立の中で勝者をめざす人たちだ。だが小沢さんの出馬には、どこか「私闘」の影がさしていないか。権力ゲームでジリ貧になる焦りから勝負に出たような――。このあたりの陰影に人は鈍くはない▼去年の祭りでの熱を帯びた参加は、たった1年で村祭りの傍観に変わってしまった。頼りなげな清廉にせよ不人気の剛腕にせよ、選ばれるのは村の顔役ではなく、国の顔である。
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