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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100727-00000301-cyzoz-soci
──本誌連載「ITインサイド・レポート」が、特集に合わせ、拡大出張。4月に『電子書籍の衝撃』を紙と電子書籍のそれぞれで出版し、注目を集めているジャーナリスト・佐々木俊尚が、電子書籍という"黒船"来襲の最前線で見た日本の出版業界の現状と未来を分析する。
私は4月15日に『電子書籍の衝撃』という本を、独立系の出版社であるディスカヴァー・トゥエンティワンから上梓した。同書は発売から2週間余りで発行部数5万部を超えるなど、かなりの反響を呼んでいる。本の内容は読んでいただければと思うが、ごく簡単に説明すればこういうことだ──アップルの iPadやアマゾンのKindle、そしてグーグルのブック検索などアメリカ勢が、電子書籍ビジネスを全面展開し始めている。そして日本市場にも上陸しようとしている状況に対し、日本の出版業界や著者からは「海外勢から出版文化を守れ」といった反発の声が上がっている。だが日本の出版業界は、取次を軸とした流通プラットフォームが、今や文化的にも経済的にも破綻一歩手前の状況に陥っている。衰退する出版を救うためには、現状の流通システムを一新し、電子書籍化することで新たな「本の読まれ方」を構築するしかない。
そして今、同時に、ツイッターやブログ、SNSなど、人と人がつながり、そこで情報が共感と共に交換されるソーシャルメディアの空間がインターネット上には形成されてきている。こうしたソーシャルメディアによって、本の情報が「書店の平台の位置」「版元の営業力」「著者の知名度」といったパッケージではなく、「今なぜ私が、その本を読まなければならないのか」「その本が持っている社会的意味とは何か」といったコンテキスト(文脈)と共に流通するようになれば、本の読まれ方は大きく変わり、読者と本と書き手をつなぐ新たな空間が生まれてくるのではないか──。
この本に対して、多くの読者からは「本の未来にわくわくしてきた」といった声を頂いた。ところが出版業界からは、猛反発も受けている。私の知人の、ある大手出版社の編集者は、上司である役員から「なんでお前はあんな佐々木俊尚のような者と付き合っているのか。書いてることが全然ダメだろう」と叱責を受けたという。
私のところにインタビュー取材を申し込んでくる雑誌編集部にも、取材に来たのか非難に来たのかわからないような人が少なからずいる。例えばあるファッション業界誌の年配の男性編集者は、私のところにインタビューに来て開口一番、こう断言した。
「iPadは、あれは売れないですね。重いし、読みにくいじゃないですか。液晶で本を読むなんてあり得ない」
「それはあなたの感覚だと思いますよ。その感覚が今の20代、30代にも当てはまるという根拠はありますか?」
そう私が反論すると、彼は憮然と黙ってしまったのだった。
あるいは別の週刊誌記者。
「電子書籍時代になったら、著者や読者は損をするんじゃないですかね」
「どういう損をすると思うんですか?」
「いや、なんとなくだけど、損をするような気がする」
ネットでも状況は同じ。ツイッター上でも私に対して「雑誌が売れなくなるなんて、お前は無知だ」「外野は好きなことを言えていいよな」などという非難の声が、出版社員とみられる人たちから寄せられている。私がそうした意見に反論すると、今度は会ったこともない古株フリーライターらしき人物から「対立を煽るのはもうやめにしたらどうか」などとまた批判される。
毎日のようにこうした根拠のない情緒的な反論にさらされ、正直私の気持ちは疲弊するばかりだ。
ちなみに「外野」というのは出版業界人がよく使う言葉で、例えば業界外の人間がブログで電子書籍について書いたりすると「外野が言っても信頼できないんだよな」「外野は無責任だから」といった言い方をする人が、すぐにネット上に現れる。私は本を20冊ぐらいも出していて、あちこちの雑誌に寄稿しており、出版業界にどっぷり浸って暮らしているが、そういう人間に対しても「外野」という言葉を使うのだ。書き手も読者も印刷会社もみんな外野で、「内野」は出版社の社員だけということらしい。
しかしそうやって「内野」だけで長年内向きの論理ばかりを振りかざし、電子書籍への取り組みもほとんど放置したまま今の事態を招いてしまったのを忘れたのかと思う。
■立ち消えになった90年代の取り組み
電子書籍への取り組みは、日本は決して遅くはなかった。まだインターネット黎明期だった1990年代末には出版社や電器メーカー、取次などが参加して電子書籍コンソーシアムが立ち上げられて実証実験が行われた。まだバッテリーの持ちも悪くて画面の解像度も粗く、重くてかさばっていたが、それでも電子書籍リーダーを果敢に試作したりして頑張っていたのである。
ところがこのコンソーシアム以降、日本の出版業界はまともなことは何もしていない。2000年に大手出版社が中心となって「電子文庫パブリ」という電子書籍販売サイトを開設したが、タイトル数は今もわずか1万3000点しかない。並んでいるのは絶版本や、もう書店では売れる余地のない古い本ばかりで、要するに「電子書籍をやる気はない。でもやっているということを一応見せるため、どうでもいい本だけをたくさん並べて置いてるだけ」という状態だ。サイトのデザインも、Web1.0の時代を彷彿とさせる古色蒼然ぶりだ。
さらにひどいのは、このパブリで売られている本の多くがXMDFというフォーマットになっていることだ。これはシャープが開発した独自フォーマットで、同社の「ブンコビューア」というアプリケーションでしか読めない。当時はともかくも、その後ほとんど改良されないまま放置しているため、対応機種はわずかしかない。
03年から04年にかけてはパナソニックとソニーが相次いで電子書籍リーダーを出したが、出版業界はこれにもほとんど協力せず、両社が販売ストアに用意できた書籍はわずか数百点にすぎなかった。おかげで両社共あっという間に電子書籍ビジネスから撤退してしまっている。
結局、電子書籍市場として今の日本で立ち上がっているのは、ケータイ向けのマンガ・ポルノ小説配信のみだ。金額だけを見れば、電子書籍の国内市場規模は09年段階で464億円(インプレスR&D調べ)とアメリカよりもずっと大きいが、しかしうちケータイ向けが402億円と圧倒的。そしてケータイ向け電子書籍コンテンツは82%がマンガである。さらにいえば、この82%のうちの相当部分を実はアダルト系のコミックスが占めているとされる。ケータイは紙の雑誌や本、パソコンと比べれば、寝る前に布団の中などでこっそりと画面を見やすい。そのプライベート感を活用して、読んでいることを人に知られたくないコンテンツを読む文化が育ってきているというわけだ。
それはそれでひとつの方向性だとは思うが、しかしこういう隠微なコンテンツ配信のみをもって「日本はアメリカよりも巨大な市場を持つ電子書籍大国だ」とかいうような言説は失笑ものでしかない。
■作家にも置いていかれる閉じた業界の権力者たち
電子書籍関連の記事などで出版社代表として頻繁に出演したりコメントを提供している人物のひとりに、植村八潮・東京電機大学出版局長がいる。彼は盛んに「日本ではiPadは売れないと思う」と発言し、毎日新聞の5月3日付東京版のインタビューでも「米国人にとって『読書は消費』だといわれており、バカンスに本を4〜5冊持って行き読み終わったら捨てて帰る人が多いという。日本人は紙質や装丁にこだわり、読み終えても取っておく人が多い」と語っている。
本当にそうだろうか? いやもし仮に、本当に日本人読者にiPadやKindleが受け入れられないと推測できるのなら、iPadやKindleが市場参入しても何も恐れることはないだろう。売れないものを勝手に売らせておけばいいのではないか。
ところが植村氏は同じインタビューで「すべて米国企業でいいのか。音楽業界のようにほぼ一手に握られることになれば(中略)日本の国策、出版文化として不幸だと思う」とも語っている。「iPadは売れない」はずなのに、なぜかiPadに席巻される危険性を主張しているのだ。これは自己矛盾でしかない。
私は植村氏とBSフジの生放送で電子書籍に関する討論を行ったことがあるが、「中小出版社が電子書籍を刊行しようとすると莫大な予算が必要になる」などと、かなりミスリードな発言が目立った。言うまでもないが、アマゾンやアップルは電子書籍を個人でもセルフパブリッシング(自主出版)できる安価なサービスを提供しており、本の刊行コストは電子書籍化で劇的に下がる。こんなことはもうすでにあちこちで語り尽くされている事実なのに、なぜ今さらそのようなミスリードを行うのか、私にはまったく理解できない。
こういう人物が、日本の出版業界には実に多い。先ほどのパブリを運営している日本電子書籍出版社協会(電書協)の事務局長で細島三喜氏という光文社の幹部がいるが、彼はロイター通信の記事で「紙との共存ができるなら協力するが、紙の出版を維持できないなら協力はできない。こちらがコンテンツを出さなければ向こうも(電子書籍を)出すことはできない」などと実にガラパゴス的な情緒を表明している。
要するにアマゾンやアップルの侵入を食い止めて、自分たちに都合の良い国産プラットフォームを作ろうということなのだ。その国産プラットフォームを担うのが、iPad発売の前日、ソニーとKDDI、朝日新聞、凸版印刷が組んで設立を発表した新会社なのだろう。これがどのようなプラットフォームとなるのかはまだわからない。良いインターフェイスと豊富な書籍を揃えたプラットフォームであれば読者に受け入れられるし、パブリのような古色蒼然そのままであれば受け入れられない。それだけのことだ。
植村氏や細島氏のように、ガラパゴス化で日本の閉じた出版業界を維持しようと考えている人たちはいまだ少なくない。しかし人気作家の京極夏彦氏は iPad向けの新作を発表し、五木寛之氏や渡辺淳一氏ら文壇の大御所たちも自作を無料でデジタル配信するなどの試みに乗り出してきている。この流れはもう変わりようがなく、守旧勢力がいくら堤防に土嚢を積み上げたとしても、堤防に開いた穴は徐々に広がり、やがては怒濤のように日本の出版業界を押し流していくことになるだろう。その日はもうすぐだ。
(文/佐々木俊尚)
佐々木俊尚(ささき・としなお)
1961年生まれ。毎日新聞、アスキーを経て、フリージャーナリストに。ネット技術やベンチャービジネスに精通。近著に『マスコミは、もはや政治を語れない』(講談社)、『電子書籍の衝撃』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)ほか。
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