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大相撲スキャンダルのズサンな報道〜その裏側に何が?(田原牧)
<番外編>反社会的な「事実」 (田原牧の「西方からの手紙」)
http://www.the-journal.jp/contents/maki/2010/07/post_5.html
─以下 全文転載─
このところ、本業である「西方」分析ではなく、国内の身辺雑記めいた話が多くてゴメンナサイ。ついでに、あとひとつだけ気になっている話を手短に記しておきたい。大相撲スキャンダルである。何が気になっているのかというと、報道されている「情報」が杜撰なのだ。新聞記者になって「西方」に重点的に携わる前、私は無名な事件記者の一人だった。そのときの乏しい経験と最近得た情報から、一連の報道の危うさを指摘しておきたい。
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このスキャンダルは大きく二分できる。ひとつは「維持員席」問題。もうひとつは野球賭博である。前者についての疑問から始めたい。この話が報じられた際、極道の維持員席での観戦の狙いについて、新聞やテレビでは「大相撲のテレビ中継に暴力団員が映ることで、受刑中の親分を励ますため」という説がまことしやかに流された。
具体的に話を進めよう。当初、問題となった昨夏の名古屋場所では、観戦していた極道たちとは山口組弘道会の面々で、ここでの「親分」は6代目山口組組長の司忍(本名・篠田健市)受刑者を指していた。しかし、「極道がテレビを通じて親分を励ます」とか「無事を報せる」なんてことがあるのだろうか。私はありえないと断言する。
この逆はある。つまり、親分が子分を励ますことはある。しかし、その逆、つまり子が親を励ますなんていうことはあの世界では礼を失することであって、ご法度ともいってよい。しかも、来春、出所予定の篠田受刑者は服役先の府中刑務所では長らく「昼夜独居」待遇である。いま現在は不明だが、通常、独居房ではラジオが聴けるだけである。そのことを知らない子分たちではなかったろう。だから、この狙いは警察の創作と記者の鵜呑みとしか思えない。
そもそも、維持員席というのは協会の経営(収入)安定のために設けられた。形式的には後援してくれる個人や企業などに、プロ野球でいえば「年間シート」のような形で買ってもらうのだが、協会の親方衆が直接、営業に携わることはない。
携わるのは「お茶屋(相撲案内所)」である。今回のケースでは昨年、高齢で廃業した名古屋のMというお茶屋が差配していた維持員席が問題になった。その昔、プラチナシートだったあの手の席も、現在は必ずしもそうではないという。しかも、場所中15日間、通い続けられるという人はそうはいない。ということで当時、名義はともあれ、実際の席は日々、お茶屋を通じた売買の対象になっていた。
興業である大相撲と極道の関係は江戸時代に遡るが、その蘊蓄はさておき、お茶屋のMが廃業した際にそれまで扱っていた維持員席の「権利」(飲食店の権利と似たような慣例)は江戸時代から続く浅草が本拠の老舗的屋組織(つまりは暴力団)の「C一家」が預かったという。ところが全国的にも極道間の媒酌人としては格のある「C一家」とてこのご時世、余っているカネはない。
「C一家」も場所中、15日間の席をさばかねばならない。その一部が名古屋場所となれば、この地域を制圧している同業の弘道会に流れたとしても何ら驚くことはない。極道が大相撲観戦なんてとんでもない、という議論はまた別次元のことだ。
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次に野球賭博である。ここでは賭博の違法性とか「善悪」についての議論は省略する。ただし、相撲取りやOBがばくちで身を滅ぼしたなんていう話は昔から枚挙にいとまがない。差し障りの少ないOBでいえば、プロレスに進んだ元前頭の故豊登や元小結・孝乃富士(リング上は安田忠夫)のギャンブル癖は、ファンの間では伝説化している。「公営ギャンブルなら問題はない」という話にはならない。カネ貸しの存在を考えれば分かるだろう。
注目したいのは今回、解雇された大嶽親方(元貴闘力)の相談先が警察官だったこと(本人の週刊誌上の告白による)である。「週刊新潮」の一報段階から「警察」の介在は記されていたが、記事全体を覆う「反社会的勢力(暴力団)の影」というストーリーと、明るみに出たこの経緯がまったく逆だったことに首をかしげた。
もっと分かりやすく言おう。ある極道関係者は琴光喜を揺すったという元力士の容疑者を「ヨゴレ」と呼んだ。チンピラ以下の存在という意味だ。「ヨゴレなんかに揺すられて、親分衆の誰かに相談しなかったなんて信じられない」
つまり、後援者を介してでも、大手組織の親分連中に多少なりとも面識があるのが、大相撲の多数派であって、通常、この程度のトラブルは親分連中に処理を頼めば、即時に鎮火する話だった。実際、一昔前にはしばしば「○×親方のタニマチは山健系」とか「△□親方は弘道会系」なんて話をよく耳にした。それはサイドビジネスへの関与をみていても分かる。いずれにせよ、天下の大関相手に、いい格好をしたいその筋の人など山ほどいる(特に今回は抗争になるような対象ではない)のだ。
しかし、今回はそうした解決策が採られなかった点がむしろ注目されてよい。すなわち、反理事長派である貴乃花に通じる改革派(琴光喜、大嶽、阿武松らは皆、貴乃花応援団)は「ばくち大好き人間」であるにせよ、極道とは相対的に距離のある人々だったのである。しかし、皮肉にも今回の騒動でその改革派が極道と通じているという暗黙の理由で刺され、切られた。「ちょっと騒動になりすぎはしたが、これで昔ながらの協会に戻る。外部委員会は何もできない。ほとぼりが冷めるまでの辛抱だ」。守旧派からはそんな声が漏れ聞こえる。本質的な協会改革はむしろ遠ざかってしまった。
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こう客観的に振り返ってみると、今回の騒動の異常さが浮き彫りになる。つまり、2つのスキャンダルとも最近、極道が大相撲への介入を強めたとか、対応を変えたという問題ではない。縁も切れてはいないが、昔ながらの関係である。変わったのはむしろ、警察や警察を支援する「社会的勢力」の人々といえる。
では、この騒動は偶然なのか、それとも意図したキャンペーンなのか。少なくとも、この一連の騒動で「反社会的勢力一掃」という台詞が繰り返され、「ヤクザに人権なし」の社会的合意がいっそう強化されたことは間違いない。
偶然かどうか、騒動の渦中、ヤクザに人権なしの象徴的な事件があった。警視庁は6月30日、他人名義で都内のマンションを借りていたとして、弘道会幹部の森健次容疑者を詐欺の疑いで逮捕した。森容疑者の東京での任務は篠田受刑者の世話である。貸していた知人は居酒屋経営者で森容疑者のタニマチだった。
知人の空き部屋を借りていたという世間常識では犯罪とは考えにくい容疑なのだが、新左翼の活動家たちにはしばしば適用される手法である。刑事というより、公安手法なのだ。それをついに極道にも使った。かつての「赤軍罪」とか「オウム罪」や「総連罪」と同じノリだ。つまり、法を装いつつ、法の枠外扱いなのである。その存在を抹殺しようということだ。
「反社会的勢力ならば、超法規的な手法も構わない」ーこの短絡的な発想の怖さは、それが必ずそう思っている当人たちにも跳ね返ってくる点にある。
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さて、結論は皆さんに考えてほしい。この降ってわいた騒動の本質はどこにあるのか。
昨夏の政権交代以降、結局は民主党が全面的に敗北しているが「取り調べ可視化」など権力の暴力装置に対する牽制の動きがあった。一連の動きは極道をスケープゴートにした暴力装置側の「逆襲デモンストレーション」なのか。あるいは公安の新たな食い扶持確保のためか。
「小沢政治」にもつながるのだろうが、いわゆる「清濁併せ?む」という大人の知恵(これは極道という「社会的存在」がいる理由にも絡む)とか政治への反感、すなわち潔癖主義(「非実在青少年」規制にもつながるだろう)という小児病的なポピュリズムの激流に警察も流されているのか。
最後に私は相撲が「国技」とは思わないし、興業会社の協会が公益法人であり続ける意味なんてないと思う。この雑文を読んで「極道擁護」と短絡する人々もいるだろう。ただ、新聞記者を名乗っている以上、お国のキャンペーンよりも事実にこだわりたい。たとえ、それが「反社会的」に映ったとしてもだ。
投稿者: 田原 牧 日時: 2010年7月 8日 02:42 | パーマリンク
─転載 終わり─
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