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http://www.magazine9.jp/shibata/100630/
日本には「憲法」と「日米安保」という二つの法体系がある、とよくいわれる。しかも、この二つの法体系は、根底において互いに矛盾する要素を抱えていることは、砂川闘争に関する「米軍の駐留は憲法に違反する」という1959年の伊達判決によって明白に浮かび上がったものだといえよう。
この伊達判決は、政府側の跳躍上告で最高裁により「高度の政治性を有する問題で、裁判所の司法審査の範囲外だ」とひっくり返されたが、最近、この判決をめぐって、当時の駐日米国大使が最高裁長官に直接、働きかけていたことが明るみに出て、大きな話題を呼んでいる。
この事実ひとつをとっても、日本は本当に独立国なのか、あらためて疑問が湧くが、一方、日本の国内には、この二つの矛盾する法体系を巧みに操って繁栄してきたのが「日本の知恵」だったのだという見方もないわけではない。
しかし、敗戦直後はともかく、冷戦終結後の日米安保の変質によって、この「矛盾」は簡単に糊塗できないほど拡大してきたのではないか。自衛隊のイラク派遣に対する名古屋高裁の2008年の違憲判決も、その現れの一つだろうし、鳩山政権が倒れた直接の原因である普天間基地問題も、その矛盾を解決できなかったためだといっても過言ではなかろう。
この問題を考えるのに、やや視点を変えて、「ある論争」を紹介したい。いまから約15年前、戦後50年が経って、「戦後の半世紀」を振り返るさまざまな検証報道がメディアをにぎわしていたころ、その一つに「日本がこの50年間、平和だったのは何のおかげか」という問いがあった。
それに対して、朝日新聞は「平和憲法のおかげだ」と主張したのに対し、読売新聞は「日米安保のおかげだ」と主張したのである。
朝日新聞の主張は、日米安保の効用も一部認めながら、「でも、強いて言えば平和憲法のおかげだ」というのに対して、読売新聞の主張は「すべて日米安保のおかげ。平和憲法のおかげなんてとんでもない」というものだった。
この両紙の主張の違いは、80年代から始まった「読売・産経新聞 対 朝日・毎日新聞」という新聞論調の二極分化が、91年の湾岸戦争でますます先鋭化し、やがて「読売・朝日の憲法対決」へと発展した、その直後だっただけに、「おかげ論争」までひときわ激しい対立となったような気がする。
湾岸戦争では、日本は130億ドルという巨額な戦費を負担したのに、国際的な評価が得られなかったとして、読売・産経新聞は「やはり血を流さず、カネで済まそうとしたのでは世界の孤児になる。改憲して軍事貢献もできる国にしなくては」と主張し、一方の朝日・毎日新聞は「国際貢献は非軍事面だけでいい。改憲なんてとんでもない」と対立したのである。
朝日新聞が、日本の平和は日米安保より平和憲法のおかげだと主張した論拠は、ベトナム戦争だった。「米国の戦争」だったベトナム戦争に、米国は同盟国の韓国には参戦を要請し、韓国軍はベトナムへ出動したのに対し、同じ同盟国でも日本の自衛隊には参戦を要請しなかった。それは、ベトナム戦争にこぞって反対した日本のメディアと平和憲法のおかげだったのではないか、というわけである。
15年前のこの両紙の論争に、国民の支持はどちらが多かったか、世論調査でもしておけばよかったが、残念ながらそれはない。推定すれば、国論もほぼ二分されていたとみていいだろう。 その後、米同時多発テロがあり、アフガン戦争、イラク戦争とつづき、日本もにわかにキナ臭くなった。イラク戦争は、ベトナム戦争とよく似た「米国の戦争」で、日本政府はもちろん米国支持だったが、メディアの状況は、ガラリと変わった。読売・産経新聞は政府と同様、米国支持で、自衛隊の派遣にも賛成、もう一方の朝日・毎日・主要地方紙は、戦争にも自衛隊の派遣にも反対と分かれたのである。
そして賛成紙は「進攻」、反対紙は「侵攻」と使う言葉まで違い、最初のうちこそ「快進撃」と報じたほど賛成紙の威勢がよかったが、戦後の混乱がいつまでも収まらず、そのうえ戦争の大儀とされた大量破壊兵器も見つからなかったため、国際的にも「イラク戦争は間違いだった」という見方が広がりつつある。
「初めての戦争地域への派遣」となった自衛隊も、幸い死傷者こそ出なかったものの、海上自衛隊から給油を受けた米艦がそのままイラクへ向かったり、航空自衛隊がイラクで武装米兵の輸送にあたったり、と日本の「参戦」スレスレのような状況が生まれた。
こうなれば、「日本の平和は日米安保のおかげ」派の勢いは、一気に減るかと思いきや、減るどころか、少なくとも日本のメディアに関する限り、15年前に比べて「憲法のおかげ」派のほうがめっきり少なくなった感じである。
というのは、歴史的な政権交代があって、鳩山政権が誕生するや、日本のメディアは普天間問題に「早く米国の言うとおりに決めないと大変なことになるぞ」と大合唱を始めたからだ。以前から日米同盟が何よりも大事だと言っていた読売・産経新聞だけでなく、朝日・毎日新聞まで同調したのである。
朝日新聞の12月16日の社説などは読売新聞の社説かと見間違うような内容だったし、駐米大使が国務長官に「呼びつけられて」不快感を表明されたという各紙の記事も間違いだったことは、先のメディア時評で指摘した通りである。
しかし、鳩山首相はこうしたメディアの大合唱にも従わず、「国外、少なくとも県外」という主張も変えずに今年5月まで結論を先送りした。ところが、その間、実現にむけての努力らしい努力を何もしなかったため、結局、自民党政権時代に決まった通りの決着に戻って、政権まで自滅してしまったのである。
この状況を見て、鳩山政権は、政治とカネの問題を含め「民主党が自民党化したため倒れた」という論評がなされた。私は、これにもうひと言、つけ加えたい。鳩山政権は「民主党の自民党化」と「朝日新聞の読売新聞化」によって倒れた、と。
15年前の「おかげ論争」をいまの国民に問うたら、どう答えるだろうか。先日、ジャーナリスト志望の大学生7人と話す機会があり、そこで私は何の前置きもなしに「日本が65年間、平和だったのは憲法のおかげか、日米安保のおかげか、強いて言えばどちらだと思うか」と尋ねてみた。すると、7人全員が「日米安保のおかげだ」と答えた。
「ああ、朝日新聞も、いよいよ影が薄くなってきたな」と寂しい思いをかみしめると同時に、一方、憲法9条を守れという国民の声は、どの世論調査によってもますます大きくなっていることに一筋の救いがある、とあらためて思った。
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