http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/669.html
Tweet |
「人々が自分の頭でじっくりと考え、責任をもって議論をたたかわせた過程から見いだされる、理性にのっとった多数意見。これが民主政の基盤となるべき「輿論(よろん)」にほかならない。」
(苅部直 東京大学教授・日本政治思想史))
wikipedia「輿論(よろん)」 より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%BF%E8%AB%96
−−−−−−
1946年に当用漢字表が公布される以前は、「輿論」と「世論」とには区別があった。
前者はPublic Opinionの、後者はpopular sentimentsの訳語として用いられた。
日本語でいうと「輿論」は「多数意見」で、「世論」は「全体の気分」となる。
佐藤卓己はこの違いを指摘した上で、現在は「輿論」は「理性的討議による市民の合意」で、「世論」は「情緒的な参加による大衆の共感」であると定義している。
−−−−−−
wikipedia「世論(せろん)」 より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E8%AB%96
−−−−−−
日本では戦後、当用漢字による漢字制限によって「世論(セロン)」と「輿論(ヨロン)」の選択の余地がなくなり、すべて「世論」と書かざるをえなくなった。
また同時に「輿論」の「ヨロン」という読みに引きずられる形で「世論」に対しても「よロン」という湯桶読みが一般化した。
−−−−−−−−
佐藤卓己著『輿論と世論―日本的民意の系譜学』
昨今の、テレポリティクスならぬ、ポル(世論調査)・ポリティクスの横行。おそらく日本に限らず、先進国の多くに見られる、そうした政治の現状を、どう打開してゆくのか。ほとんど絶望の中の希望のような、重い提言。
−−−−−−
書評 『輿論と世論―日本的民意の系譜学』
[著]佐藤卓己
[評者]苅部直(東京大学教授・日本政治思想史)
[掲載]2008年11月16日
http://book.asahi.com/review/TKY200811180115.html
■言葉の区別見失った民主政の基盤
このところ、「世論」が気になるのである。世論調査で国民の人気が高いとわかった政治家が首相になり、政権をとったあとは支持率の高下に右往左往する。たしかに民意に基づくのが民主政の原則とはいうものの、どうも危うい気がしてしまう。
本の表題にある、「輿論(よろん)」と「世論(せろん)」。この二つを区別する視点から、佐藤卓己は日本のマスメディアによる報道・世論調査と、政治との関係を、戦中期と戦後の多くの事例について分析している。
人々が自分の頭でじっくりと考え、責任をもって議論をたたかわせた過程から見いだされる、理性にのっとった多数意見。これが民主政の基盤となるべき「輿論」にほかならない。
これに対し、世間に何となく広まっている好悪の感情は、単なる「世論」にすぎない。実は、戦後に入り漢字制限のせいで「輿」の文字が使えなくなるまでは、そうした用語法が通常だった。
しかし、二つの言葉の区別は見失われ、いまではほとんどの人が、世論をヨロンと発音して疑わない。そのことが、言葉づかいの問題にとどまらず、統計調査の数字として表れる世論の取り扱いを、大きくゆがめている。佐藤によれば、いわゆるポピュリズムの政治の弊害も、これに由来するのである。
とりわけ、大新聞に対する批判は手きびしい。争点が持ちあがるたびに調査を行い、結果を報じることで、底の浅い感情にすぎない「世論」を追認し、政治動向にも影響を及ぼしてしまう。新聞は、「世論」を良質な「輿論」へと引きあげるべきなのに、その本分が顧みられない。
この現状に対して、人々がインターネットなどを通じて意見を発し、他人のものを読む。その積み重ねが、「輿論」形成の新たな回路を創(つく)ると佐藤は説く。
昨今の、テレポリティクスならぬ、ポル(世論調査)・ポリティクスの横行。おそらく日本に限らず、先進国の多くに見られる、そうした政治の現状を、どう打開してゆくのか。ほとんど絶望の中の希望のような、重い提言である。
さとう・たくみ 60年生まれ。京都大准教授(メディア史、大衆文化論)。
−−−−−−
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評10掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。