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マスコミに欠落した普天間問題の視点=事なかれ主義を超越した先にある未来(太陽光発電日記by愛知・・・)
http://yokotakanko.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-f7d9.html
昨日の鳩山さんの福嶋大臣更迭、普天間移転先辺野古周辺への回帰というニュースをうけて、各新聞では各政治部記者の”ほくそえみながら非難する”記事があふれています。
”非難をぶつけながらも、本当はうれしくてしょうがない”様子が行間からにじみでていて、不器用ながらも理想を追求して失敗した鳩山さんを、たたきまくり、笑いものにする意地汚い多くのマスコミ人の”こころが捻じ曲がっている”ことをつくづく感じました。
まさに現在のマスコミの主流派をしめる、”機密費ごちそうさま世代のアラ還世代”と”ネトウヨ本隊のバブル入社世代”の最凶コラボ炸裂といったところですね。
今回の普天間問題では、戦前教育を受けた母とその子供の私が感じたものの間には相通じるものがありましたが、”ほくそえみながら非難する”マスコミの主流派連中とは、遺伝子レベルともいえる根本的な感性の違いを感じました。
(ただし同じ鳩山批判の内容でも、中日新聞の特報欄の記事については、沖縄の現実に密着した地に足が着いた内容で、こころが伝わり共感できました)
※
鳩山さんの会見をテレビで見ていた老母が、
”しょうがないよ日本は戦争に負けたんだもん”
”しょうがないね、やっぱりアメリカには逆らえないね”
とポツリとさびしそうにつぶやいた言葉が胸に突き刺さり離れません。
昨日の会見を見て、日本人としてまず最初に沸き起こる感情は、いいようもない悔しさと寂しさだったと思うのですが、あの”ほくそえみながら怒る”マスコミ主流派の政治部の連中の感性はどうしたものなんでしょうね。
もっともらしく普天間移転問題をめぐる鳩山総理の迷走ぶりを批判する新聞各社のコラムとかコメンテーターの何千何万の言葉よりも、ぽつりとつぶやいた老母の言葉がほんとうの真実を表していると心底思えます。
※
アメリカの無差別爆撃の爆弾で、母親と姉とおばといとこを殺された母です。
本土決戦でゲリラ戦でアメリカ軍を迎え撃つ教育を受けていた母です。
アメリカとの戦争に敗れたことを告げる終戦の玉音放送に涙がとまらなかったという母です。
その母が、”無理だと思いつつ”も、普天間基地アメリカ軍の国外退去をひそかに期待していたんだと思い、思わずじ〜んときました。
ごく普通の戦前戦後を生きてきた日本人として、謙虚にひそやかに戦後の日本を生きてきた人間が、今回の普天間問題を見て、昨日の鳩山さんの決断を見たら・・・
何を思い何を語るか・・・・おそらくうちの母と同じではないでしょうか。
あの日終戦をつげる玉音放送に涙した日本人の心
負ける戦いと知りながら”新生日本のさきがけとして散ろう”と、未来の日本人に日本をたくし死んでいったあまたの日本の兵士たちの心
引用
沖縄県民の壮絶な自己犠牲的な戦いに後世の格段な配慮をもとめ自決していった海軍陸戦隊大田実司令官の最後の電文”沖縄県民斯く戦えり”クリックすると拡大します
全文画像
http://yokotakanko.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/05/29/photo.jpg
それらを思うとどうしようもなく申し訳なく、同時にむなしい気持ちになります。
ですから、”アメリカ軍は本当に必要なのか””なんとかならないのか”という思いをいっそう強く持ったとしても・・・・、
マスコミの政治評論のように、”最初から自民党政権の当初案どおりで決めて、なにもしなければ混乱しなかった””甘いんだよ”と非難する気にはとうていなりません。
結局、戦中を生きた日本人の多くは、今回の鳩山会見を見て
”しょうがないね、やっぱりアメリカには逆らえないのかね””でも鳩山さんはやるだけやったんだよ”
という母のような言葉になるのではないでしょうか。
戦中世代の母たちのこの”しょうがない”という言葉の裏には、アメリカ撤退という違う結果を期待した気持ちがあったことは確かです。
その意味で、今回の鳩山総理の無謀といわれるチャレンジは、沖縄県民にとどまらず、多くの国民の間に、アメリカ基地の国外移転をねがう気持ちを生んだという意味があったということをせめて思いたいです。
※
確かに鳩山総理は普天間移転で軽々しく理想主義に走り、結果的に混乱を巻き起こしただけかもしれません。しかし、”事なかれ”ですませていたら、伝わらなかった多くのことを国民に伝え、国民の気持ちを呼び起こしたことは評価できるのではないでしょうか。
大人ぶって丸く治めることは処世術として必要です。ただそれは、あくまでも必要悪でしかないということを再確認しなければなりません。
意見の違うものどうしが、言うべきことも言わずにぶつかることを回避するだけでは、意見の違いは埋まりませんし、永遠に信頼関係を築くことはできないでしょう。
けんかもしなかった妻から、定年後に突然離婚を求められる・・・仲がいいと思っていたのがお互いの溝を隠していただけの35年間だったことを思い知らされたという話をききましたが、それと同じじゃないでしょうか。
社会にでて、大人の世界に染まってくると、知らず知らずのうちに”事なかれ”主義に埋没しがちですが、”事なかれ”が、結果としては、”隠蔽””停滞”しか生まないことを改めて再認識することが必要です。
膨大な無駄に安住する組織になりさがったような官僚組織も、膨大な”事なかれ”の総和の結果生まれたものです。
ありふれた言葉ですが、”失敗こそが成長の源””失敗を恐れていたら何も生まれない”という言葉をあらためて思い起こしてもらいたいと思います。
※
国民が求めた政治とは、決して”事なかれ”で現状維持に汲々とする政治ではなかったはずです。
日本中に蔓延する”事なかれ”を飛び越えた先に見える、”閉塞状況を打ち破る””未来の可能性”を追求する政治・・・多くの国民が個々の”事なかれ”の”壁”を乗り越えて選択したのが、昨年の戦後初の政権交代だったんではないでしょうか。
もしも鳩山さんが、最初から普天間で”事なかれ”を選択していたとしたら、その時点で未来への希望を放棄したことになっていたでしょう。
その意味で、結果はどうであれ、理想を目指し続けるベクトルを維持できたというだけでも”好しとしたい”というのが率直な感想です。同様に福嶋さんについても現実的な判断で妥協しないで、原理原則を貫いて先につながる決断だった評価したいと思います。
鳩山さんも福嶋さんも、最終的な理想として掲げる米軍の国外移転という方向性は同じでしょう。その意味で今回の意見の食い違いは、具体的にどうゆうステップを踏むかという戦術レベルの違いでしかないはずです。今回のことでそれで連立を解消したとしても発展的解消として前向きに捉えればいいんじゃないでしょうか。
※
自分の国は自分たちで守る・・・・国民がその気持ちをひとつにまとまれば、世界最強の軍隊を投入しても完全支配が不可能だということを、ベトナム国民もイラク国民もアフガン国民も示しています。
アメリカに不必要に反発する必要はありません、とりあえず自分の国は自分たちで守るという気概をスタートにして、いろんなことを見直し、未来の希望をひとつひとつ積み重ねていけばいいんじゃないでしょうか。
戦後政治の未知の領域に足を踏み入れる覚悟をもった国民には、時代が停止し、思考が停止したマスコミ政治部に代表される、理念なき”事なかれ”至上主義の評論は、ただの雑音にしか聞こえないはずです。
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