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01. 2010年5月15日 17:57:12: fXiRNMfg6g いけすかない書き手だね。 はじめから反応を予想しているあたり。という反応をも予想しているからこれでよすが感想としてはそれはお互い様、ということで。
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02. 2010年5月15日 18:54:04: o1670k8DmA アンヌ・モレリという人が「戦争プロパガンダ、10の法則」という本を書いている。 マスゴミの論調とネツトの論調を冷静に比較するために、 1、「我々は戦争をしたくない」 2、「しかし敵側が一方的に戦争をのぞんだ」 3、「敵の指導者は悪魔のような人間だ」 4、「我々は領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」 5、「我々も謝って犠牲をだすことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」 6、「敵は卑劣な平気や戦略を用いている」 7、「我々の受けた被害は小さく、的に与えた被害は甚大」 8、「芸術家も知識人も正義の戦いをしじしている。」 9、「我々の大儀は神聖なものである」 10、「この正義に疑問を投げかけるものは裏切り者である」 いろいろと語句を置き換えてみるとお楽しみ、ご参考に。 |
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03. 2010年5月15日 23:55:49: XKaRhUQh0M インターネットが未だに開かれているなんて考えている奴がいたら大笑いだ。 もちろん検閲とかで閉じているとかそういう意味ではない。ネットは基本的に制限が無い取捨選択が自由だ。取り込む情報の優先順位は自分の都合のいい情報からだろう、馬鹿な奴ほどその傾向が強くなる。集まった情報は自分の都合のいいものだらけ、必然的に先鋭的になる。その馬鹿どもが集まってさらに先鋭化、カルト集団の出来上がり。対立するカルト集団同士が攻撃しあい、ストレスフルな状態となり防御するため攻撃するためさらに都合のいい情報を集めようとする。 ここまで過激化しなくても馬鹿にとってネットは閉じている、そして大半の人間が馬鹿だ。 |
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04. 2010年5月16日 06:34:58: 6kuobrWeYc 欧米の新聞は政治的傾向を日本よりはっきり出す。 アメリカなら保守・リベラル系、西欧なら左派系・右派系と。 したがってリンク先ブログで紹介されている研究結果がそのまま日本に 当てはまるかは疑問。 (リンク先ブログの意見はネットの方が偏っていない、というものらしいが)
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05. 2010年5月16日 08:47:45: Eubf01LZLM 匿名掲示板の書き込みの特徴は殆んどが見た目と容姿に対する第一印象と記事を流し読んだだけの印象をごちゃ混ぜにしてクサす投稿が多くを占める。次にはその対象者の発言やプロフィールへの言及が始まり大抵批判かやんわりとした肯定も混じった上から目線の物言いが増えてきて、最後はまあだけどいいんじゃないの?的な半ばネタに尽きてもう放免の色合いが増えてくるとスレッドの書き込みは止まる傾向を見せてくる。 某大掲示板ニュー速+の常駐者たちのパターンは概ねこんなもので、長文を書き込み論を展開するような応酬には殆んどならない。 従ってネット関連のコラムを書く評論家の中には世の森羅万象を一旦ニュー速民のフィルターに通すことを、便所の落書きや居酒屋の酔いにまかせた同僚上司の悪口にも似た日本社会にありがちな同調圧力のストレスを書き込み囃すことで洗浄する「禊ぎ」と形容する者もいる。 既存のメディアでは通り一辺倒の誉めそやしかヨイショに終始しお為ごかしの記事が埋まるが、そのギャップをネットの匿名掲示板が埋め補完しているというわけだ。 しかしまあ考えねばいけないことは同調圧力のストレスから言ってはいけないことのタブーが第一印象や容姿、発言内容に対する批判やっかみに殆んどが費やされることの生産性のなさだ。 というか新たな同調圧力が掲示板のスレの空間でツール化しているという事実は、そこに集まればそこの暗黙のルールが書き込む者の思考を縛るということである。 それを意識してやっていればネタといい、意識せずのめりこんでやっている者を荒らし、さらに悪質になれば工作員という肩書きに変わる。 生産性のないスレに生産性のない記事を投下し生産性のない書き込みがなされ、時にそこから生産性がないがゆえに攻撃性だけが異様に満ちた化け物が生まれる。そしてそれは時にはここにもやってきては生産性のない投稿を有意と思って投下していくのだが、殆んど論われ投稿ルールを守れない痛い人とからかわれて終わりである。 |
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06. 2010年5月16日 17:16:05: z5uQPVPWWg インターネットは偏った意見を強化するかもしれないが 新聞・テレビは偏った(誤った)意見を醸成する、印象付けて植え付ける。自分の好きな記事(意見)しか見ないから インターネットは問題、という人がいる それを言うなら新聞・テレビでも同じこと 関心なければ見出しだけで飛ばすしテレビはチャンネルを変えるし。 ネットは偏った意見を強化するのか? 平成鸚鵡籠中記の中に >客観性自体がそもそもあり得ないという極論は逃げ口上としては便利ですが、 のくだりがあるが テレビ・新聞、もしくは活字化されたものは客観的立場の権化と無意識に 信じていたかつての自分を振り返ると インターネットは客観性そのものに風穴をあける素敵なツール。 |
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07. 2010年5月16日 22:30:56: 2AwAYOjqjw 外出先でしか、テレビを眺めなくなって、ン10年たった者ですが、一言。阿修羅を読むと、テレビでの発言に対して、即座に反応しての貼り付けがあり、それへのコメントもあって、重宝している。以前は、総合雑誌なるものが一定の部数を誇っており、そこで、新聞記事への賛否が議論されていた。新聞紙上で他新聞の記事に論評する事はほぼ皆無で、新聞と総合雑誌が、よい意味での緊張関係を一応たもっていた。因みに、テレビは全国紙の支配下にあり、売らんかなの番組に対してのみ、眉をひそめてオシマイであった。いつの頃からか、総合雑誌が凋落し、新聞+テレビがわが世の春よとばかり、大手を振って闊歩している。何故か?新聞+テレビと緊張関係にある影響力のある媒体が消滅したからだろうとみている。 新聞+テレビが他グループの新聞+テレビの内容に対して、批判することはない。誰からの批判も受けない状態になっている。それは、正しい記事や報道だからではない。看視する力のある媒体の不存在がその理由と判断してよいだろう。寡占状態の組織体からの垂れ流し情報に対抗しうるのは、現状ではインターネットであると、有難く思っている。 |
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08. 2010年5月16日 23:46:34: lcLcRHD8Zc >>07、全く同意。その通り。 |
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09. 2010年5月17日 09:03:50: ygeAi6ZZvk 情報は一方的に受けるものではなく、自分で自由に探す時代。 なんで阿修羅にこのような投稿があるのかわからない。 |
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10. 2010年5月17日 14:20:27: 2XylE9CvMM
論理というものは完璧たり得ないもの。 だそうです。新聞やネットもまたしかりなのでしょう。 目的に応じて使い分けるツールとして利用すれば良いだけの事でしょう。 ツールを使いこなすには、個人の資質に関わってくる部分。 反映してしまう部分が多分にあるのでしょうが… 自分で自由に探してるようで、実は探させられてるなんて 事もあるかも。 ある一定範囲(思考含む)をループしてるだけと言う事もありうるかも。 勿論それは、ネットだけではありませんが、自分で能動的にアクセス していると言う思い込みが、事を見えなくする場合もあるかもです。 とはいえ、ネットは既存メディアに風穴を開ける素晴らしい道具なので 必要以上に変なマンセーをせず、使いこなせたらいいと思いますね。
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