07. 2010年4月14日 11:28:05: uQH0UYz7fY 阪大の西岡教授の弟子であられた 内田 勝 先生の講演要旨です。 若い 学問を志す人へ 参考になればとおもいます。 こういった風潮は 学位の否定など、対象を間違った学生運動などですたれていきました。http://www.mnet.ne.jp/~s-uchida/gallery2.html 研究のために 医用画像情報学会名誉会長・日本放射線技術学会名誉顧問 内田 勝 まえがき 最近,「研究の進め方と論文のまとめ方」と題して本学会九州支部総会において2年にわたり講演を行った.その記録を基に,これらをまとめてみてはとの小寺編集委員長・藤田画像分科会長の勧めがあり,わずかでもお役にたてばと筆を取った次第である.そこで上記内容に 2,3を加え,「研究のために」と改題して更新したものである. もともと研究というのは各個人のものであって,個人でそれぞれ行き方があり,一律にこうあるべきだなどということはできない.したがって,ここに述べることは研究を進めてきた筆者個人の考え方・方法である.筆者自身あまり学者としてオーソドックスな道を歩んではいない.どちらかといえば,放射線技師・X線技師として徒弟制度に苦労してきた人々と同じような道を歩いたと思っている. 筆者自身のことをいえば,研究については撮影に始まって今でも撮影のことを考えている.撮影条件から始まり,MTF・ウィーナースペクトル・エントロピー解析・冗長度・系列依存性・ファジィ推論と撮影系一筋に今まできている.これが筆者のこれまでの行き方である.これらについて,1)研究に取り組む姿勢・2)研究の進め方・3)論文のまとめ方・4)その他に分けて述べてみたい.講演時には筆者の過去の論文別刷りを何編かお渡しして例として説明できたが,本稿では無理なので文献を適宜参考にしていただきたい. 1.研究に取り組む姿勢 1-1 最優先
研究をすべてに最優先するということである.筆者が大阪大学から宮崎大学に赴任するときに,立入先生に教授としての心構えについて伺ったことがある.先生がそのとき即座に言われたことの一つに「研究のために家庭を犠牲にすることをためらってはならない」がある.非常に厳しい言葉ではあるが,研究に志す者の必須の条件であると思う.人間誰しも研究以外のマイナス環境を多く持っている.研究のためにはこれら研究以外のマイナスの環境を切り捨てて進む位の心構えが必要であると思う.研究成就のためには多少の犠牲は止むを得ないのではなかろうか. 1-2 常に頭に置く 常に研究のことを頭のどこかに置いておく.食事のとき・寝ているとき・トイレの中・パチンコ中・どこでも常に無意識的に頭の傍らで考えて置かねばならない.そうすることによって何かヒントがあったときにパッとこれが出てくる.全然頭に置いてないと,いいヒントがあってもそれに気が付かないことになる. 1-3 継続は力なり 研究は継続しなければ力にならないということである.年月の単位でなく一生継続するくらいの心構えが必要と思う. 1-4 好奇心 常に好奇心が旺盛であってほしい.英雄色を好むというが,英雄は非常に好奇心が強いということであろうと思う.筆者はもちろん英雄ではないが,若い頃から好奇心は旺盛である.面白そうなものには何でも飛びついて,成功談もあれば,失敗談もある.この歳になってもまだその癖は直らない.ウィンド−ズ95が出たときにはすぐに飛びつき,現在は全世界のホームページを毎日読んで楽しんでいる.また著作にもE-mailを活用して約20名以上の分担執筆者に瞬時にメールの送・受信を繰り返している. 2.研究の進め方 2-1 好きこそものの上手なれ
研究テーマを見つけることが始めである.実際に仕事をしている現役中がテーマ探しには一番強い.筆者が 2年間ほど大阪大学で技師学校を作る準備の間,「ハィ.息を止めて」と技師の仕事をしていたことがある.このとき撮影に関する研究テーマが次から次へと追いつかないほど出てきた.分からないことだらけで一番分からなかったのが名人芸と言われていた撮影条件の設定であった.何しろ門外不出とさえ思われるほど知ることが難しかった.これが筆者の初めて出会ったテーマであったわけである. テーマは自分の身の回りに沢山ある.それを見る目を持つことである.「好きこそものの上手なれ」という言葉がある.撮影・測定・核医学・機器・コンピュータなどなど自分のしている仕事の中で,自分の好きな分野の中でテーマを見つけることである.テーマは難しいことではなく,自分にとって分からないものを見つけること,そして徹底して分かるまで勉強することである. 2-2 解析手段 問題を解析する方法は代数・微積分・微分方程式などの従来の解析的な手法で解くのが最も楽である.しかし,大きないい仕事をしようと思えばこれだけでは十分でない.また,自分の身の回りの大抵の問題はどこかですでに済んでいることが多い.しかし,その方法は大抵従来の解析的な手法に因るものである. そこで新しい手法に飛び込んでみることを勧める.例えば,フーリエ変換・ウェーブレット変換・エントロピー・ファジィ・ニューロ・カオス・フラクタル・遺伝的アルゴリズムなどなどの手法がある.何でもいい,自分の興味を引き,手に合いそうなものに取りついてみることである.自分で手法を開発するのではなく,すでに開発された手法を勉強するのであるから,根気さえあればできる.いかに古いテーマであってもそれを解決する手法が新しければ即論文になる. 例えば,X線管焦点の諸問題にしても従来解析的に解かれていた疑問点が,フーリエ変換を用いて解けば新しい論文になるわけである.エントロピーなどでも,胸部撮影の写真からフィルムにどれだけの身体内部の情報が得られているか,その撮影技術の評価を求めることができる.他の部位についても同様である.X線撮影条件にしても,mA・secondはホトタイマで線形制御はできるが,管電圧については技師の自由意志に任されている.これは人間のあいまいさでどうにでも変わる.この電圧制御をファジィ推論で解いてみようという試みがある. このように,新しい手法を身につけて古い問題であってもこれを新しい手法で解く,こういう方法が一つの研究の進め方であろうと思う. 2-3 デカルトの科学方法論 研究の進め方には昔から一つの指導原理がある.それはデカルトの科学方法論で,数学の解き方をもって科学全般の解き方とした.次の四つの主導原理がある. 1) 明証性の規則:あやふやなものはテーマにとるな.はっきりしたものだけとれ. 2) 分析の規則:テーマが決まれば,細かくこれを分析する.物質が分子−原子−原子核−素粒子と細かく分析される例がよく用いられる. 3) 総合の規則:分析したその要素を総合しなさい.素粒子から逆に物質まで再構成しなさい. 4) 列挙の規則:この再構成した後で,自分の考えが間違っていないかどうかいろいろな例について確かめる. デカルトは明らかでないものは一切扱うな.確実なデータを集めて物事を分析しなさい.分析した後でその要素から全体を構成しなさい.構成した後,自分の考えが本当に間違っていないかどうか,いろいろな例について確かめてみなさい.これがこの科学方法論といわれる四つの主導原理の主旨である.この方法論があらゆる科学の基礎になって現代までこのように文化の発展をもたらした基本となっている. 2-4 指導者 自分の信ずる指導者のいる人は指導者の一言一句に柔順に従うこと,決して我意を通してはいけない.そして一人前になったら,今度は自分のカラーをどんどん出して仕事をする.これが一つの方法である. ところが指導者がいない人はどうすればよいか.筆者も自分の決まった指導者はいない.読者にはそのような人が多いかも知れない.そういう人はまず,何でもいいから「好きこそものの上手なれ」でテーマを掴んで研究を始めることである. よく依頼された原稿に早く取り掛かるいい方法として,「まず初めの一行を書け」というのがある.何でもいいから一行書く,テーマを書いてみなさい,これが誘い水になってあと楽に筆が進むこと請け合いである. この例のように,研究をまず関心あるテーマについて始めてみる.そうすると分からないところが必ず出てくる.分からないところが出るたびに,その分野について時間をかけて徹底的に勉強する.そこが分かったら先に進む.例えば,代数に分からないところが出れば,その部分を中心に徹底して代数をものにする.今度は微分が分からない.同様に克服する.このようにして積分・微分方程式と基礎を築いていく.時間はかかるが,このように続けることで広範囲な基礎を身につけることができる. 以上のように指導者がいなくても,自力本願で向上心と意志さえあれば基礎を築き,研究を伸ばすことが可能であると思う. 2-5 共同研究者 理論的な論文については,共同研究者がいないことが多い.実験を含む一般的な研究については,何名かの連名の共同研究が能率的である.そのとき共同研究者をどのようにするかということがある.ここでいう共同研究者とは,学位を受けるため,また,受けたため儀礼として書く人や研究費を受けた関係の人を含まない.共同研究者とは筆頭者の研究に実際に協力した人のことである.ただその場合,仕事の量だけでなく,仕事の質についても考えて判断するべきである.共同研究者はあくまでも筆頭者の判断で決めるものである. 実験上で工作準備等の補助的な手助けを受けることもあるが,そうした人を共同研究者にする必要はない.ただ論文の中で謝辞を述べることが礼儀ではないかと思われる.謝辞にはその論文に関係してお世話になった人々が多く名を連ねることはいうまでもない. 研究は優れた指導者の下で頭を練り腕を磨くということが大切であると思う.ところがそのような人とは別に,一匹狼的に単独で研究を進める人も多い.これはこれですばらしいことである.このような人は広く論文を読んで独断と偏見に陥らないようにすれば立派に大成できると思われる.ただ一般的な道筋としては,若いときは研究グループに属して鍛えられ,素直な気持ちで指導を受ける.長じては自分のカラーを鮮明にし,リーダーとなって進んで行くということが現実的ではないかと思う. 2-6 発表雑誌 立入先生の言葉に,「草野球でホームランを飛ばしても仕方ない.プロ野球でホームランを飛ばしなさい」というのがある.この意味はそれぞれ専門の最高の学会で論文を発表するということである.放射線技師はぜひ専門の放射線技術学会でホームランを飛ばして欲しい.ただし,学位を受けるなどの学問的な認知を受ける目的ならば,伝統と権威のあるその専門学会を選ばねばならない.そのため研究をして学問的な認知・評価を受けるか,技術的な認知・評価を受けるかの判断によって発表学会を選ぶべきである. 最近は前述の二つの認知・評価を兼ね備えようとする動きもあり,その現れとして「学術博士」がある.したがって,何事も継続して努力すればそれにふさわしい認知・評価を受けることができる. 3.論文のまとめ方 3-1 起承転結
起承転結とは,漢詩の句,とくに絶句の配列の名称である.広辞苑によれば,第一の起句で詩思を提起し,第二の承句で起句を承け展開し,第三の転句で詩意を一転して転換した末に,第四の結句で全詩意を総合する構成法とある.論文の書き方にも個人差がいろいろあるが,一般的にいってこの起承転結という言葉がよく使われる.これは漢詩を作る順序だが,文章を書くうえで当たらずとも遠からずのいい言葉である.これを学術論文に当てはめてみる. まず起こす,これは緒言,それからつぎに起こしたものを承ける.緒言でどういうことをするということを書いて,それを承けて実際の中身を展開して書く.計算を書くのもいいし,理論的なものを書くのもいい.そして流れを進めた後一転して他のことを書く.実験・実験結果・吟味などに進む.また,承が実験的なものならここには理論的な裏付けを書くなどして転換する.最後にこれらをまとめて結論に導く. 以上が起承転結に従った学術論文のまとめ方である.大体この方法はよく知られているが,ここに緒言に関して重要なことが一つある.それは「このテーマに関して,どこまでが,すでに研究され知られているか,どこがまだ明らかでないのか.自分はその中でどの部分を研究してどのような新しいことを見つけ出したのか」こういうことを必ず書かねばならない.これはどんな個人差があっても必ずこれだけは鮮明に書くことである. 口頭発表も同じである.今までこのテーマに関してはここまでされている,しかし,これから先はできていない.その中で自分はこの部分をやった,というように何が新しいかということを鮮明にいう必要がある.以上を緒言に書くためには相当量のこのテーマに関するペーパーを読まないとできない. 筆者は学会などからよくレフリーが回って来る.以上のように書かれた論文だと,緒言と結論を読んだだけでその論文のウエイトが大体決まってしまう.以上に従ってない論文だとそのオリジナリティが分からず,没ということになる.そういう意味からもこの緒言の内容は十分心して書くよう気をつけていただきたい. 3-2 骨と皮だけ 筆者が応用物理に初めて投稿した「X線管焦点のX線強度分布のフーリエ解析」という論文がある.これがレフリーから跳ね返って来た論文は,無残としかいいようのないほど,真っ赤になって訂正されていた.その頃,旧仮名使いで書いていたので,全部新仮名使いに訂正,X線管焦点については割合知っているので,あれも知っている,これも知ってると言わんばかりに書いている.これは全部贅肉,全部削除された.骨と皮だけにしてX線管焦点の空間周波数特性だけしか書かない.よく知っていることは,かえってマイナスになる.このように贅肉を取ることは非常に難しい.断層撮影系のボケのフーリエ解析も同様な経過であった. ところが,電離槽線量計のボケのフーリエ解析のときは非常に楽であった.電離槽線量計については知識に乏しい.したがって,電離槽線量計の測定ボケについて実験・計測・計算したことしか書けない.一発でパスした論文である.英文であったことが重なった効果をもたらしたのかも知れない.知らないから贅肉の付けようがない.TLDのエントロピー解析なども同様にいい結果であった. 学術論文というのは多くのことを書き過ぎると要旨がぼやけてしまう.余分なことを一切書かないことによって要旨がはっきりしてくる.要するに論文を書くときは骨と皮だけにするよう心掛けることである. 3-3 精読 自分の関心ある領域の論文を徹底して読むこと.筆者の若い頃,島津製作所の中堀先生のコンデンサ式X線装置の波長に関する論文の別刷りを,いつも持ち歩いて紙がぼろぼろになるほど読んだ.中堀先生のところに行ったときにそれを見せ,もう一部欲しいといったところ先生が大変感激された思い出がある.それくらい徹底して一つの論文を読みこなしたとき,内容・文章・言葉の使い方・学術用語・体裁・その他限りないことが身につく.論文を精読することが論文を書く何よりの勉強になると思う.自分の関心ある領域で代表的と思われる論文が必ずいくつかある.一つでもいいから時間をかけて急がずじっくりと読みこなすことを勧める.それから得られるものが,いかに大きいか間もなく気付かれるであろう. 4.その他 4-1 口頭発表
最近,原稿を読む口頭発表が大変目につくようになった.原稿を読んでいる発表は,聞いている者には非常に分かりにくい.この方式は,もともと指導者が弟子に発表させるとき,論旨を間違えないように,また中身を抜かさないように,制限時間内に済ませるようにとの親心から出てきたものであろう.研究発表の場は弟子の教育の意味から練習という考えも分からないではないが,主体は聴衆である.主客転倒しては困るのである.まず,聴衆によく分かってもらうことが先決である.そして,聴衆からの反応によって演者が勉強する場である.聴衆が分かりにくくては意味がないのである.練習は本番前に十分行うべきである. 読む口頭発表が何故分かりにくいかというと,発表の形態が目から口に直通していることである.頭の中を通っていないからである.同じ読む方式でも目から頭へ,頭から口へと考えながらのゆっくりしたテンポなら分かり易い.よくテレビなどで朗読というのがあるがこれである.弟子達は読むのに必死で考えることは済んでると言わんばかりである. ベテランはスライドあるいはOHPなどによって,考えながら要点だけのメモを参考にしながら口頭発表する.したがって聞いている者も演者とほぼ同じテンポで考えについて行くことができる.ぜひ,このように口頭発表の形式をしていただきたいものである. ついでに述べると,スライドの中の字数のことである.その会場の大きさに従って決めねばならない.一番後ろの席からでも確認できるようなものである必要がある.1 枚のスライドでせいぜい 7行から10行といわれている.広い会場ではそれ以上になると識別困難である.図表などで止むを得ずもっと細かい字の羅列が必要なことがある.そのようなときには,支持棒で示しながら口頭で読み上げるなどの親切心が必要となる.要は聞いてもらう人々に,いかにすれば分かり易いかの心配りが大事である. 4-2 出会い 本年 4月横浜における本学会で,「サイエンス講座」という企画があり,筆者もその一人に選ばれ「出会いと私の研究」という題で講演を行った.しかしその明細は記録になっていない.さらに本誌上講座に略歴を付記するようにとの要請があるので,「出会いと私の研究」そのものが略歴と考えられ,研究に関してのみ出会いを記して略歴に代えようと思う. 筆者は福岡県大牟田市,1921年の産である.父と母との出会いによって他の人々と同様に筆者の生涯は始まった.早く父に別かれ母子家庭で育った.筆者が29歳,研究らしいことを始めるまでは自分史に譲るとしよう.いろんな人との出会いによって百姓・闇屋・女学校・中学校・高等学校・水産講習所などの教師を経て,大阪大学医学部付属病院文部技官(放射線科勤務)が研究に取り付く初めての職場であった.1950年である. そこでは,慈父のような西岡教授との出会いがあり,同僚宮永講師との出会いがあった.西岡教授の愛情に育まれ,宮永講師との好ライバル意識は弥が上にも研究に駆り立てられた.昭和25年から27年にかけて技師学校の創立の準備にかかった.当初の計画は短大として文部省に申請が行われたが,意図に反し各種学校として昭和27年に認可された. その頃である.畏友山田正光君に出会ったのは.情報理論の言葉を初めて知った.昭和30年の頃である.C. E. Shannonが発表して約 7年後である.それから情報理論との格闘が日夜続いた.しかし,筆者の鈍な研究歴では到底歯が立たない.いまだにその一部が理解できたにとどまっている. 5,6年間位だったろうか,母の死・情報理論理解の行き詰まり・技師学校の不透明な将来は筆者を自棄に近い状態に追い込んだ.それを救ってくれたのは「アサヒカメラ」のレスポンス関数という記事との出会いであった.その頃大阪工業技術試験所におられた村田和美部長の指導を得,立入教授の支援を得て,昭和39年放射線イメージ・インフォーメーション研究会(RII)を創設した.それから研究生活は軌道に乗った感がある.事志に反し,情報理論ならぬレスポンス関数に代表される空間周波数特性にのめり込んだ. 熊谷教授(後に愛媛大学学長)・鈴木教授との出会いは昭和43年工学博士学位受領の栄を得た.職場も技師学校は短大に昇格,あれほど悩んだ技師学校も17年で卒業できた.大阪大学助教授(医学部),同医療技術短期大学部助教授,昭和44年には宮崎大学教授(工学部),昭和50年には岐阜大学教授(工学部)と昭和60年定年に至るまで順調な研究生活が続いた. その間,当時速水講師の示唆によりMTFを放射線測定系に導入したり,反転現像を稲津技師長と開発したりした.外にも,田中・小島・藤田・小寺・佐井・桂川・山下・大塚・畑川・・・各氏との出会いが100編以上の研究論文を生んでいる. 特筆すべきは,岐阜大学の生協図書で見つけた翻訳書「心理学と情報理論」による啓示である.本をパラパラと拾い読みしたときの瞬間をいまだに忘れることはできない.正に神の啓示であると思った.目から鱗が落ちるとはこのようなことを言うのであろう.若い頃から,この厖大な情報理論の中のどの部分を放射線撮影系のどの部分に適用すればいいのか,まったく五里霧中であった.それがこの書をきっかけとして霧が晴れて行く思いであった.その後,冗長度・系列依存性へと発展させて撮影系に導入し,30編以上の論文に育ててくれた人々は多い.稲津・藤田・佐井・小寺・大塚……各氏その他の人々である.これらの人々との出会いがなければ,到底この業績は得られなかったであろう. 国立大学の研究・教育は定年63歳,昭和60年に退官した.その後,常葉学園大学教授(教育学部)として常葉学園浜松大学を新設するべく準備にはいる.昭和63年から常葉学園浜松大学経営情報学部長として大学の運営にも関与することになった.理系の筆者が文系の中で途方に暮れたことはいうまでもない.しかも研究・教育の現役でなく,管理・運営面が主体であってみれば苦悩に充ちた日々であった. その頃ファジィという言葉が門外漢のわれわれの耳にもはいって来た.何げなく取り上げた解説書からファジィのルーツはパスカルであることを知った.短大時代に同僚であった東大仏文出身のパスカリアンと,京大法科出身のカルテジアンのパスカル・デカルト談義をタイムスリップしたように思い出した.それ以来,このファジィを撮影系に導入する試みの傍ら,デカルトの近代合理主義とパスカルの近代非合理主義による諸現象の比較解析について勉強を続けている. 浜松大学を定年70歳で平成 4年(1992年)退職,その後,乞われて静岡理工科大学総合技術研究所客員教授として在籍し,1996年に退職する.現在は宮崎県綾町で静かに著作に専念している. 以上のように,人・物との出会いによって研究の糸口・ヒント・方法・きっかけなどが得られ,協力して論文になったものが多い.名前はそれぞれ一人を挙げているが,「袖触れ合うも他生の縁」を含めるとそれこそ厖大な数に上る.人生に孤独なドラマがないのと同様,研究にも無限に近い背景があり,出会いが存在する.このように多くの人々との出会い,物との出会いによって,筆者の研究は現在にまで引き続いて行われた.これからもさらに新しい出会いを求め大切にすることによって,研究を究極にまで昇華したいと念願している. あとがき いままでに書きもらしたことを2,3補って「あとがき」に代えたい. 学生の頃,外地旅順で約 6年間青春を過ごしているので外地コンプレックスはない.49歳のとき,アメリカ・スウェーデン・ドイツにそれぞれ 1 カ月,計 3カ月文部省在外研究員として勉強できたことは,その後の研究にとって素晴らしい引き金となった.シカゴ大学から客員教授として招聘され,ロスマン教授の下で種々ディスカッションに加わった.現在の土井教授がまだ助教授の頃で,ロスマン教授との橋渡しをしていただき楽しかった思い出がある.スウェーデンではルント大学のカールソン教授の下で本当に静かな研究生活 1カ月を持った.筆者のMTFに関する知識が研究室で重宝がられた.ドイツではミュンヘン大学ショーバー教授の下で波乱の 1カ月であった.MTF関係の研究者が多く,ディスカッションに事欠かなかったが,二つの事件に巻き込まれた. 帰国間近い頃,夕食後の散歩中,スイスから来たという看護婦 2名に道を聞かれ,タクシーで誘導中,とあるカフェーで休む.そこのジュース代として約10万円請求され,腕っ節の強そうな兄さんに凄まれては如何ともし難く,ホテルまでついて来られて支払ったという情けない次第である.すぐショーバー教授に報告,親切な先生夫妻は車で夜を徹してその店を探してくれたが,とうとう分からずご迷惑をお掛けした.
それから2,3日後ライン下りの切符を求めて駅からの帰途,瞬時に意識を失った.気が付いたのは一昼夜明けてであったが,そこはミュンヘン大学病院の病室であった.トラックにはねられたとのことであった.頭蓋底骨折の疑いで絶対安静,約半月入院,まだ退院できないというドクターの指示に拘わらず,帰心矢の如しで借金してファーストクラスで帰国した.お陰で世界で最高といわれたミュンヘン大学病院に患者として入院し,つぶさに設備・システム・人間関係などを身をもって体験し得たことは望外の収穫であった.しかし,この帰国間際のトラブルはいろんな方々にご迷惑をお掛けし申し訳ないと思っている. 本学会に外地研修の制度がある.ぜひ多くの人々に参加していただきたい.とくにその期間研究成果が上がらなくていい.外地を見ることで,例えばナイアガラ瀑布を見るだけでもいい,四畳半的な自分の頭の中がすっかり払拭されるのを感じられるだろう.ぜひお勧めする. つぎは宗教についてである.筆者は若い頃から研究に宗教は無縁のものであると思っていた.ところが,デカルトの方法序説・パスカルのパンセを何度も何度も読むうちに,それに加齢が重なったのかも知れないが,彼らの神々に対する考え方に非常に興味を覚えるようになった. 「デカルトの神はデカルトの自主的決断から展開されたものであり,パスカルの神はパスカルに迫って決断をなさしめた」といわれる.パスカルは神に選ばれ,デカルトは神を求めたと考えるようになった.「われ思う故に,われあり」の不動岩のようなデカルトに対し,「揺れ動く弱々しい 1本の葦」というパスカルに人間は限りなく迷いを繰り返しているように思う. 高年になるにつれ,母の神仏に向かって手を合わせていた後ろ姿が,自分のいまだに研究できる幸せに重なりあって,感謝の日々を送っている現在である. いずれにしても,及ぶべくもないわれわれは,天才的パスカルや秀才的デカルトの模倣はできそうにないが,せめてその生きて来た道を学び,一歩でも彼等の理想に近づくよう努力したいものである. 続いて”出会いと私の研究”。これは1997年日本放射線技術学会総会で初めての試みである”サイエンス講座”で指名され講演した時の梗概です。 出会いと私の研究 内田 勝
与えられた演題は”情報理論を放射線領域に導入した切っ掛け”である。考えて見ると、情報理論そのものが人との出会いから知り、勉強をはじめたものである。人生は人との出会いから生まれ、人との出会いによってきまるといって差し支えない。そこで題名を包括的に”出会いと私の研究”とした。私の仕事は情報理論の導入が中心であるが、それらの周辺も含めて、人との出会いがいかに研究に重大な意味を持つかを述べたいと思う。 研究というのは皆各個人のものである。したがって、個人でそれぞれ違う行き方があり、一律にいうことはできない。そこでここでは、私個人の研究についての考え方・方法について述べてみたい。 まず”研究に取り組む姿勢”である。 1)研究を総てに最優先する。 2)常に研究のことを頭のどこかに置いておく。 3)継続は力なり。 4)常に好奇心旺盛なること。 次に”研究の進め方”である。 1)好きこそものの上手なれ。 2)問題解決の手段を新しく身につける。 3)デカルトの科学方法論・四つの指導原理を学ぶ。即ち、明証性の規則・分析の規則・ 総合(構成)の規則・列挙(反省)の規則。 4)指導者。 5)共同研究者。 6)発表雑誌。 以上のことについて心掛け努力したことを述べる。 これらの研究がいかなる出会いによって生まれたか箇条書きで概略を示す。敬称略。 1)放射線領域にはいる:故西岡時雄教授。 2)放射線撮影条件:技師学校を作る準備の間、阪大病院放射線科技師室で約2年間に亙り在籍、勉強する。 3)情報理論:畏友、故山田正光からはじめて聞く。 4)フーリエ解析:アサヒカメラ(レスポンス関数)、村田和美教授に学ぶ。 5)放射線測定系への導入:速水昭宗の示唆による。 6)工学博士 学位論文:故熊谷三郎学長・故鈴木達朗教授のお陰である。 7)反転現像:稲津 博の発見による。 8)エントロピー解析:翻訳書”心理学と情報理論”により啓発される。 9)ホログラフィ:小島克之の協力による。 10)相反則不軌:藤田広志の協力による。 11)ランダムドットモデル:田中嘉津夫の仕事。 12)冗長度:稲津 博の協力による。 13)系列依存性:佐井篤儀の協力による。 14)基礎露光法:現像カブリから着想。 15)コルトマンの補正:小島克之の労作による。 16)ファジィ:デカルトとパスカル、パスカリアン渡辺香根夫教授の影響による。 以上のように、人・物との出会いによって研究の糸口・ヒント・方法・切っ掛けなどが得られ、協力して論文になったものが多い。名前はそれぞれ一人が記載されているが、”袖触れ合うも他生の縁”を含めるとそれこそ膨大な数に上る。人生に孤独なドラマがないのと同様、研究にも無限に近い背景があり出会いが存在する。 このように、多くの人々との出会い、物との出会いによって、私の研究は現在にまで引き続いて行われた。これからも更に新しい出会いを求め、大切にする事によって研究を究極にまで昇華したいと念願している。 (医用画像情報学会名誉会長)
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