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オープン化した首相会見で、あえて「質問」しなかった筆者の思い【上杉隆氏:マスゴミによる否定的報道は折込済み】 http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/510.html
http://diamond.jp/articles/-/7758 オープン化した首相会見で、あえて「質問」しなかった筆者の思い 3月26日、鳩山首相の記者会見がオープン化された。政権発足から約200日、ずいぶんと時間はかかったものの、これで総選挙前の「公約」の一部を果たしたことになる。 その日の会見では、これまで記者クラブの壁によって参加を認められなかった、フリーランス、ネット、海外メディア、雑誌の記者の一部が参加し、質問をすることも可能だった。「オブザーバー」としての参加までしか認められなかった過去のクラブ主催の会見と比較しても、これは日本の憲政史上特筆すべき画期的な出来事である。 ところが、案の定といっていいだろう、記者クラブメディアからの反応は極めて芳しくない。批判的であるならばまだしも、中には一文字も報じずに「黙殺」を決め込んでいる読売新聞のようなメディアもある。 そもそも記者会見のオープン化は、国民の知る権利や情報公開の見地から言っても、ジャーナリズム自身が追求すべきことである。それは先進国であろうが、独裁国家であろうが世界中で不断に行われているメディアの当然の仕事のひとつだ。 ところが日本の記者クラブメディアだけは逆なのだ。戦後65年一貫して自らの既得権益を守ることに汲々とし、同業者を排除し、世界中から批判を浴び続けているにもかかわらず、自らの都合のみでその不健全なシステムを維持してきた。 それはまさしく、「カルテル」(孫正義ソフトバンク社長)であり、「人権侵害」(日本弁護士連合会)であり、官僚と結託して国民を洗脳し続けていた「日本の恥」(米紙特派員)なのだ。 そうした背景から、会見当日、フリーランスのジャーナリストとして初めて発言の機会を得た筆者は次のように「質問」したのだ。 〈先ほど朝日の記者が、総理はもう少し記者会見を開けということだったんですが、全く同感ですが、ただ、回数ではなく参加した記者、いわゆる国民にもう少し開いた形でやっていただきたいと思います。まずお願いです。 今日は、そうはいっても記念すべき日になりました。先ほど総理も言及されたので、あえて記者クラブ、そしてこのクラブの会見の主催権、官房機密費の問題、あるいは官房長官の問題については、とやかく申し上げません。 ただ、随分と経ちましたが、総理が日本の民主主義にとって貴重な一歩となる公約をお守りいただいたことに、まずは敬意を表します。 そして、戦後65年、これまで国民の知る権利、情報公開の立場、会見のオープン化に向けて努力をしてきたすべての人々、それから世界中のジャーナリストに代わって御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。質問はありません。以上です〉(首相官邸HPより) この「質問」に対しての記者クラブメディアからの反応は予想通りであった。翌日の朝刊は、筆者に対して批判的な論調で占められた。 〈会見の開放を求めていたフリー記者の上杉隆氏は「世界中のジャーナリストに代わってお礼申し上げたい」と首相に感謝したが、「質問はありません」と質問しなかった〉(毎日新聞) 〈フリーの記者からは会見オープン化を一層進めるよう求める質問が相次いだ。「世界中のジャーナリストに代わってお礼申し上げたい」と意見だけ述べ、質問しなかった記者もいた〉(朝日新聞) 〈首相の弟、鳩山邦夫元総務相の秘書だったフリー記者は、首相会見のオープン化について「世界中のジャーナリストに代わってお礼を申し上げる。質問はありません」と賛辞を贈った〉(東京新聞 3月27日朝刊) 〈質疑自体は必ずしもかみ合わなかった。出席したフリーランス記者の上杉隆氏は「世界中のジャーナリストに代わって御礼申し上げたい。質問はありませ ん」と“珍質問”〉(産経新聞) (注・読売新聞はニュース自体を扱わず「黙殺」している) 確かに、筆者は「質問」をしなかった。最初に記したように、それは本来ジャーナリズムがすべきことを、内閣総理大臣という権力側の人間に代行してもらっているという点で、何より「御礼」を述べたかったからだ。
世界中で、ジャーナリズムが公権力に情報公開を進めるよう圧力を掛けつづけている。ところが日本だけは、公権力側がオープンにしましょうと言っているのに、メディア側がそれを妨げているというまったく異常な状態に置かれ続けている。見事に本末転倒している。 告白しよう。その本末転倒を知らしめるために、筆者は首相会見の「質問」を確かに利用した。もちろんそれは戦略的に行なったものであり、記者クラブ側の反応も予め想定していたものであった。 まず「質問」をしないことで、NHKの生中継を観ている国民に、この世の中には「記者クラブ」という問題が存在させることを狙ったのだ。 多くの日本国民は、所詮「記者クラブ」はメディア自身の小さな問題でたいした事柄ではないと「洗脳」されている。 だが、記者クラブ問題は「メディア」の問題ではなく、霞が関および日本の統治機構全体の問題であることは、本コラムの読者であるならば説明は不要であろう。 日本のメディアではタブーとなっている「記者クラブ」という文言を、あえて「質問」しないことで浮き上がらせたかったのだ。 さらに、筆者は、鳩山首相に「讃辞」のみを贈ることで、会見のオープン化という仕事をサボっている記者クラブの記者たちへの「皮肉」とした。 また、一時間という制限された時間内に、できるだけ多くのフリーランス記者の質問機会を確保するため、最初にまとめて「御礼」を述べ、回答を求めないことで時間の短縮を図ったのだ。 これは後付けの言い訳ではない。その証左として、筆者の戦略と思考は、明日(4月1日)発売の拙著「記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争」(小学館)に記している。ちなみに脱稿は首相会見の3週間前、3月初旬のことだった。 政権交代から200日。本来ジャーナリズムが果たすべき役割を代行してくれた鳩山首相に、改めて御礼を述べたい。
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