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読売 編集手帳を斬る2010/3/28 http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/505.html
小関博公式ブログ 落語『大工調べ』のタンカ<弱え俺たちにゃ、強え俺たちのお奉行さまてえ見方がついてら。お白州ィ出て、砂利を握って泣きっ面するねえ!>を引用して、正邪を見分ける「強え味方」がいるはずの法廷で、身に覚えのない罪に問われ、無期懲役の刑に服した人には、毎日が砂利を握って泣く心境だったろうなどと、足利事件を扱っている。この引用は変だし、陳腐な表現は駄文である。 しかし駄文はともかく、今朝のコラムには本質的に看過できない点が二つ含まれている。 まず、この冤罪誤判の事件を、単なる制度に難点のあったDNA鑑定を過信したこと、というように問題を故意に矮小化させていることである。しかも、それについて報道機関も「よもやの声」を上げられなかったのは報道機関も同じだなどと、見かけだけ総括して見せるなどこの新聞社は本当に狡猾だといわざるを得ないのだ。 この冤罪事件の本質は、DNA鑑定の過信ではないのである。当時からこのDNA鑑定には疑問の声が寄せられておりきちんとした取り調べを行い、本来のきちんとした裁判であったならこうした誤裁判は防げたはずなのである。 それはさておき、ここで次に問題としたいのは、「正邪を見分ける強い味方がいるはずの法廷で」などと、どうもこの新聞社はお上意識が染みついてしまっているのか、それともわざとお上意識を国民の間に植え付けようとしているのか、『お白州』の例えを使うなどまことに気味の悪い引用を行っていることである。 はたして裁判所とはそうした『正邪を見分ける強い味方』であるべきなのか。一見正論のように見れるが、そこには司法官僚の無謬性の主張があるのであり、裁判所は「お上」であり、民を支配するものだとの強い前提が忍ばせているのである。 『お上』などというものは今日存在しないのだ。どうやら読売新聞にはそこが理解できていないようだ。また、どうしてこのような冤罪事件が続いてしまうのかいう視点が全く欠落しているのも全く理解に苦しむ内容であり、このコラムには知性の片鱗さえ感じさせるものがない。 3月27日付 編集手帳 薄情な大家(おおや)から理不尽な仕打ちを受けた大工政五郎が、炎を吐くようにタンカを切る。〈弱(よえ)え俺たちにゃ、強(つえ)えお奉行さまてえ味方がついてら。お白洲(しらす)ィ出て、砂利を握って泣きッ面をするねえ!〉。落語『大工調べ』である◆正邪を見分ける「強え味方」がいるはずの法廷で、身に覚えのない罪に問われ、無期懲役の刑に服した人には、毎日が砂利を握って泣く心境であったろう◆4歳の女児が殺害された「足利事件」の再審で、宇都宮地裁はきのう、菅家利和さん(63)に無罪を言い渡した。裁判長が謝罪し、裁判官3人が起立して菅家さんに深々と頭を下げたという◆当時、導入されたばかりで精度に難点のあったDNA鑑定を過信し、その鑑定結果をもとに引き出された自白を過信し、“よもや…”の声を上げられなかったのは検察官や裁判官だけではない。報道機関も同じである◆男盛りの17年半を拘置所と刑務所で過ごした菅家さんに、失われた歳月を返して差し上げることはできない。無実の罪に砂利をつかんで泣く人が二度と現れない世をつくること ――それだけがせめてもの償いであると、胸に刻む。
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