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ついに歴代首相・外相を国会召致か? 「核密約」を闇に葬った政・官・メディアの重い責任【上杉隆氏】 http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/461.html
http://diamond.jp/series/uesugi/10117/ ようやく「密約」の存在が認められた。3月9日、日米密約問題に関する報告書の発表会見で、岡田克也外務大臣は政府として初めてその存在を認めた。 これまで日本政府と歴代の外務大臣は「密約」の存在そのものを否定し続けてきた。だが会見当日、岡田大臣は存在を認めた上で、こう語り過去の政権を批判した。 「これほど長期間にわたって、冷戦後も国会や国民に、密約の存在が明らかにされなかったことは極めて遺憾だといわざるを得ない」 岡田外務大臣の言葉は、行動を伴った至極まっとうなものだ。政権交代があったとはいえ、就任直後、真相追求のために外務省内に調査チームを立ち上げ、さらに有識者委員会を設置した岡田大臣の実行力に敬意を払いたい。その結果が、「密約」の真相の一部を炙り出すことにつながったのだ。40年間、自民党政権の誰ひとりできなかったことに着手し、結論させたことは是々非々で評価すべきだろう。 それにしても「密約」を不存在とし続けた過去の自民党政権はいったいどう言い訳をするのだろうか。海部首相までの歴代首相には密約の存在について外務省から報告がなされていたのだ。とりわけ、佐藤栄作首相は密約の一部となる文書を自宅に持ち帰ってさえいる。時代は違うものの、国家・国民共有の財産を持ち帰り、その後子孫が長年隠し持っていたという行為は決して褒められるべきものではない。 誤解なきように最初に表明すれば、筆者は、国家として外交上の機密を存在させることを否定する立場には立たない。よって「密約」の存在自体も即「悪」だという認識も持っていない。 問題視しているのは、一方の当事者である米国が「密約」の存在を認めたにもかかわらず、その事実を隠蔽し続けた近年の日本政府の不誠実な対応にある。 きょう(3月10日)発売の「文藝春秋」で作家の塩野七生氏は次のように書いている。 〈私には、この当事者たちの生き残りを呼び出して詰問することからして、礼儀を欠く行為に思える。法的には正しくてもそれだけで突き進むのは、人間世界を知らないか、感受性に欠けているか、のどちらかだろう。いや、この両方かもしれない。ゆえに無駄で終わるだけでなく醜悪でさえある。 この時代の日本の指導者たちは、他策なかりしと信じたからウソをついたのではない。国民どころか自分が先に天国に行きたいという卑しい自己保全か、単なる無知か怠惰で、知らんぷりをきめこんできたにすぎないのである〉(文藝春秋4月号「日本人へ」)。 一方で「密約」を隠し続け、最終的に2001年、不都合だと思われる外交文書の大量廃棄を行なった外務官僚の罪は重い。「国民共有の知的資源」(有識者報告書)である外交文書を廃棄したことは、歴史の破壊ともいうべき抱唾棄すべき行為だ。それは犯罪的ですらある。当該、外務官僚はいったいどう責任を取るつもりなのか。 鈴木宗男外務委員長は、昨年の特別国会で次のような質問主意書を提出している。 〈六 藤崎一郎駐米大使が、一九九九年、外務省北米局長の任にあった際、「核密約」に関する文書を廃棄したという事実はあるか。藤崎大使本人に確認をした上で、同時に、当該確認作業を行った人物の官職氏名、行った日にち、場所、方法を明らかにし、確認の内容を文書に記録した上で答弁することを求める〉(平成二十一年九月十六日提出 質問第二号「一九六〇年の日米安全保障条約改定に際したいわゆる「核持ち込み密約」についての政府の認識等に関する質問主意書」提出鈴木宗男) 当時、鳩山内閣は調査中ということで回答を留保している。まさしく調査が終わった今こそ、文書廃棄の真相を明らかにするチャンスが到来したといえる。鳩山政権は行動に移すべきだ。 また、有識者報告書はこうも記している。 〈行政官庁における公私文書の大量廃棄という事態を招いたことは容易に推測できる〉(報告書98ページ) こう記しながらも、有識者委員会座長の北岡伸一東大教授は「組織的隠蔽破壊工作があったのならば、もっと大々的にやっている」と半ば否定気味だ。だが、不都合な文書の恣意的な廃棄は本当になかったのだろうか。 「結論としてはよくわからないのでこの問題に関しては調査が必要なのではないか」 北岡氏もこう指摘するように、この件については更なる調査が不可欠だ。岡田大臣は会見で「事実が明確にであれば」と前置きした上で、外務官僚による恣意的な密約関連文書の廃棄についても、調査を行う用意のあることを示唆した。 密約を暴き新聞界から抹殺された そして何より、政治と役所の両者の欺瞞と不正を、事実上黙認してきたのが外務省記者クラブである。 長年にわたって政府・外務省の隠蔽工作を見過ごしてきたことは、共犯関係にあったといわざるを得ない。具体的には39年前、その事実を暴いた一人の記者を守るどころか、逆にジャーナリズム界から追放した過ちをまずは認めるべきだ。その記者、西山太吉氏は毎日新聞の臺宏士記者のインタビューに対してこう語っている。 〈西山氏 自民党政権が一貫して「一切密約はない」としてきた説明を否定したわけで、画期的な結論だ。00年、密約の存在を認める米公文書が開示されたことに始まり、昨年の日米における新政権誕生、仇敵(きゅうてき)のはずの吉野文六・元外務省アメリカ局長(91)が肩代わりを認める証言を始めるなど、認めざるを得ない状況に追い込まれたにしても、まさに奇跡に近い要素が凝縮した結果だ。政府のウソが不問に付され、西山だけが罪に問われるのは不公正だと、「天」が真相究明の機会を与えてくれたのだと思う〉 報告書では、西山氏の記事には触れているものの、氏の指摘した「密約」を具体的に追認する証拠はなかったとしている。だが、沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」そのものの存在については認めている。 これで、39年前の西山記者の記事の正しさがほぼ証明されたといっていいだろう。西山氏の名誉回復は当然にあってしかるべきだ。 結局、「密約」の存在は、その後の後輩のジャーナリストの怠慢によって再び歴史の闇に葬られたのだ。それを白日の下に暴き出したのは、残念ながらジャーナリストではなく政治家であった。その岡田大臣は当日の会見でこうも語っている。 「事実を明らかにしようとすることは民主主義にとって最も大切なことだ。後世の批判に耐えるためにも一連の調査を行なってよかったと思う」 本来、ジャーナリズムが機能していれば、とうの昔に判明していたはずの事実を、政治家に代行してもらう恥ずかしさを、筆者も含めて、すべての記者たちがかみ締めるべきではないか。とくに真相究明を行うどころか、逆に外務官僚の手先となって、結果として「国民共有の知的財産」を廃棄することを許した責任のいったんは間違いなく記者クラブにある。 そうであるにもかかわらず、きょうの産経新聞には相変わらずの記事が踊った。 〈 【密約】非核三原則は見直さず 何のための調査だったのか 責められるべきは断じて岡田大臣ではない。もっとも非難されるべきは、真相究明を怠ったジャーナリズム、とりわけ過去の外務省記者クラブに在籍したすべての記者たちにある。 結果として、ジャーナリズムが機能しなかったこの間、多くの文書が闇に葬られた。50年先、100年先の日本人はこの間の貴重な歴史を永久に失ったことになる。 塩野氏の言葉を再び紹介しよう。 〈われわれ国民のほうも、無罪ではない。その後の三十年間、マスメディアも国民も、臭いものにはフタで来たのだし、冷酷な国際情勢にも眼をつぶって、無知で怠惰で安楽に過ごしてきたのである。 今「密約」問題を取りあげてトクすることがあるとすれば、政府も野党もマスメディアも国民も、全員が現実を直視する必要に目覚めることだろう〉(同前文藝春秋) この問題は、密約を隠蔽し続けた過去の政府と歴代の外務大臣の不誠実な対応、それに長年共犯関係にあった記者クラブメディアの存在こそ問題なのだ。 そして外交文書の廃棄。それは繰り返すが犯罪的である。日本の歴史の破壊者は、それが誰であろうと晒されるべきである。 国民の代表で構成される国会は、密約廃棄にかかわった過去の外務官僚を招致して証言を得るべきではないか。証人喚問でも参考人招致でも構わない。 衆議院外務委員会は、この密約問題に関して、19日に西山太吉氏を参考人として招致することを決めた。 また、本日(10日)夕刻、与党3党の国対委員長会談において、歴代の首相と外務大臣の国会召致の合意がなされた。ただ、与党である国民新党の亀井静香代表は、この国対の決定に否定的な意向を示した。なぜなら、これが小沢幹事長と鳩山首相の国会召致の呼び水となってしまうからだ。 予算審議中の国会だが、いきなり最大の争点が変更されてしまったようだ。
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