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NHKスペシャル「無縁死3万人」に大反響 「他人事とは思えない」コメント殺到(J-CAST)
http://www.asyura2.com/09/hihyo10/msg/373.html
投稿者 JAXVN 日時 2010 年 2 月 07 日 13:21:56: fSuEJ1ZfVg3Og
 

「NHK「無縁死3万人」に大反響 「他人事とは思えない」コメント殺到

2010年2月2日(火)19時9分配信 J-CASTニュース

誰にも知られずに死に、遺体の引き取り手もない「無縁死」が増えているようだ。NHKがこうした「無縁死」の特集を放送すると、「とても他人事とは思えなかった」「精神的に辛くなったわ」といったコメントが巨大掲示板「2ちゃんねる」に殺到したほか、個人のブログにも取り上げられた。

反響を呼んでいるのは2010年1月31日放送のNHKスペシャル「無縁社会〜『無縁死』3万2千人の衝撃〜」。「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」といった国の統計では出てこない「新たな死」が急増し、NHKの調べによると年間3万2000人にのぼる。このうち1000人が身元不明のままだ。

・「行旅死亡人」として処理される

身元不明の死者は「行旅死亡人」として処理され、遺族を捜すために性別、身長や外見の特徴、所持品、発見された日時と場所、「餓死」「凍死」など死因を国が発行する「官報」に掲載する。遺体は火葬されて一定期間、行政が遺骨を保管するが、引き取り手が現れない場合には無縁墓地に埋葬される。

番組では「行旅死亡人」として09年3月の官報に載っていた60〜80歳代とみられる男性の人生の軌跡をたどる。男性は都内のアパートの部屋でテレビを観ていた時に亡くなったようで、コタツに入り、座ったままの姿勢だった。発見された時には死後1週間以上が経過していて、アパートの大家によると腐敗臭がひどく、テレビと電気は付けっぱなしだった。

大家が保管していた契約書から氏名と仕事場が判明する。男性は給食センターで正社員として定年まで働き、20年間、無遅刻無欠勤だった。退職後は同僚との人付き合いも希薄になっていたそうだ。取材クルーは履歴書に書いてあった出身地の秋田に向かうが、男性の両親は既に亡くなり、家は都市開発で残っていない。親族の墓地が見つかったが、遺骨は無縁墓地に埋葬された後だった。同級生とも疎遠になり、同期会名簿では「消息不明者」の欄に名前が記されていた。

・「画面を見ていて背筋が寒くなった」

番組を観て「将来、自分の身に起こるかも知れないこと」と感じ、不安に駆られた人が続出。放送中、「2ちゃんねる」に複数のスレッドが立った。放送から2日経った2月2日も書き込みが相次いでいる。

「マザマザと事実を見せ付けられて正直参ったよ」「精神的に辛くなったわ」という率直な意見もあれば、「その携帯とインターネットで、ほんとに人とつながっていますか? ということが問われるわな。人間関係が昔よりも薄くなってね?」「今はまだ若いから、年とった時のことなんかあまり真剣に考えられないけど親が亡くなり、友達もどんどん結婚して家庭をもち疎遠になり、老化した不自由な体でたった一人で毎日をすごす…ってのを想像したら鬱々になる」などと将来への不安をにじませる人もいる。

「お隣さん孤独に死んでた」と書き込んだ人もいる。亡くなった男性は30歳代でまじめに仕事をしていたが、遺体は「両親からも別居中の奥さんからも引き取り断られてた」と書かれている。ほかに「50代独身だった叔父が実際に孤独死してるから洒落にならん」という人もいて、身近でも「無縁死」が起こっているようだ。

また、ブログで話題のキーワードをピックアップするサイト「kizashi.jp」によると、「無縁死」に関するブログは番組が放送されるまではほぼゼロだったが、放送後から2月2日までに171件に達した。「とても他人事とは思えなかった」「私自身も『無縁死予備軍』になっていくのかもしれないと思うと、画面を見ていて背筋が寒くなった」などと個人のブログに続々と書き込まれている。」

http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-59322/1.htm  

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コメント
 
01. 2010年2月07日 20:29:26
孤独死って、そんなに恥ずかしいのかな?

孤独になれるって、すごいことだよ?
孤独になれないより余程、立派だと思うよ?

そんなことよりも、仮に、万が一。

この手の記事が、本当に、実際に、一般人の、話題になっていると
仮定するのであれば。

そういう現象が生じる社会情勢そのもののほうが余程悲劇的だと思うな・・・。


02. 2010年2月08日 01:41:05
NHKって,ほんと狂ってる。

さんざん,児童ポルノがはびこってる,子供は被害者,大人を見たら変態と思え,ってあおっておきながら,無縁死の解決法が「子供がおっさんの部屋に様子を見に行って,そこから家族づきあいがはじまった」ってばかじゃねーの?

ご都合主義で解釈を変えるとは,デタラメすぎる。「タイヘンデス!コドモハシラナイオトナトカカワッチャダメデス!!」ってだれか騒いでたよな。。


03. 2010年2月08日 17:58:50
番組の中では、十分に名前がわかるはずの人が警察では簡単に名無しのように取り扱われてしまったものや、仕事をかつてしていた人を単に出身地がわからないといって無縁と捉えたりしていた。番組での捉え方に少し違和感を持った。
職場での孤立や、血縁との決別にどんな問題があるのだろうか。社会はむしろいろいろなつながりや感激を多様に生み出している。死や死の形態や死後の感触を議論するには、今日の状況は生死を含む宗教的な心情とあまりにかけはなれたものではないか。葬儀や墓などに伝統として重要な関心を持つ人がいる一方、そのようなものにあまり関心を持てない人がいる。
職場や大量消費生活の中に伝統的な生と異なるものが満ち溢れている。それらの中で人的な交流をどう考えていくか、効率的で生産過剰な社会において、それらがどう関連しているのか、そして何が本当の課題なのかをお互いもっと探求することが求められるのではないか。
無縁な"死"そのものは、超寿命化が進む現在、さして問題視すべきことではなかろう。

04. 2010年2月08日 17:59:31
孤独死(無縁死)が三万人と言うのが、それ程大問題なのかと言う意見に同意ですね。

むしろ、慌てず、騒がす、孤独のうちに耐えながら、粛々として死んでゆくなどというのは、人として、立派な事だと言ってよいのでは。

普通は、家族や友人に見守られ、惜しまれながら死んでゆくなどという事を、人の死の理想と考えているのかもしれないけれど、なかなか、世の中と言うものは、思う通りにならないことの方が多いのだし、そんな死が、本当に幸せかどうか、単なる空しい形式に過ぎないかもしれないし、なんにせよ、「形式化」は苦痛でしかない場合も多いのですしね。

たぶん僕も、同じ死に方をするのだろうけれど、ボケにもならず、ヒステリーにもならず、誰の世話になることも無く、生を終えられれば、それで十分。

後始末は、税金でやってください、それくらいの貢献は十分にしたはずなので、お葬式はいらないし、煮るなと焼くなとお好きなように、鳥のえさにしてもかまいませんので、粛々と、お願いしますですね。

そんなことよりも、自殺者三万人の方が、遥かに問題だと思いますよ。


05. 2010年2月10日 00:08:38
みんな虚無的だね。

06. 2013年7月28日 19:26:12 : A8vDTSt3TM
無縁死がいいとか、自分も孤独に死にたいなんて馬鹿じゃないの?
言っていることが狂っているとしか思えない。
じや、アンタが2週間ぐらい誰とも喋らず、話も聞かず、買い物に行っても無言を貫き通し、電話にも出ないで、それで正常にいられるか試してごらんなさい。きっと狂うと思うよ。もう狂っているかもね。

7. 2018年8月31日 01:28:22 : kCQUDluCOg : qlu_doVNHc0[6] 報告
ダイアモンドオンライン


2017.7.18

孤独死も悪いこととは限らない


矢作直樹+ 
https://diamond.jp/articles/-/134981


昨年3月に長年勤務していた東大病院という組織を離れ、現在はどこにも所属することなく、「ひとり」という状態を満喫している矢作直樹医師が、新刊『今を楽しむ』で率直に語った、「ひとりは寂しい」という世間の思い込みに振り回されることなく、ひとりであるという自由な時間を有意義に過ごす秘訣を紹介します。


ひとりで死ぬのも悪くない


矢作直樹(やはぎなおき) 1956年、神奈川県生まれ。81年、金沢大学医学部卒業。その後、麻酔科を皮切りに救急・集中治療、内科、手術部などを経験。99年、東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻および工学部精密機械工学科教授。2001年、東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授および医学部附属病院救急部・集中治療部部長となり、15年にわたり東大病院の総合救急診療体制の確立に尽力する。16年3月に任期満了退官。 著書には『人は死なない』(バジリコ)、『天皇』(扶桑社)、『おかげさまで生きる』(幻冬舎)、『お別れの作法』『悩まない』『変わる』(以上、ダイヤモンド社)など多数がある。
撮影:松島和彦


 メリットがあるにもかかわらず、世の中は「ひとり=悪、ひとり=なってはいけない」というイメージがあるように見えます。

 とくに最近は、「孤独死」という言葉にそれが象徴されています。

 医師として私は、孤独死をそれはたくさん見てきました。

 孤独死であることを目にしても、私はとくに何も感じませんでした。というのは、それは結果なので仕方がないことなのです。ですから、すべて孤独死とは、社会的に言えば個人がどう生きたかという結果でしかありませんし、もっとはっきり言えば、あちらの世界に行ってしまえば、どうでもいい話にすぎないだろうととらえています。

 ですが、少し前まで私は勤務医という立場でしたので、あえて言わせていただくと、医療現場のスタッフは孤独死を手続き上少々面倒なものとして認識しているものと思います。

 そこには、変死(異状死)という共通の認知があります。

 変死というのは、いわゆる病死や自然死ではない死に方の疑いがあるケースです。つまり、犯罪による死の疑いもある、という意味です。

 こういった状況では、かかりつけ医による死亡確認ができない、死亡診断書が出せないので基本的に警察案件となり、警察内で担当する検視官が検視を、そして監察医が検案を実行して死体検案書が出る、といったプロセスを踏むことになります。

 そう聞くと、「恐ろしい」と多くの方が感じるかもしれません。

 実際にメディア(とくにテレビ)では、ひとり身の高齢者の日常を追いかけ、自由で快適にすごしている場面は編集で大幅にカットする半面、加齢で不自由になった身体機能や、家族との交流が少ないといった側面をわざわざクローズアップするものです。

 ひとりで暮らすとこんなに不便、生きているのに寂しくて切ない、ひとりで死ぬと周囲に迷惑をかける―メディアは常にネガティブな面ばかりに訴えます。

 では、ひとりで死ぬのは恐ろしいことでしょうか?

 私が先ほど書いたのは、医療、警察、行政という、ある特定の立場の人から見た、ひとり身で死んだ時の状況です。

 そういう立場の人たちにとっては、確かに孤独死は面倒かもしれません。

「余計な仕事を増やしてほしくない」
「家族仲のことなんて知らない、とにかく一緒に住めばいいのに」
「特養(特別養護老人ホーム)か介護付き有料老人施設にでも入ればいいのに」

 そう考える人たちも世の中には大勢います。

 独身者や高齢者はひとりで死なれると面倒くさくて困る、だから誰かと一緒に住まわせるか施設に入れるかしたほうがいい、という考えがすけて見えます。

 これを、私たちの立場で見てみましょう。

 私たちはひとりで暮らすか、誰かと暮らすかを自由に選択できる権利を生まれながらに保持しています。この権利は誰にも奪われません。

 したがって、「ひとり身は孤独、孤独な人はダメな人」という風評による同調圧力はいかがなものかと思います。

 ひとり身で暮らした上で亡くなることも、また自然なことです。

 人が人として生きるため、生まれた時点から死ぬまで持ち続ける権利、それが基本的人権です。皆さんにも私にも、この権利があります。ひとり身で自由に生活し、自由に死ぬ権利は、基本的人権の「自由権」に相当します。

 実際に、個人の尊厳を守りながら個人が自立できるようにしていけばよいのではないでしょうか。従来から高齢者が住みやすい環境を整えることが言われてきましたが、人としてはふだんから社会とつながりを持つことが大切です。


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孤独死が他者に与えられるものとは>
https://diamond.jp/articles/-/134981?page=2

孤独死が他者に与える効果とは

 孤独死が生み出す「効果」も、ついでながら書いておきます。

 (1)雇用を生み出す

 (2)優越感を生み出す

 雇用というのは、先ほどの医療従事者、警察関係者、地元自治体という立場の人たちに、誰かがひとり身で亡くなったことで「仕事が生まれる」状況です。

 もちろん、彼らは孤独死を専門に扱っているわけではありません。

 しかし、少子高齢化が急速に進む日本では、確実に孤独死の数が増えますから、彼らの立場はこうした状況で「役に立っている」と認知されます。

 優越感というのは、世の中のまだ大勢を占める「ひとり身は孤独」「ひとり身はみじめ」という考えの持ち主が、孤独死した人に対して抱く相対的な感情です。

「よかった、自分には家族がいて」

 そんな感情は、ひとりで暮らしてひとりで死ぬ人を見た時、知った時に湧き上がる気持ちです。

 そう考えると、孤独死には「托鉢効果」とでもいうものがあるのかもしれません。どう説明してもネガティブにしかとらえられない人の安堵感を、十分に満たすものなのですから。

 托鉢とは何かというと、僧が貧しい人のところに行ってするものです。なぜそうするかというと、貧しい人でも他人に与えられるほどの余裕があること、そして、わずかな物を与えられた僧は「どうもありがとうございました」と言うことによって、「あなたはまだ余裕のある心をちゃんと持っているんですよ」と伝えるようなことだと思うのです。まだ自分は孤独死をしていないという意味において、自分にはまだ余裕があると思える、ということでしょうか。

 少し皮肉な書き方ですが、このふたつの効果から、ひとりで死ぬということは社会システムの安定に寄与している、とも言えるのではないでしょうか。

 もちろん、たとえ家族や身内と同居していても、彼らが留守中(たとえば数日間、旅行に出かけているなど)に死ぬこともあるわけです。

 誰かと暮らしていても、死ぬ時は“ひとり”となる可能性はあるのです。

 孤独という言葉と、死という言葉をくっつけて孤独死という言葉を作り、ネガティブさを世間に蔓延させる風潮は、私にはどうにも解せません


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(略)

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