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2018年6月22日 00:38:50
: FiD1A9rlE6
: 6mo_0WADEQk[1]
これを消したのは「謝りに来い!」と言った某国政府の仕業だね↓ おあいにく様だが他にもあったよ。_____________________________________ 正義の見方 @honmo_takeshi 【特ア涙目】元ハワイ知事「謝りにこいという国とは違う」「とても感動的」安倍首相の真珠湾訪問 http://www.honmotakeshi.com/archives/50338663.html … ↑ 404 Not Found このページは存在しないか、すでに削除されています。 ____________________________________
さくっとまとめ 【悲報】元ハワイ知事「謝りにこいという国とは違う」 2016年12月31日18:15 カテゴリ社会 コメント(0) 1 : 愛の世代の前に ★2016/12/30(金) 17:57:40.94 ID:CAP_USER9.net 「とても感動的だった」。 米国初の非白人知事を務めた日系2世のジョージ・アリヨシ元ハワイ州知事(90)は27日、 真珠湾に沈む戦艦アリゾナの真上にある慰霊施設「アリゾナ記念館」で、安倍晋三首相がオバマ米大統領と黙祷をささげる姿を見てそう感じた。 取材に応じたアリヨシさんは、「命を亡くした方々を慰霊したことを後世に伝えなければいけない」と語った。 安倍首相は、犠牲者の名が刻まれた壁を前にオバマ米大統領と並び、花輪に3、4度触れて慰霊した後、40秒ほど目を閉じた。 「驚きはなかった。いつかはこういう日がくるだろうとずっと思っていた」 ハワイの日系社会の重鎮。「戦後、日本が苦労していた時代に、祖国の親戚に両親が物資を送っていたことを思いだす」と語る。 「2つの祖国が敵味方に分かれた。育ててくれた国に忠誠を尽くし、家族を守るため死力を尽くした事実に心を揺さぶられる」 安倍首相は26日、日系人との夕食会でそうあいさつし、戦中、戦後の日系人らの苦労をねぎらった。 第二次世界大戦の欧州戦線に派遣された米陸軍第442連隊戦闘団は、大半が日系人だった。 3分の2以上がハワイ出身者とされ、米史上最多の勲章を授与された部隊だった。アリヨシさんも高校卒業後、陸軍情報部日本語学校に入学し、 終戦直後には連合国軍総司令部(GHQ)の通訳として、廃虚と化した東京に滞在した。 日本を訪れた際、言葉を交わした靴磨きの7歳の少年が忘れられない。背筋を伸ばして一生懸命に働いていた。おなかが空いているだろうと思い 、ピーナツバターとジャムをぬったパンを渡した。少年は礼を言ってパンを受け取ったが、食べずに道具箱にしまった。 3歳の妹が腹をすかせて家で待っている。一緒に分け合って食べるのだという。 悲哀を感じた。だが、苦難で国も家族も大変なときに、自分も何かやらねばと子供ながらに思ったその精神に、アリヨシさんは心を打たれた。 「米国は日本の早期回復を望み、復活は実際、早かった。奇跡に近かった」と振り返る。 安倍首相の祖父、岸信介元首相と父、安倍晋太郎元外相と親交が深く、首相とも親しい間柄だ。 だから、安倍首相はこの7歳の少年のエピソードを講演などで好んで語る 謝罪ではなく、慰霊だった。「米国は首相に謝ってほしいといったことはなく、首相も自らお越しになった。謝りにこいという国との違いは大きい」。 アリヨシさんはこう語り、日米の関係が、歴史認識で日本を揺さぶろうとする中国などの国とは違うことに触れ、 「真珠湾攻撃の生存者と首相の握手はすばらしかった」と改めて述べた。 「オバマ大統領は間もなく任期を終えるが、国のトップ同士の関係だけでなく、 これをきっかけに、国民同士のつながりも一層深まることを期待する」と、日米関係の未来を見据えるように話した。 http://www.sankei.com/world/news/161228/wor1612280049-n1.html http://www.sankei.com/world/news/161228/wor1612280049-n2.html http://www.sankei.com/world/news/161228/wor1612280049-n3.html 関連スレ (●一つ除いて全削除の怪) 96歳の元米兵、安倍首相に「ありがとう」 http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1482904073/ 米退役軍人「安倍首相、謝る理由ありません」 http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1482927062/ 日系2世の元米兵 安倍首相・オバマ大統領の2人と握手し感涙 http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1482925476/ オバマ大統領、安倍首相の真珠湾訪問は「歴史的」と評価 −アメリカ大統領と「アリゾナ記念館」を訪問するのは初 http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1482916559/ 米国務省、安倍首相の訪問を高く評価 米メディアも強い関心 http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1482918025/ 安倍首相演説「慰霊と和解の力を日米に、そして世界に示したい」 http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1482893336/ 安倍首相が真珠湾で演説「パールハーバーは和解の象徴」「世界は和解の力を必要としている」 http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1482925396/ (以下のコメントは省略)
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産経ニュース
2016.12.28 17:59更新 【安倍首相真珠湾訪問】 「謝りにこいという国とは違う」日米の絆 アリヨシ元ハワイ州知事 (1/3ページ) http://www.sankei.com/world/news/161228/wor1612280049-n1.html(全文引用) 「とても感動的だった」。米国初の非白人知事を務めた日系2世のジョージ・アリヨシ元ハワイ州知事(90)は27日、真珠湾に沈む戦艦アリゾナの真上にある慰霊施設「アリゾナ記念館」で、安倍晋三首相がオバマ米大統領と静かに黙●(=示へんに寿の旧字体)をささげる姿を見てそう感じた。取材に応じたアリヨシさんは、「命を亡くした方々を慰霊したことを後世に伝えなければいけない」と語った。(ホノルル 中村将)
安倍首相は、犠牲者の名が刻まれた壁を前にオバマ米大統領と並び、花輪に3、4度触れて慰霊した後、40秒ほど目を閉じた。 「驚きはなかった。いつかはこういう日がくるだろうとずっと思っていた」 ハワイの日系社会の重鎮。「戦後、日本が苦労していた時代に、祖国の親戚(しんせき)に両親が物資を送っていたことを思いだす」と語る。 「2つの祖国が敵味方に分かれた。育ててくれた国に忠誠を尽くし、家族を守るため死力を尽くした事実に心を揺さぶられる」 安倍首相は26日、日系人との夕食会でそうあいさつし、戦中、戦後の日系人らの苦労をねぎらった。 (2/3ページ) . http://www.sankei.com/world/news/161228/wor1612280049-n2.html (写真)日米首脳が真珠湾合同慰霊を行ったことについて語るアリヨシ元ハワイ州知事=27日午後(現地時間)、ハワイ・オアフ島(鈴木健児撮影) 第二次世界大戦の欧州戦線に派遣された米陸軍第442連隊戦闘団は、大半が日系人だった。3分の2以上がハワイ出身者とされ、米史上最多の勲章を授与された部隊だった。アリヨシさんも高校卒業後、陸軍情報部日本語学校に入学し、終戦直後には連合国軍総司令部(GHQ)の通訳として、廃虚と化した東京に滞在した。
日本を訪れた際、言葉を交わした靴磨きの7歳の少年が忘れられない。背筋を伸ばして一生懸命に働いていた。おなかが空いているだろうと思い、ピーナツバターとジャムをぬったパンを渡した。少年は礼を言ってパンを受け取ったが、食べずに道具箱にしまった。3歳の妹が腹をすかせて家で待っている。一緒に分け合って食べるのだという。 悲哀を感じた。だが、苦難で国も家族も大変なときに、自分も何かやらねばと子供ながらに思ったその精神に、アリヨシさんは心を打たれた。「米国は日本の早期回復を望み、復活は実際、早かった。奇跡に近かった」と振り返る。 安倍首相の祖父、岸信介元首相と父、安倍晋太郎元外相と親交が深く、首相とも親しい間柄だ。だから、安倍首相はこの7歳の少年のエピソードを講演などで好んで語る。 (3/3ページ) . http://www.sankei.com/world/news/161228/wor1612280049-n3.html (写真)日米首脳が真珠湾合同慰霊を行ったことについて語るアリヨシ元ハワイ州知事=27日午後(現地時間)、ハワイ・オアフ島(鈴木健児撮影) ●謝罪ではなく、慰霊だった。「米国は首相に謝ってほしいといったことはなく、首相も自らお越しになった。謝りにこいという国との違いは大きい」。アリヨシさんはこう語り、日米の関係が、歴史認識で日本を揺さぶろうとする中国などの国とは違うことに触れ、「真珠湾攻撃の生存者と首相の握手はすばらしかった」と改めて述べた。
「オバマ大統領は間もなく任期を終えるが、国のトップ同士の関係だけでなく、これをきっかけに、国民同士のつながりも一層深まることを期待する」と、日米関係の未来を見据えるように話した。 ■ジョージ・アリヨシ氏■ 1926年3月、ハワイ・ホノルル生まれ。終戦直後、連合国軍総司令部の通訳として東京で勤務。その後、ハワイ大マノア校、ミシガン州立大、同大法科大学院を修了。ハワイ州議員などを経て1974年12月から3期12年、同州知事を務めた。
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致知出版社 人間学を探究して四十年 日本精神を教えてくれた靴磨きの少年
2017年12月01日 思わず話したくなる話 https://www.chichi.co.jp/web/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E3%82%92%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E9%9D%B4%E7%A3%A8%E3%81%8D%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%B9%B4/(全文引用)
アメリカ合衆国ハワイ州知事を務めた ジョージ・アリヨシさんには戦後の日本で見た 忘れられない光景があるといいます。 アリヨシさんが見た感動的な日本人の姿とは どのようなものだったのでしょうか。 ジョージ・アリヨシ (アメリカ合衆国ハワイ州元州知事) ─────────────────── ※『致知』2014年2月号 ※連載「私の座右銘」P72 ─────────────────── 私が最初に日本の地を踏んだのは1945年、 第二次世界大戦が終わって間もなくのことでした。 アメリカ陸軍に入隊したばかりの頃で、 焼け残った東京丸の内の旧郵船ビルを兵舎にして GHQ(連合国軍総司令部)の通訳としての活動を行ったのです。 私は日系アメリカ人です。両親はともに九州の人で、 福岡出身の父は力士を辞めた後に貨物船船員となり、 たまたま寄港したハワイが好きになってそのまま定住した、 という異色の経歴の持ち主。 ここで熊本出身の母と出会って結婚し私が誕生しました。 私は高校を出て陸軍情報部日本語学校に学んでいたことが縁で、 通訳として日本に派遣されることになりました。 東京で最初に出会った日本人は、靴を磨いてくれた7歳の少年でした。 私は思わず「君は子供なのに、 どうしてそういうことをやっているの」と質問しました。 少し言葉を交わすうちに、彼が戦争で両親を亡くし、 僅かな生活の糧を得るためにこの仕事をしていることを知りました。 その頃の日本は厳しい食糧難に喘いでいました。 それに大凶作が重なり1,000万人の日本人が餓死すると見られていました。 少年はピンと姿勢を伸ばし、はきはきした口調で質問に答えてくれましたが、 空腹であるとすぐに分かりました。 兵舎に戻った私は昼食のパンにジャムとバターを塗ってナプキンで包み、 他の隊員に分からないようポケットに入れて少年のもとに走り、 そっと手渡しました。少年は「ありがとうございます。 ありがとうございます」と何度も頭を下げた後、 それを手元にあった箱に入れました。 口に入れようとしないことを不思議に思って 「おなかが空いていないのか」と尋ねると、彼はこう答えたのです。 「僕もおなかが空いています。 だけど家にいる三歳のマリコもおなかを空かせているんです。 だから持って帰って一緒に食べるんです」 私は一片のパンをきょうだいで仲良く分かち合おうとする、 この少年に心を揺さぶられました。 この少年を通して「国のために」という 日本精神の原点を教えられる思いがしたのです。 「いまは廃墟のような状態でも、 日本人が皆このような気概と心情で生きていけば、 この国は必ず逞しく立ち直るに違いない」 そう確信しました。果たしてその後の日本は 過去に類のないほど奇跡的な復興を遂げ、 世界屈指の経済大国に成長しました。 通訳として日本に滞在したのは僅か2か月です。 しかし、私は今日に至るまでこの少年のことを忘れたことがありません。 日本に来るたびにメディアを通して消息を捜したものの、 ついに見つけることはできませんでしたが、 もし会えることがあったら、心からの労いと感謝の言葉を伝えるつもりでいます。
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