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『権力の監視』と『ケチ』の違い
2009年12月30日
新聞記者は政治の変化について行けず、けちをつけるだけ−年末、新橋の居酒屋で苦言を呈された。政権交代・鳩山政権発足から百日余、早くも迷走が目立つが、その一方でメディア批判も少なくない。
「マニフェストは金科玉条ではない。現実に即して」といいながら、政策を変えると「公約違反」。「国家運営の気概を示せ」といいながら、普天間移転を先送りすると「米国の機嫌を損ねては日米同盟が崩れる」。「政策決定を内閣一元化すると、党の意見がないがしろになる」といいながら、党が予算要求を出すと「権力の二重構造」…。
さまざまな意見の紹介はメディアの役割だが、物事の是非を判断するのに、二重基準(ダブルスタンダード)を採用すれば、けちをつけるのと変わりない。これはメディアの最重要な役割である「権力の監視」とは異なる。むしろ政治は何をやっても駄目という冷笑主義をはびこらせ民主主義の危機を招くだけだ。
「すべてを政争に結び付ける癖が抜けていないんだよ」との指摘も。長年の自民政権時代、権力は与党内で移動するだけとあって、政策より政争にかかわる報道に傾きがち、それが習い性となっていた。
鳩山政権は、自民政権の“負の遺産”の整理に四苦八苦しているが、同時にメディアも厳しく問われている。ほろ苦い年越しの酒になったが、来年の自戒としたい。 (小林一博)
<記事転載元:http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2009123002000075.html>