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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091110-00000001-voice-pol
◇会見で質問ができない◇
ついに自民党が記者会見を開放した。
1955年の結党以来、記者クラブと癒着することで不健全な政治状況をつくり出してきたのが、権力とメディアの55年体制だ。そうした構図を自ら打ち破ったことで、谷垣新総裁の下、新しい門出をアピールする意図もあったのだろう。下野したからこそできた決断だとはいえ、自民党の将来を考えればけっして悪いことではない。
国民の知る権利、情報公開の見地、何より世界中のメディアが実践しているフリープレスの原則からして当然の判断である。
しかし、水を差すようで申し訳ないが、それはあまりにも遅すぎたといえる。なぜもっと早くオープンにできなかったのか。これまでにチャンスは何回もあったはずだ。
筆者はこの10年間、自民党本部、つまり平河クラブで行なわれる自民党幹部の会見への出席を繰り返し求めてきた。そのたびに返される答えは、いつも決まって同じであった。
それは、「オブザーバーとしての出席ならば、例外的に許可する」というものであった。
オブザーバーとしての会見出席とは笑止千万である。質問のできない会見に何の意味があるというのか。そんなことは日本以外ではまったく通用しない理屈である。
「国境なき記者団」は、日本の記者クラブ制度を批判し続けている。取材中に記者が命を落とすこともなく、政府からの圧力もさほどない日本で、報道の評価が低い理由は、記者クラブの存在にある。
同業者が同業者を選別するという閉鎖的なシステムは、日本に住んで、日本で働く日本外国特派員協会(FCCJ)の外国人記者たちの間でもきわめて評判が悪い。特派員が2人以上集まれば、間違いなく記者クラブ制度への怒りで大方の時間が費やされることになる。
OECDもEUも、じつに長い間、記者クラブへの疑義を表明してきた。政府の会見への防波堤になっている彼らに対して、初めは怒り、次に呆れ、最終的には日本を去っていくのである。
それでも取材のため、さまざまなルートを使って自民党本部に潜り込んだ。中川昭一政調会長の記者会見に忍び込み、いきなり核論議の質問をしたのも筆者である。その直後、自民党広報と平河クラブの幹事がやって来て、文字どおり、党本部からつまみ出された。つまり、不法侵入者として扱われたのである。
そうしたことを続けてきた自民党が、野党に転落して、記者が集まらなくなったから、会見に来てほしいという。馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。そもそも、政治権力をもたなくなった野党の記者会見に、誰が関心を抱くというのか。
4年前、小泉郵政選挙に負けた直後の民主党に対するメディアの対応を思い起こせば、これから自民党にとっての正念場が続くのがわかる。それを実感したからこそ、自民党は慌てて会見を開放したのかもしれない。だが、そこには、国民の知る権利や情報公開制度への共感というものが見えない。政治的にメディアを利用しようという邪な考えしか見えない。
だからこそ、筆者も含めてフリーランスのジャーナリストの多くが、自民党に足を運ぶ必要性を感じないのだ。
◇中国のほうが取材しやすい◇
さて、自民党の記者会見で起きたこの「悲劇」は、じつは日本全体にも当てはまる。
今年、ワシントン・ポスト、LAタイムズをはじめ、戦前から日本にずっと支局を置いていた海外メディアの多くが、東京支局の廃止および縮小を決めている。
その背景には、広告費の減少にともなう本社の経営危機という要素ももちろんある。だが、中国に新しい支局が続々と開設されていることを考えれば、それだけでは説明がつかない。
じつは、答えは簡単だ。半世紀以上にもわたって、日本に駐在する海外特派員は、世界中のジャーナリズムのルールに則って、記者会見への参加を求めてきた。それを拒んできたのは自民党政府と記者クラブだ。
近年、日本政府は海外への情報発信を高めようと躍起になっている。だが、自ら送信機(記者会見)の電源を切りながら、マイクに語り掛けたところで、どうやって情報が伝達されるというのか。
いま海外メディアの多くは日本ではなく中国関連のニュースばかりを出稿し、記事にしている。その理由には、国家の発展という背景のみならず、記者クラブ制度のない中国のほうが、ずっと取材をしやすいからという要素があることを、日本は率直に認めるべきだ。
かように、記者クラブという愚かな既得権益システムの弊害は、国益にも影響を与えてしまった。残念ながら、100年近く開いていた海外メディアの東京支局がいったん閉じた以上は、二度と日本に戻ってくることはないだろう。
記者クラブは国をも滅ぼそうとしている。