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予算委員会が面白い。
国会論戦の華とも称される予算委員会がスタートした。初日となる月曜日には、自民党から大島理森幹事長、町村信孝元外相、加藤紘一元官房長官、後藤田正純議員が鳩山内閣に対し質問をぶつけた。
2日目にあたる今日(水曜日)午前には、原稿を書いている現時点で、石破茂政調会長の質疑が行われている。
最初に印象を述べれば、日本でもやっとまともな国会論戦が始まったという感じである。
それぞれの政治家が自らの言葉でもって、それまでの経験と知識を駆使し、質問をぶつけあう。こうした当たり前のことができなかったのが日本の国会ではなかったか。
事前に官僚を使って質問取りを行なわせ、さらに答弁用のペーパーまで作らせる。委員会室に座っている政治家と役人、そして記者たちまでもが、堂々と居眠りをしている。確かに、何時間も、科白の決まった陳腐な芝居を見せつけられれば、それも仕方がないだろう。
ところが、ようやくそうした愚かな習慣から国会は抜け出そうとしている。
自民党の質疑を評価しない
マスコミの思考停止
加藤紘一氏の諭すような質疑に疑問を呈する声が自民党から挙がったという。過去の自身の政治経験を持ち出して、首相としての覚悟を説くのは、野党のやるべきことではないというのだ。
だが、筆者はそうした考えには賛同できない。むしろ個々の政治家がそれぞれのやり方で、個性的な質問を繰り出すことを歓迎する。
「友愛」の意味を各閣僚に問い、過去の新聞記事に基づいて、首相の「覚悟」を質した加藤氏のスタイルは新しい国会のありようを示すものだと思う。
予算委員会の質問の中で、現時点で特筆すべきは石破氏の質疑だろう。これまでの野党の質問のように批判に終始することなく、自民党時代にともに作った勉強会「ユートピア研究会」時代の鳩山首相の言葉を引用しながら、疑問点を丁寧に問うスタイルを貫いた。
石破氏には、首相の「故人献金問題」を質す中でも感情的な発言はなく、相手の言葉を尊重するフェアな姿勢がみられた。
政治家の言葉は重い。その重さを知った上で、政治信条として発した、あるいは著した相手の言葉を尊重するからこそ、石破氏のような質疑の形式が際立つのだろう。
こうした質問のためには相応の準備が必要だろう。鳩山氏の過去の発言を仔細に検証し、それに則って問うことは論戦を活性化させる最低の条件だ。
新聞・テレビは「自民党の追及が鈍い」と報じているが、いったいどこが鈍かったのだろうか。少なくとも具体的な事例を挙げずに、思考停止の状態で単に批判に終始するマスコミよりはずっと鋭い質問だったと筆者は感じる。
思えば、加藤氏も、石破氏も、若き日にはジャーナリストを目指した時期があると聞いたことがある。
まさしく彼らの手法こそ、健全なジャーナリズムの手法だ。事前の擦り合わせを排除し、真剣な議論を目指したことは、与野党問わず、評価すべき内容だ。
これまで当たり前のように行われてきた事前の質問取りなど、国民を欺く行為に他ならない。政治家は言葉で勝負をする職業なのだ。
その政治家が、自らの言葉を放棄し、官僚に委ねてきたからこそ、日本の議会政治は未熟なままだったのではないか。
今回の予算委員会では、与野党を問わず、多くの議員は質問取りを拒否し、正々堂々の議論を行なった。
政治主導の反する
平野官房長官の“裏工作”
一方で、旧態依然として変わらない議員も存在した。
平野博文官房長官と直嶋正行経済産業大臣は、与党議員からの質問の際、「急な質問なもので――」と言い訳しながらマイクに向かった。旧来の慣習から抜け切れていないのだろう。
予算委員会の閣僚席に着いた以上、つねに答弁の可能性があるのは当然のことだ。予算に絡むことならばいかなる質疑も許される予算委員会では、常に緊張感を保つのが当然なのである。
さらに平野官房長官に関しては、政治主導からかけ離れた「裏工作」を行っていることがわかっている。
予算委員会の前日、質問を考えている加藤紘一氏の元に官邸官僚を派遣して、質問の事前通告を求めたのだ。こうした行為は、民主党政権の哲学に反してはいまいか。
政治家が変わる中で、
ジャーナリズムだけは旧態依然
同時に、触れておかなければならないのが記者クラブ・メディアの存在だ。
これまで質問通告を是としてそれに対する批判がなかったのは、メディア自身が同様のことを行ってきたからに他ならない。
記者クラブは役所から便宜を受ける代償として、秘書官や官僚に会見での質問を事前に教えているのだ。会見前、当たり前のように行われている幹事社からの質問摺り合せがそれに当たる。権力側に事前に質問をリークする。しかも堂々とそうした「八百長」を続けているのが記者クラブ・メディアなのだ。
ジャーナリズムこそ変わらなければならない。世界中から、日本の記者たちのこうした振る舞いが笑われていることにそろそろ気づくべきなのだ。
民主党政権ができて、記者クラブという官僚制を補完するシステムは変わると思われていた。だが、政治部には、加藤氏や石破氏のような新しく健全な議会政治のシステムを作ろうという意思はさらさらないらしい。
自らの既得権益を守ることに汲々とし、不健全な権力とメディアの関係をいつまでも引き摺っている。
政治家が正しい政治システムの構築を模索し始めている今、旧態依然として時代から取り残されようとしているのはメディアの方ではないか。
政権交代がなされ、せっかくまともな国会論戦がスタートしたのだから、メディアもその古い姿勢を変えたらどうだろうか。