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【第62回】 2012年10月29日 安藤茂彌 [トランス・パシフィック・ベンチャーズ社CEO、鹿児島大学特任教授]
iPS細胞の発見は人類にとって「福音」となるのか?
今から4年くらい前の出来事だったと思う。山中伸弥教授がスタンフォード大学で講演をするというメールが入った。講演の前々日のことだ。会場は300人ぐらいしか収容能力がない狭いホールで、混雑が予想されるので15分前に到着した。すでに会場は一杯で、椅子席は埋まっており、仕方なく通路に座った。
山中教授が登場し、会場から万雷の拍手が起きた。教授はパワーポイント20枚程度の短い講演をした。英語に訛りはなく、時折ジョークで会場を沸かせる。当時はオバマ大統領候補が選挙戦を展開していた頃で「Yes we can」が流行り言葉だった。皮膚から採取した細胞がたった4個の遺伝子でiPS細胞になることを発見したプロセスを説明し、苦労はしたが「Yes we can」だったと結んだ。会場から再び大きな拍手が起こった。
iPS細胞とはどんなものだろうか?卵子は受精すると細胞分裂を繰り返して、様々な臓器を作り出す。ES細胞(胚性幹細胞)は、分裂途中の胚から組織の一部を取り出し培養したものである。これは神経細胞、血球細胞など様々な細胞に分化する能力を持つ多能性細胞だ。病気や事故等で失われた細胞を補填し、組織を修復する「再生医療」の切り札になると期待されている。
しかしながら、組織の一部を摘出された胚はやがて死滅する。胎内で成長しヒトとなる可能性があった胚を破壊するヒトES細胞の作製には、倫理的問題があるのだ。また遺伝子の異なる他人の卵子から培養するので、人体に移植したときに拒絶反応が起こる問題もある。
その点、iPS細胞(人工多能性幹細胞)は自分の皮膚細胞から培養するので、移植しても拒絶反応はない。ES細胞と異なり、元の組織を死滅させることもない。ES細胞の欠点を除去し、ES細胞同様の機能を発揮する画期的な技術なのである。
今月、山中教授にノーベル医学生理学賞授与の発表があった。同時受賞をしたのは、英国人のジョン・ガードン氏。1962年にオタマジャクシを使って最初のクローン(遺伝子が同じ生命体)を作りだした研究者で、今年79歳だ。山中氏は50歳。ノーベル賞受賞者としては最年少に近いのではないだろうか。
山中教授の受賞を聞いて、筆者はジェームズ・トムソン教授(ウィスコンシン大学)が同時受賞しなかったのを意外に思った。トムソン教授は98年にヒトES細胞の開発に成功し、幹細胞の研究で先人的役割を果たしてきた。両教授はそれぞれ、2007年11月に専門誌上に、人間の受精卵を使わずに皮膚細胞からiPS細胞ができると発表して世界を驚かせた。
米国の新聞は、山中氏の受賞を自国の受賞のように喜び称賛している。理由の一つには同氏が93年からカリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所の研究員であったことが挙げられる。山中氏は大阪市立大学で博士号を取得後、米国で研究を展開するためにいくつもの大学や研究所に研究員としての願書を提出したが、受け入れてくれたのはグラッドストーン研究所だけであった。
グラッドストーンでの山中氏の研究課題は、遺伝子移植でクローン再生したマウスを使ってコレステロールの研究・実験することだった。この実験は十分な成果を出せなかったが、その時の経験を幹細胞の研究に投入していった。山中氏は帰国後、奈良先端科学技術大学、京都大学で研究を深めていくが、その間もグラッドストーンでも研究を続け、日本とサンフランシスコを往復する日々を過ごしていた。
米紙が山中氏を称賛するもう一つの理由は、その研究姿勢にあるように思う。生命の謎に真正面から向き合い、自分の頭で実験手法を考え、独力で幹細胞の分野を切り開いていった。そしてその手法を公開した。特にネズミを使った実験論文は人々のiPS細胞に対する考えを一変させ、多くの研究者や開発者が自分の実験室でこの手法を取り入れて実験を行うようになった。
グラッドストーン研究所長のDr. Srivastavaも、山中氏を絶賛する一人である。所長は山中氏の協力を得て、実験手法を実用化するベンチャー企業iPierianを設立した。著名なベンチャーキャピタル数社が同社に3150万ドル(約25億円)出資して事業展開を支援している。山中氏はiPierianの科学顧問として名を連ねている。
iPS細胞の発見は、肉体的苦痛を持つ人に大きな希望を与えている。将来的に切断された脊髄神経を元に戻すことや、糖尿病を治療したり、損傷した心臓を再生することなどが期待されている。実際に、スタンフォード大学では皮膚が水膨れを起こす難病の治療にiPS細胞を使う実験を行っている。
製薬会社は特定の薬品の毒性を調べたり、薬効を計測するのにiPS細胞を使うことができ、これによって膨大な薬品開発コストを削減できるようになるという。たとえばiPS細胞から作り出した臓器にガン細胞を移植し、これに治療薬を投与してその効果を測定できる。
長生きをしたいと願う人々にとってもiPS細胞は朗報である。自分の皮膚細胞を使って自分用の臓器を作り、弱ってきた臓器と交換できるようになる。これによって寿命の延長ができるようになり、80歳台に伸びてきた日本人の平均寿命を110―130歳台に延ばすことも夢ではなくなる。
だが、ここまで来ると大きな疑問が湧いてくる。これは果たして人類にとって幸福な出来事であろうか?先進国では老人がさらに増え、健康保険と年金基金はパンクし、いくら人手を投入しても介護ができなくなる。世界の人口は現在の70億人から80−90億人に増え、食糧不足の問題が出てくる可能性もある。
iPS細胞を生殖機能に応用すると、さらに恐ろしい世界が出現する。自分の皮膚細胞から卵子と精子を作り、それを受精させて、もう一人の「若々しい別な自分」(クローン)を誕生させることも、理論的には可能になる。
京都大学ではすでに、マウスのiPS細胞から卵子と精子を作り、受精させてマウスの子どもを作ることに成功している。先進国各国ではこれが技術的には可能であっても、ごく一部の特殊な用途を除いて、ヒトクローンES細胞の作製を禁止している。
人間はクローンを作ってまで長生きする必要があるのだろうか。人間は「死」を以て人生を完結させる前提を崩してはいけないように思う。人間は死ぬものであることを前提に、偉大な思想が生まれ、深遠な哲学が語られてきた。老荘思想、実存主義は死を意識した哲学である。また死の思想は新たな政治哲学をも生んだ。二度にわたる世界大戦で隣国同士が殺しあったことの反省から、欧州共同体が生まれた。
作曲家マーラーは、第九交響曲を書いたら自分は死ぬと考えていた。ベートーベンのジンクスがあるからだ。第八交響曲の後に書いた曲をあえて交響曲と呼ばずに「大地の歌」と名付けた。その後躊躇しながらも作曲を続け、第九交響曲を書き、第十交響曲の第二楽章まで書いたところで他界した。これらの曲はいずれも、死を前にしたマーラーが、人生の最後に作った不朽の名作である。
iPS細胞は死と向き合った患者に、もう一度生きる勇気と意欲を与える素晴らしい技術であるが、一方で使い方を間違えると、とんでもないことになる「負」の側面を持つ技術でもある。我々はiPS細胞を知ることによって、「命」について再定義をする必要が出てきたように思う。
原子爆弾を発明した物理学者ロバート・オッペンハイマーは、自分の発明が人類を大量殺戮する道具となったことを生涯にわたって後悔したという。政治が技術を悪用したからだ。日本はこの技術の被害国となった。だが他方で、原子力技術は原子力発電にも応用され、多くの国の工業化を支えた。人類は原子力の「正」の側面も享受した。
今度は、日本人が原子爆弾の発明にも匹敵するiPS細胞を発見した。この技術も「正」と「負」の両面を併せ持つ。技術をどのように使うかは、人類の知恵でコントロールする以外にない。iPS細胞の発見がもたらした「命の再定義」には、人間の持つ倫理観がきわめて重要な役割を果たす。
iPS細胞の発見国「日本」は、これから世界に向かってこの技術で「やって良いこと」と「やってはならないこと」について積極的に発言をしていかなければならない。これは山中伸弥教授を第二のオッペンハイマーにしないためにも必要なことである。否、それ以上に、山中教授を「人類に「福音」をもたらした偉大な科学者」として、歴史に名を留めるためにも。
http://diamond.jp/articles/print/26955
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