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がんの「基本」を数回に分けて解説しています。今回は5回目です。この「番外篇」は、今回で最後となります。(第1回、第2回、第3回、第4回)
がんは消えても患者さんは…
わが国では、がんの患者さんも治療にあたる医師も、ともかくがんを治すことだけを考えてきました。完治(かんち)はもう無理とわかっていても、亡くなる前の日まで抗がん剤を使ったりするのです。
こんな例がありました。直腸がんの手術後に、肝臓(かんぞう)の転移が見つかった患者さんのケースです。ずっと強い抗がん剤の治療を受けていて、結局は副作用で白血球が減り、感染症で亡くなりました。
解剖をしたときに担当医が患者さんの奥さんに満足そうに「よかった、抗がん剤は効いていました。肝臓のがんは消えています」と言ったというのです。
がんは消えても治療で患者さんは亡くなっている、本末転倒です。
治癒率より大切なこと
現在、がんの治癒率(5年生存率)は、おおよそ5割くらいです。治療の進歩にもかかわらず、いまだに半数近くの方が命を落としています。しかし、がんで亡くなる患者さんを支える医療が、日本では十分に行われているとはいえません。
これまでの日本のがん治療の現場は、治癒率を少しでも高くすることにだけ力を注いできました。まさに、勝ち負け重視の医療です。
しかし、死に直面し、からだや心に痛みを抱えている患者さんにこそ、最高の医療が提供されてしかるべきでしょう。これこそが、「医の原点」であるはずです。
緩和ケアという考え方
欧米では、治癒できないがんや痛みなどの症状を持つ患者さんの、さまざまな苦しみを和らげることを主眼として、緩和(かんわ)ケアの考え方が確立されています。
これは、中世ヨーロッパにおいて、キリスト教の精神から、巡礼者、病人、貧窮者を救済したhospitium(ホテル、ホスピタル、ホスピスの語源)に起源を持ち、痛みなどのカラダの苦痛への対処、死の不安などの精神的苦痛への対処、遺族への対処などを行います。
一方、日本はがん治療の後進国ですが、緩和ケアはさらに遅れているのが実情です。がんの痛みを和らげることは、緩和ケアのいちばん大事な役割ですが、その主流は、モルヒネあるいは類似の薬物をクスリとして飲む方法です。
モルヒネと聞くと、薬物中毒など悪いイメージがあるようですが、口から飲んだり、皮膚に貼ったり、ゆっくり注射したりする分には安全な方法です。このモルヒネの使用量が、日本はカナダ、オーストラリアの約7分の1、アメリカ、フランスの約4分の1程度と先進国のなかで最低レベルです。
モルヒネとその関連薬物である、オピオイド(医療用麻薬)全体について言えば、日本は米国のなんと20分の1程度で、世界平均以下の使用量です。医療用の麻薬の使用量は、その国の文化的成熟度に比例すると言われていますので、大変残念な数字です。
しかし、麻薬を使わない分、日本のがん患者さんは激しい痛みに耐えているのです。実際、日本では、がんで亡くなる方の8割、つまり日本人全体の実に4人に1人が、がんの激痛に苦しむと言われています。
この理由には、「麻薬を使うと中毒になる、寿命が短くなる、だんだん効かなくなる……」などの迷信があるようですが、全く根拠はありません。
人生の仕上げのために
ある患者さん(会社経営者)は肺がんの全身への転移がみつかり、ご本人の希望で「余命は約3カ月程度」と告知しました。骨の転移によって激痛がありましたので、モルヒネの飲み薬を勧めたのですが、「麻薬なんて、カラダに悪いし、命が縮まる」と拒否されたのです。
頭の中では死を理解しても、ココロでは受け入れられなかったのだと思います。しかし、激しい痛みのため、会社の整理はうまくいかなかったと聞きました。
現実にはモルヒネなどの麻薬系の薬を飲んでも、中毒などは起こりません。それどころか、モルヒネなどを適切に使って痛みがとれた患者さんの方が長生きする傾向があるのです。
これは、食事もとれ、睡眠も確保できますので、当然といえば当然で、激痛のある末期の膵臓(すいぞう)がん患者さんを対象とした無作為比較試験でも実証されています。
日本人は、痛みをとることを拒否し、結果的に激しい痛みに苦しんで、人生の仕上げができないばかりか、生きている時間の長さでも損をしているのです。
別のケースもあります。ある乳がんの方は外資系のキャリアウーマンで、30歳代半ばで亡くなりましたが、完治しないということをお話ししました。抗がん剤療法について、それはどれくらい延命できるのか、どれくらい肉体的に負担があるのと聞かれて、結局、抗がん剤は何も使わないという選択をされました。
脳の転移だけは、放射線治療で治して、後は旅行に行かれたり、好きなワインを飲まれたり、生活をエンジョイされました。そして最後は、ある意味、思い描くような死を受け入れておられました。
まさに、彼女の死は、彼女自身によって飼い慣らされていったようでした。すてきな死だった、と今でも思い出すことがあります。
がんの治療のうち、放射線は一番副作用が少ないので、末期がんにも使えます。体調の悪い末期がん患者にも使えるほど、放射線はカラダへの負担が少ない、ということです。脳や脊髄(せきずい)に転移して麻痺(まひ)が出た時に、放射線を転移部位にかけるとその麻痺がとれます。
がんが完治するわけではありませんが、症状の進行を防ぎ、生活の質=「クオリティ・オブ・ライフ」を高めることにつながります。
このように、末期でもがんの治療が必要になることもありますが、他方、早期がんでも緩和ケアが必要な局面があります。告知を受けて痛んだ心にはケアが必要です。
がんの治療とがんのケアは対立するものではありません。治療とケアはともに必要で、病状によってウェイト(比重)が変わってくるだけなのです。がんの治療とケアのバランスをとれるのが、「名医」の条件だと思います。
知っておくべきこと(復習)
日本人が、がんについて知るべき事柄はそうそう多いわけではありません。この冊子に書いてあることで十分です。要約すると次のようになります。
1 がんは、DNAがキズついておこる、一種の老化。
2 日本は「世界一の長寿国=世界一のがん大国」。しかし、がん対策後進国。
3 がんは、できる臓器によって、治療手段も治癒率もちがう。
4 がん治療の3つの柱は、手術・放射線治療・抗がん剤。がんの完治には、手術か、放射線治療が必要。
5 日本では、がん治療=手術だが、多くのがんで、放射線治療も同じ治癒率。
6 がんの種類が、胃がん、子宮頸(しきゅうけい)がん、肝臓がんなどの感染症型のがんから、肺がん、乳がん、前立腺がん、大腸がんなどの、欧米型のがんにシフト(変化)している。
7 欧米型の多くがんでは、放射線治療が大事。セカンドオピニオンは放射線治療へ。
8 転移したがんの治癒は難しいが、緩和ケアが有効。
9 治療とケアのバランスが大事。痛みはとった方が長生きもする。
http://tnakagawa.exblog.jp/15895444/
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