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長く生きていると雑学が身に付く。
まさかこの年になって4回もの被爆騒ぎに出会うとは!!
一回目と2回目は広島と長崎、3回目は第5福竜丸事件、4回目が福島原発事故。
古い記憶で、確か原爆投下を知ってある医師が患者に「玄米と塩」を与えて、被爆被害を防止した、があった。今回探したら、あった、あった、PCはありがたいものだ。
ちなみに、塩(公社塩はだめ)はヨードを含むし、玄米はその皮がヒチン酸を含みこれが有害放射性元素(ミネラル)を排除してくれる、ものと素人判断します。
以下に引用;
被爆したときのマクロビオティック対処法(長崎原爆の実例より) << 作成日時 : 2006/11/28 19:38 >>
ブログ気持玉 26 / トラックバック 0 / コメント 3
今日、チェルノブイリ原発事故から20年たったそうです。
TVよると村を追われたウクライナの人々は今でも甲状腺癌になったりし、生まれ故郷には帰れない日々が続いているそうです。
さて、日本でも少なからず原発事故が発生し、程度に差こそあれ、被爆している方がいるのはご存知のとおり。原発や原子力爆弾に限らず、レントゲン技師や飛行機のパイロット・スチュワーデスが普通以上に放射線をあびて多少なりとも害をこうむっているという話を聞いたことはありますでしょうか?
放射線は、陰陽でいえば極陰なのです。この極陰に相対するのは、極陽です。
極陽の食物ってなんでしょう?答えは玄米と塩、塩辛い味噌汁です。そして砂糖などの陰性食品は被爆時には絶対に食べてはいけないのです。
以下に被爆時にマクロビオティック的に対応した被爆者が、生き延びたという長崎原爆の実例についてご紹介します。内容は下記サイトから引用しました。
(引用元: http://otsukako.livedoor.biz/archives/30327358.html)
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1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1.8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。
博士は焼けただれて痛がる人々に、「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、血液を水でうすめることなくガードしようとしたのだろう。((注)たしかに戦地で、傷の深い重傷の兵士に水を飲ませると、すぐに死んでしまうという記録がある)
さらに博士は、次のように職員に命令したという。
「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」(秋月辰一郎著「死の同心円−長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版)
「放射線宿酔」と呼ばれる。レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。みそ汁の具は、カボチャであった。のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。
すると、どうであろう。そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。
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え〜本当?って疑う人が大多数だと思いますが、まさかのときにはこういう手があるのだ、ということを頭の片隅において置いてくださいね。
-----------引用終わり;
尚私も玄米食40年のベテランです。玄米は、土鍋で炊きます。その際に自然塩を少々入れてます。福島エリアの人、その風下の人は、塩は少々多いめがいいでしょう。「おいしいね、だが少ししょっぱいね」ぐらいか。
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