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知り合いの石原さんが説く心の健康について。争うことで人生を充実させようとするマイナスの人。なんだか共感できます。
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/148.html
投稿者 まりりん 日時 2009 年 8 月 23 日 21:09:08: mqXXX/IZCDdN.
 

マイナスの激しい充実感の中で生きてきた人にとっては、そんなプラスの充実感は、生ぬるくて仕方がありません。

 例えば、家族の中で、争いという形で充実しているとしたら、争いのない世界は、それを幸せだと感じるよりは、退屈でしかたがないと感じるでしょう。

 あるいは、平和が、逆に不気味で居心地悪く感じるかも知れません。
 
 前回の「尽くしても、尽くしても、幸せにならない」パターンも、無意識のところでは、自分が犠牲になることで充実感を覚えています。

 自分を犠牲にしながら、相手が自分を頼ってくれる、依存してくれる。犠牲になることで自分の居場所を確保できる。自分の存在を受け入れてもらえる。誰よりも、自分自身が、自分の存在を認められる。そんなマイナスの充実感です。
→サイエントロジー教会のロンによると、エングラムという心のトラウマから来る
  正気でない、狂った充実感。

 争うことで人生を充実させようとしている人も少なくありません。

 プラスの充実感を知らなければ、マイナスで充実させるしかないからです。

 例えば、顕在意識では、「もう、争うのはイヤだ」と思っているとします。
 それでも、争いをやめることはできません。

 争いがなくなると、とたんに、することがなくなってしまうからです。

 争う合うコミュニケーションしか知らなければ、それをやめると、コミュニケーションそのものがなくなってしまいます。

 人や外界との接触がなくなるということが、どういうことかわかるでしょうか。確か、「自分独りが生き残って、誰も存在しない世界」という映画がありましたね。

 「争う」というコミュニケーションで人生を充実させている人から、「争う」を奪うというのは、そんな世界でしょう。
 まさに、自分独り、うち捨てられた、忘れられた存在のような気がするに違いありません。

 平和な環境の中にあっても、そんな気分になるということです。

 そんないたたまれなさから、自ら争いをしかけます。
 自分が仕掛けた争いに、複数の人が振り回されている光景は、まさに圧巻です。

 その中に渦巻いているものが怒りや憎しみであっても、自分を中心に展開する混乱は、自分の存在を知らしめるものです。

 自分の存在を実感するに足る瞬間となります。
 万能感すら覚えるでしょう。

 というふうに、幸不幸を取っ払えば、人は、常に、人生において充実感を求めています。
 その充実感をマイナスに求めるか。プラスに求めるか。

 どちらの充実感で生きるかは、自分で決断できます。石原加受子  

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