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日本観察記    帰国して感じる中国の食堂   【人民中国インターネット版】
http://www.asyura2.com/09/hasan66/msg/708.html
投稿者 愚民党 日時 2010 年 1 月 07 日 15:59:05: ogcGl0q1DMbpk
 

日本観察記(3) 帰国して感じる中国の食堂

 文=薩蘇

 日本から帰国して二日目の朝、起き上がるとすぐさま、そわそわと食堂にでかけ、油条(小麦粉を棒状に練って、油で揚げたもの)と豆腐脳(おぼろ豆腐)を食べた。実のところ、油条も、豆腐脳も別に高級な食べ物というわけではない。油条は、パンのてんぷら、豆腐脳は、あんかけの絹ごし豆腐といったところで、中国人の伝統的な朝食である。けれど、日本に来て見ると、売っているところがなく、豆腐脳を送ることができる郵便局もない。ゆえに、この簡単な食事が我々中国人にとっては、三本足のロバのような、極めて珍しく貴重なものとなる。

 日本人の食事は、自宅か、または「外食」である。中国人には、このほか、「食堂で食べる」という選択がある。

 日本にも「食堂」という言葉があるが、中国と含まれる意味に違いがある。中国の食堂は、とても面白い場所で、ここの食事は、普通の「外食」よりも安いうえに質もいい。例えば、ここで朝食を食べると、油条2本、豆腐脳1碗、目玉焼き一つ、さらに漬物で、全部で3.5元、日本円でおよそ50円である。中国の食費は、日本より安いとはいえ、もし同じような食事を街のレストランでとれば、倍にはなるだろう。中国人の多くは、外食には無駄に金を使いたくなく、かといって自分で作るのも面倒だと考え、一日三食を食堂で解決する。ここにはいつも美味しくかつ、アツアツの食物がある。この一点は、毎日、冷えた弁当を食べる日本の公務員や会社員には羨ましいものだろう。

 けれど、食堂で食事をするのは簡単なことではない。主食、副食は、買わなければならないが、お金を払うのではなく、「飯票」と呼ばれるものを払う。どうしてこうなるのか、話は長くなる。

 食堂は、政府機関、あるいは会社が設けているもので、所属する内部の人々のためのものである。内部の人々には、スタッフとその家族も含まれる。私は日本で仕事しているが、私の家族は、中国科学院で仕事をしており、ゆえに私も中国科学院の食堂で食事する権利がある。食堂は内部の人々のためにサービスにあたるとはいえ、腕のよいコックをやとい、衛生管理をし、そのうえ利益をむさぼってはならない。ゆえに、食事は安く、質がいい。そのため、外部の人間が内部の人間を装い、得をしようとすることがある。多くなれば、食堂ではそれほどの量の料理はまかなえない。どうすべきか?というので、中国人が考え出した対策が、食堂で食事のできる人間には、あらかじめ内部で「飯票」を購入させ、外部の人間の食事を制限する方法である。そのおかげで、食堂は、中国の領土上で数少ない、人民元が使用できない場所となった。

 私の子供時代、両親はともに仕事で忙しく、長い間、食堂で食事していたので、そこにいくと、いつも親しみを感じる。

 中国の食堂は、外見はどこもよく似ている。どこも講堂のような建物で、実際のところ、多くの食堂は、政府機関や会社において講堂の役割も果たしている。食堂の内部は十分に空間があり、中間には、方形または円形のテーブルが並び、イスかベンチが置かれ、レストランよりもずっとスケール感がある。まわりに窓口が幾つもあり、その上には赤い紙の標示で、この口から提供されるのは、炒めものなのか、冷菜あるいは主食なのかが説明されている。炒めものであれ、ご飯であれ、すでに調理済みで、大仰な大鍋からお客にサービスされる。「小炒」と書いてある窓口でのみ、コックはお客の好みに応じて、その場で炒めてくれる。「小炒」であっても、ひとつの料理は、たったの6、7元であり、日本円で100円以下である。レストランと違い、食堂では料理は提供するが、容器は提供せず、食事をする人間は自分で携帯する。食堂に行く中国人は琺瑯の容器を食器とする。かつては、食堂で使う食器が洗面器くらいに大きい人間もいて、料理を盛る人間は、思わずその量を多くしたりしたものだ。いまは食品も豊かになったのでこのような超級食器は見られなくなった。多くの食堂では、ご飯とスープは無料である。けれど、多くの食堂では、主な対象はスタッフなので、アルコール類は売らず、酔って仕事に影響することがないようになっている。

 私自身の経験でいえば、食堂の良さは前述した事柄のほかに、勤務先に対する帰属感が育まれることである。欠点は、といえば、食堂はレストランではないので、サービスの態度が特に良くはない。食堂が開く時間になると、多くの人々が手に食器を持ってその外に行列をする滑稽な場面がみられる。もし、レストランでこんなことが起きたら、翌日、テレビのニュースになるだろう。

 けれど、中国の食堂はすべて良いとは限らない。時には、厨房スタッフの怠慢や私憤により、食事の水準が下がることもある。そして、結果として多くの人の抗議を呼ぶ。このようなことは周期的に起きる。例えば、北京の各大学の食堂は、経営上の、または衛生上の問題で、学生の不満を引き起こし、学生たちがこの問題に対して学校側に意見をぶつける頻度は、驚くほど高い。

 中国の食堂のこれほどの繁栄は、往時の軍隊式管理と相似点があるのかもしれない。大鍋の料理、福利的な価格、内部のみへのサービスは往時の軍隊の炊事場の影響が感じられる。

 この習慣は、中国における外国企業にも影響している。例えば、グーグルの北京支社では、食堂を始め、その食事は素晴らしい。このことから、中国の食堂は、将来、世界に羽ばたくものといえるだろう。

 薩蘇

 2000年より日本を拠点とし、アメリカ企業の日本分社でITプログラミングプロジェクトのマネジャーを務める。妻は日本人。2005年、新浪にブログを開設、中国人、日本人、およびその間の見過ごされがちな差異、あるいは相似、歴史的な記憶などについて語る。書籍作品は、中国国内で高い人気を誇る。文学、歴史を愛するITプログラマーからベストセラー作家という転身ぶりが話題。

 「人民中国インターネット版」 2010年1月2日


http://j1.people.com.cn/94473/6860780.html




 

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コメント
 
01. 2010年1月07日 16:43:04
冷えた弁当をコンビニで買えば450円から550円だ。
スーパーマーケットで買えば400円ほど。わたしはいつも弁当の20パーセント値引き品をスーパーマーケットで買っているのだが、食事の幸福感はない。アパートの部屋代も高く、いつまでも不幸な日本の貧乏人のままだ。「外食」など高くてできない。食事の幸福感を味わうためには自分でつくればいいのだが、めんどうである。なんとか自分でうまい料理ができるようがんばらなくてはいつも思っているのだが、なかなかできない。

<いつまでも不幸な日本の貧乏人>になったのはわたしの自己責任だが、暖かい安い食事が食べられるのは幸福だ。

外で仕事をするためには弁当が必要だ。その弁当も自分でつくればいいのだが、これができない。うまい料理ができるように自己改造しなくてはと新年に思う。

すでに日本の貧乏人は食事において中国の貧乏人に敗北していると思う。

現在とは日本・中国・北朝鮮の貧乏人による食事不幸度の競争でもある。

京都大学の学生食堂は外部のものでも安くて暖かいうまいものが食べられる。日本貧乏人でも幸福になれる場所が京都大学周辺だと思う。アパート代も安い。


02. 2010年1月08日 11:53:31
中華料理は確かにおいしいし、既に世界中に散らばった中国移民によって、中華料理が浸透している国は多いはずだ。
しかし、果たして現在の中国ではそんなにおいしいのだろうか?
というのも、汚染が進みすぎていて格の高いホテルの水道水ですら真茶色。
水質が悪いゆえ料理もまずいという話を、出張で中国を訪れることのある知人から聞いたことがある。滞在中はあまりの空気の悪さに息苦しくて仕方ないそうだ。

媒体名からして、薩蘇さんは自国のことを誉める記事かかないといけないんだろうな〜と、同情してしまう。


03. 2010年1月08日 19:43:19
中国の汚染は本当に怖い。
コンビニの弁当毎日食べるのもかなり怖いよ。

やっぱり暖かいご飯食べたい。
コンビニよりは学食とか社食とかのがいいけど、日本の食堂も衛生不安なところは多い気がする。


04. 2010年1月09日 00:23:49
中国の発展は、まだ始まったばかり。
日本もかつては、公害が酷かった。

中国、インドの工業化のスピードは昔の日本とは、比較にならないほど速い。

菅氏の、円安容認は、あたりまえ。直ぐに中印は日本に追いつく。
その時、日本には、庶民の生活基盤が、確保されていなければ、国は衰退し、何の意味もない。

日本のNHK、公的機関の食堂は、一般にも開放するべきである。それは税金によって運営されているからだ。

民業圧迫とか、ほざく奴は、市場原理主義を朝から晩まで唱えるがいい。


05. 2010年1月09日 16:59:32
 中国からの留学生が昭和30年40年代の北九州の写真を見るとあまりのひどさに絶句する。そして今の状況を見ると環境を改善した日本人の努力に感激する。
そう、日本も昔はそれはそれはひどいものだった。水俣病、イタイイタイ病、じん肺、四日市の大気汚染、森永ヒ素ミルク事件枚挙にいとまがない。一つ一つ解決してきた。それだけだ。
それだけのことだけどエライ。
 中国も日本の事例に習う。それだけだ。何も悪いことでもない。先輩が近くにいて幸いだ。
 メシの件は全然違う。02、03の話はインチキだ。こいつらに言った奴は現地で汚れたカスミを食っていたのか。それとも何か、汚れたメシを食ってる中国人に経済的に負ける日本人に成り下がったのか。中国にいる間息を止めていたのか。
 黄色い欧米人を気取るのはヤメロ。経済的繁栄のみがその妄想を支えていたが、今となっては自己が何者かを同定できなくなるだけだぞ。自殺の激増とその継続が雄弁に物語っている。白い肌に憧れ続けたマイケル・ジャクソンの二の舞だ。


06. 2010年1月10日 18:56:29
<経済的繁栄のみがその妄想を支えていたが、今となっては自己が何者かを同定できなくなるだけだ>

まったくその通りだと思う。

明治近代からの絶対天皇制を現人神として軍国に邁進してきた大日本帝国軍国主義は第2次世界大戦でみごと焦土となって大敗北した。

その後、日本は経済復興を叫び、池田隼人に代表されるごとく所得倍増、大経済主義を唯一の神として日本国民が一丸となって行進してきた。

そのおのれのアイデンティティを強固に支えていた大経済主義<経済復興>のイデオロギーが破綻したのが、2008年秋のリーマンショックだった。大経済主義<経済復興>イデオロギーは鮮烈に大敗北をとげていった。その後、日本国民は漂流していった。

日本国民と日本人はいま、自分が何者であるかを定性できない暗黒の道を歩行している暗黒舞踏者である。暗黒舞踏とは敗戦後、土方巽と大野一雄が形成したコンセプトである。その骨格には<敗戦の身体>が基礎メソッドにある。

日本国民と日本人はいまこそ土方巽と大野一雄から学ぶべきだ。敗戦の身体から再度出発していくという暗黒歩行の自覚こそ必要である。


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