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私の大好きな人に佐々木重人君がいます。まだ40才です。
いまは会社の社長(NS乳酸菌の製造)ですが、彼は東京外大を出て大手商社に入り、そこから一時、船井総研に来て、経営の勉強をしていました。
衆院選挙にも立候補したことのある好男子で、『天皇祭祀を司っていた伯家神道』(08年10月31日 徳間書店刊)などの編著もあります。
彼は、「これからの日本」を憂えており、以下は、「どうすればよいか?」という私の質問に答えてくれた解答論文です。
秋田の県北出身で、よく勉強もするし経営力もある佐々木君の提言をそのまま紹介しますので、ぜひ皆さまも彼の言をお読みください。
【佐々木重人さん論文】
先日、友人にお誘いいただいて、メキキの会を主宰する出口光さんにお会いする機会がありました。その際、名刺代わりにと思い、近著『金融崩壊後の世界』(文芸社、安部芳裕氏との共著)を差し上げたら、一週間ほどして、出口さんよりお電話を頂きました。出口さんは、サムライ・ソーシャル・ネットワークというSNSを運営していますが、そこで、本格的に地域通貨を導入したいという相談でした。出口さんは、お渡しした本をきっかけに共著者である安部芳裕さんの著作を短期間ですべて読み、とりわけ、強い興味を覚えたとのことでした。
1999年にNHKで放映された「エンデの遺言」という番組は、特に市民活動をする人達の間でセンセーションを巻き起こしました。この番組の中で、ドイツのファンタジー作家のミヒャエル・エンデは、忘れられた経済学者・シルビオ・ゲゼルを紹介します。
「すべての自然物が、摩耗、劣化してなくなっていくにもかかわらず、お金だけは、時間とともに自己増殖を続けていく。これが、現代社会の問題の根源にある」と彼は言っています。
20世紀初頭、ゲゼルは、こう考えて、時間と共に劣化する通貨を構想しました。やがて、ゲゼルの通貨は、第一次大戦後の経済的混乱の中で、オーストリアのヴェルグルという町で実践されました。ヴェルグルでは、失業対策として様々な公共事業をつくりましたが、その労働の対価として、「労働証明書」を発行しました。この労働証明書は、お金として流通できましたが、毎月、スタンプを購入して張らないと使えないようにして、時間とともに価値が減じる性質をもたせたのです。時間が経つと目減りするお金は、通常のお金の十倍以上のスピードで流通するようになりました。すると、町の経済は見る見るうちに回復し、あっという間に、完全雇用が達成されたのです。ヴェルグルの成功を見て、近隣の自治体も次々とこの通貨の導入を検討しました。ところが、通貨の発行は、中央銀行の専権事項であるとして、自治体による通貨の発行は、全面的に禁止されてしまったのです。ヴェルグルの町は再び失業者であふれてしまいました。
紙幣は、そもそも金を保管した際に発行する預かり証でした。やがて、金は、倉庫から滅多に引き出されず、預かり証がお金として流通するようになると、預かり業者は、金の保管量を超えて預かり証を発行し、金利をとってそれを貸し付けるようになりました。これが近代銀行制度の始まりと言われています。私たちは、誰かが働いて貯めたお金を預けたから銀行があると思いがちですが、実際はそうではありません。
お金は、無から生まれ、借金として社会に流通していきます。金利分のお金はどこにもないので、借金返済のために、お金の奪い合いが始まり、激しい競争の中で、多くの人が返済不能となり、通貨の発行元にすべての富が集まっていきます。
「私に通貨発行権を与えなさい。そうすれば、誰が法律を作ろうとも大した問題ではない」と。
これは、ロスチャイルド家の創始者、マイヤー・アムシュル・ロスチャイルドの言葉だと言われています。
17世紀末に生まれたイングランド銀行が最初の中央銀行ですが、これは、長引くフランスとの戦費で財政がひっ迫していたイングランド政府の弱みに付け込むような形で、銀行家達が、国の経済と財政を支配するためにつくったものでした。それから、世界各国に中央銀行が作られていきます。
特に、アメリカ合衆国では、通貨発行権をめぐる政治家と銀行家の壮絶な争いがつづきました。銀行家達に対抗して、独自の政府紙幣を発行したリンカーン、そして、ケネディは、暗殺されました。それから、新たに政府紙幣を発行する試みは行われていません。
話は変わりますが、クリフォード・ヒュー・ダグラスは、20世紀初頭、ベーシックインカムという概念を提唱します。ダグラスは考えました。そもそも商品の価格は、労働力とその他の費用から成り立ちますが、購買力は、労働力からしか生まれないので、社会全体としては、常に購買力が不足し、結果として、常に行き過ぎた競争を強いられます。さらに、生産の自動化が進むにつれて、この流れに拍車がかかります。
この社会の根本的な問題を解決するには、雇用と所得をある程度切り離して、人々の購買力を保証する必要があるとダグラスは提唱したのです。
例えば、すべての国民に、月額8万円のベーシックインカムを支給するには、約120兆円の予算が必要です。これを政府紙幣で賄えば、国民の生活は守られ、財政破綻を回避し、景気も浮揚させることができます。
現在、日本のGDPは、約500兆円ですが、潜在的なGDP、国民全体の生産能力は、800〜1,000兆円あると推計されています。この差は、デフレギャップと言われますが、この範囲内で、通貨供給量が増えても、急激なインフレが起こることはありません。
政権交代をして役人の無駄遣いを撲滅すると言って新政府が誕生しましたが、ほとんど成果をあげられそうになく、これから、財政破綻と消費税の大増税がやってくることは、時間の問題といった状況です。そして、景気はさらに悪化することはだれもが認めていることで、恐慌の後に何がやってくるかは、歴史を振り返ってみれば明らかでしょう。
今、政府紙幣を財源とするベーシックインカム制度の導入は、国民の生活と国家財政を守る唯一の政策と言っても過言ではありません。しかしリンカーンやケネディのように、命をかけて国民生活を守ろうとする政治家は、日本の国には、残念ながら、なかなか現れそうにありません。だから、一人でも多くの国民が、自分達の暮らしを守るために、お金の真実を知って、世論を作っていく必要があります。
さて、「エンデの遺言」に触発されて、2000年ごろから、さまざまなところで地域通貨の試みがなされました。当時、その最前線で活躍していたのが安部さんで、デベロッパーに勤務していた私は、販売不振の首都圏郊外のニュータウンの活性化策として地域通貨に注目し、安部さんと交流がありました。最盛期には、日本に200以上の地域通貨がありました。しかし、様々なタイプのお金が試みられたものの、結局、お金として盛んに流通したものは、ほとんどなかったのです。
「何故、地域通貨は、日本であまり流通しなかったんだろう?」
会食の席で、出口さんが尋ねました。
「うーん、突き詰めれば、その通貨で、食えないというか、生活が成り立たたなかったからじゃないかと思います。通貨を何で担保するのが一番いいのかというのには、いろいろ議論があるようで、たとえば主要穀物をバスケットにして、その合成価格を通貨の基本単位にするといったアイデアがあるようです。まあ、日本はシンプルに米でもいいと思いますけど」と私は答えました。
ベルナルド・リエター氏は、著書『マネー』の中で、古代エジプトは、穀物を基準単位とするお金が流通している間は、繁栄を続けたものの、それが、ローマ人のお金、プラス利子がつくお金にとってかわられるに及んで繁栄が終わったことを紹介しています。
米は、世界中の水の豊かな地域で主食として栽培されていますが、あらゆる穀物の中で、単位面積当たりの収穫量が一番多く、連作障害がないので何百年でも同じ場所で作り続けることができ、味も栄養価も一番よいようです。人間が生きるために、空気、水の次に必要なものは何でしょうという質問に対して、米と答えるのは、決して間違いではないでしょう。
しかし、御存じのように、日本の農業は衰退の一途を辿り、現在、日本の食糧自給率は、40%あまり、農民の平均年齢は、70歳に達しようとしています。稲作農家の作業を時給に換算すると300円に満たないという試算もあります。世界の基軸通貨であるドルの崩壊が時間の問題であり、その後、貿易が円滑に行われるのかは不透明なので、国民の生存基盤が大きく揺らいでいると言えますが、こうした時にこそ、志ある若者が農業に参入し、消費者と直接繋がって食料を提供できれば、十分に採算があって、豊かな暮らしがおくれるようになるはずです。
先日、船井総研時代の元同僚である山田浩太さんが「農業ベンチャークラブ」を立ち上げるということで、その説明会に行ってきました。山田さんは8年前から循環型農業に注目し、全国の農家を歩いて研鑽を積んで、今では会社で軽トラックまで購入し、毎週、茨城県水戸市にある鯉淵学園という農業学校で循環型農業の研究を自ら行っているそうです。さらに、新規就農ウェブスクールという、インターネット上で農業を勉強できる場も提供しているというから驚きです。経営コンサルティング会社である船井総研がここまでやっているとは、すっかり感心してしまいました。本来、農家の後継ぎであった私が、山田さんのようなことができないのを申し訳なくなった次第です。山田さんの上司である船井総研の執行役員の菊池功さんは、セミナーの中でこう言いました。「これからは、景気はますます悪くなって、企業業績も落ち込んでいくでしょう。こういう状況の中でも社員の生活を守るには、突き詰めれば、食糧の企業内自給、そういうことも視野に入れていかなければならない時代です」と。船井総研の環境グループメンバー約30人は、昨年から、農業研修として毎週メンバーが順番に農場へ行き、農作業を行っているそうです。まさに、自社で企業内自給を実践し始めています。
出口光さんの曾祖父である出口王仁三郎さんは、恐慌から戦争に突入していこうとする昭和初期に、「昭和神聖会」という運動をおこして、800万人もの賛同者を集めました。これは、日本史上空前絶後の社会運動だったと言えますが、日本政府は、これを徹底的に弾圧しました。その後、日本は戦争に突入していきます。
王仁三郎さんが描いた「みろくの世」とは、「産土共同体」という小さなコミュニティで、自給し、全てが農業を営み、1日2〜3時間の労働で豊かに暮らし、所有も、税金も、今の形の通貨もない世界のようです。いうまでもなく格差も戦争もない社会でした。それは、神と人が合一し、祭と政が一致した世界でもあります。もちろん、「みろくの世」とは、人が死んでから、神の審判によって行ける世界ではなく、生きているうちに自らの手でつくり上げるものであり、自然には、みろくの環境が最初から備わっています。人間は、唯一神によって作られた被造物であり、未来は、神が決めるものであり、人間は、いつも堕落して神を信じなくなり、結局、終末を迎えて破滅するという世界観とは、この考え方は大きく隔絶しています。
出口光さんは言います。
「豊かな幸せな社会を創ろうという想いは一人ひとりの心の奥底にある共通の想いです。人々がインターネット上で交流するソーシャルネットワークに地域通貨を組み合わせ、そこにいる人たちの天職が発展し、皆の幸せにつながるような社会基盤を創ることはできると思います」と。
有意の人たちと共に、研究を重ねながら「みろくの世」つまり理想社会のひな形をぜひ造りたいと思っています(論文ここまで)。
私は「なるほど」と思って、この提言を読みました。実によくまとまっていますし、実現の可能性はあります。
実現するか否かは別にしても、おおいに考えさせられるレポートです。皆さまも、ぜひ真剣に御検討ください。
=以上=